ミャンマー 反クーデタ・民政回復運動、全土を席捲!
- 2021年 2月 16日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー野上俊明
スーチー国家顧問はじめ民主人士(330人 2/14現在)の釈放と民政回復を求める運動は、ミャンマー全土に燎原の火のごとく広がっている。まさに88動乱の様相を呈しつつあるが、しかし大きく異なるのは血で血を洗う暴力は抑えられており、市民は比較的冷静であるということである。デモ隊列や集会では圧倒的な数のスーチー氏の顔写真が掲げられてはいるものの、かつてとちがって感じられるのは、スーチー氏は救世主というよりは、民主主義的価値や民主的制度―ひよこ状態であるにせよ―のシンボルとして理解されており、だいぶ宗教色が薄れているようにみえる。NLD治政の5年間の経験が、スーチー国家顧問にできることとできないことの区別を国民に教えたからであろう。知識人層や都市中間層の多くが、彼女のリーダーとしての資質に不満を抱いているのも事実だ。憲法改正への出口戦略や経済立国にかんするビジョンの欠如、政治・社会や官僚機構の民主化の組織戦略の欠如、NLDも含め次世代の政治家育成への不熱心さ等々、様々な不満が少しずつ蓄積しつつあった。しかし今回のクーデタは、そうしたスーチー国家顧問のリーダーシップやNLD治政への不満の噴出を抑えていたネックを吹き飛ばすことにより、国民各層の政治過程への怒涛の参加を促した。つまりNLDの代行主義政治に活を入れ、民主主義の活性化の方向で国民各層がうごきだしたのである。したがってもし万一スーチー氏が国家顧問に返り咲きNLDが政権回復しても、元のような政治の質では民意に適切に対応できないことになるだろう。即断は禁物であるが、確実にこの国民は民主化へ自分の足で歩き始めている。
<Pick Up 直近の出来事>
●2/13 国連安保理と国連人権理事会のメッセージ――①軍事クーデタへの非難 ②スーチー氏らの恣意的拘束者の即時無条件解放 ③非常事態宣言解除 ④インターネット制限の解除
●2/12 女子学生ミヤタッタカインさん19歳、頭に銃弾受け死亡。
家族の意思で延命措置停止し、死亡
●88年反乱の学生指導者、ミンコーナイン逮捕さる
●CDM(市民的不服従)に参加した公務員や医療関係者が、夜中連行される事例頻発、反発広がる。SNSのおかげでミャンマーに在住する日本人から日々刻々と現地情勢が送られてくる。ただし日本人社会で信頼されている人間のもののみ採用。それらによると、夜間警察が連行しに訪れると、近所に人たちは数百人規模で警察を取り囲み、逮捕を阻止したリ、警察署へ押しかけていって逮捕者を取り戻したりしているという。警報の合図は、鍋叩き(タンボウンティ)であり、もともとは悪魔払いの所作だそうである。ミャンマーでは仏教のほかに、アニミズム的な精霊信仰が民族宗教として根付いている。現地時間の20時に合わせ、各国のミャンマー人在住者は鍋叩きをして、抗議の意思を表している。
政治活動が主として街頭で行われた過去とちがって、地域住民がこぞって日常生活の場で抗議活動を行い出したところに今回の運動の意義がある。日本の反体制運動も労働の現場や街頭どまりで、杉並から始まった原水爆反対運動や母親運動を例外としてなかなか地域まで下りて来られないのが伝統である。ヤンゴンで生活していて最も驚いたのは、サイクロンでまちが壊滅的な打撃を受けたとき、だれも隣近所ですら助け合わなかったことである。筆者はこの一種の狭隘な自己中心主義を軽蔑し憎んだが、しかしそれは国民性なんかではなく、権力の監視と弾圧を恐れて動かなかったのだと理解できた。
●ヤンゴン日本人社会で信頼のおかれているG氏のFBから
2/13の夜、まちに不審者がうろついているのでみなで捕まえたら、14,5歳のホームレスの少年たちだった。彼らは麻薬を打たれたているようで、眼は虚ろだったという。町会事務所に連れていて詰問すると、50万チャット(日本円で50万円という感覚)渡されて放火するよう言われたというのだ。この事案はヤンゴン中で同時多発的に発生しており、組織だった背景をもつものとみられる。2万数千人の囚人を恩赦で出したというのも、彼らを犯罪要員として利用し社会不安を起こさせるとともに、これからの大量逮捕に備え、刑務所をカラにしたとも考えられる。
利用されるアウトロー、中部都市メイッティ―ラでは市民が暴行受け負傷 Myanmar Now
●国軍、サイバーセキュリテイ法の制定急ぐ
とにかく国軍としては、SNSやインターネットを遮断して反対運動を麻痺させたいところ。それを可能にするのは中国の援助だとみな知っているので、国軍の肩入れはやめろと中国へ矛先は向けられる。
医療従事者の運動参加が目立つ。矛盾がエッセンシャル・ワーカーに集中しているのだろうか。
<2007年9月 サフラン革命から>
伏せ鉢という。軍人や軍人家族からの布施を拒絶することによって、彼らが功徳を積む機会を与えないという上座部仏教徒にとって最もつらい仕打ち。
私のアパートの近くに展開した部隊を観察すると、みな小銃のほかに竹棒を持っていた。ミャンマーには中の空洞のない竹があり、これで頭を一撃されると確実にあの世行きである。
フリーフォトジャーナリスト永井さんが撃たれた瞬間、ロンジーとサンダルという現地人の出で立ちだった。この夜、弊店に来る予定だった。
1947年、アトリー政権との独立交渉。アウンサン将軍が着ているコートは、インドのネルー首相からロンドンは寒いから着ていけと贈られたものだという。
南ビルマ――サマセット・モームの有名な南洋もの小説「ジャングルの足跡」の舞台
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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