原発封印と神ながらの道
- 2011年 6月 16日
- 時代をみる
- 岩田昌征
『週刊朝日』(6月3日、6月10日号)に「歴史に学ぶ地震」と題して、森浩一、日下雅義、そして寒川旭による座談会が組まれていた。古い所では『日本書紀』天武紀や鴨長明『方丈記』の地震記録が紹介されている。ところが、史実とは言えない故か、神話的古代の地震像は論じられていなかったようだ。
私のような素人は、神話や神話的古代における地震イメージを次のような文章に見いだす。
――速須佐之男命……天に参上る時、山川ことごとに動(とよ)み、国土皆震(ゆ)りき。(『古事記』上つ巻)
――素戔嗚尊、天に昇ります時に、おほきうみ以てとどろきただよひ、山岳ために鳴りほえき。(『日本書紀』巻第一)
これはまさしく古代人が体験してきた大地震と大津波の神話的形象化ではなかろうか。天照大神と須佐之男命の姉弟喧嘩のすさまじさを津波と地震のイメージで表現したものであろう。もう少しおだやかな地震像をも紹介しておこう。
――鮪(しび)臣……、大君の八重の組垣懸(か)かめども、汝を編ましじみ懸かぬ組垣。太子……、臣の子の八節(ふ)の柴垣下動(とよ)み、地(なゐ)が震(よ)り来ば破(や)れむ柴垣。(『日本書紀』巻第十六)
これは、武烈天皇が皇太子の頃、真鳥の大臣の子の鮪と美女(=影媛)を争って、口喧嘩した有様が歌謡となって伝承されたものである。ここにも地震が破壊力として登場している。現代に引き寄せて読めば、「八重の組垣」や「八重の柴垣」は、原子力発電所=影媛を守る所謂「五重の安全装置」となろう。現代語に訳せば、鮪臣は「太子には立派な安全装置を建てられませんよ」とあざけり、太子は「鮪が建てた安全装置なんか地震が来たらひとたまりもないぞ」とやりかえす。
「山川ことごとに動み、くにつちみな震りき」の日本列島に54基の原発を並べてしまった。これは、日本神道界の怠慢の結果でもあろう。何故そうなのか。日本の神ながらの道は、けがれ、よごれ、きたなさを忌み嫌う。『古事記』によれば、「汚垢(けがれ)によりて成れる神」こそ八十(やそ)禍津日神と大禍津日神であり、3月11日の原発大災による放射能汚染こそ神代以来最大のけがれであり、禍津日神の跳梁である。とすれば、外国ではともかく、日本国内においては6月11日の原発反対デモの先頭に数千数万の神主達や巫女達が立つのが自然である。原子力発電所建設の地鎮祭を執り行いながら、地を鎮めることが出来ず、原発大災を許してしまい、八百万の産土神の土地を高濃度放射能で汚染されてしまった現在、全国の神主達は、神直昆神と大直昆神に祈りつつ、原発封印運動の先頭に立つ。それが神ながらの道であろう。
近代生まれのリベラリズムやマルクス主義の思想から直線的に原子力平和利用反対が導出されるわけではない。媒介項が必要である。しかしながら、神道からは非媒介的に原発封印が出て来る。私の素人考えである。
平成23年6月10日(金) 岩田昌征
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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