ミャンマー情勢 血の弾圧迫る。全世界よ、注視し支援せよ!
- 2021年 2月 28日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー野上俊明
27日、全国各地で治安部隊が一段と攻勢に出て、デモや抗議集会の強制排除を進めた。このなかで北西部モンユワ市では、またしてもデモに参加していた女性が腹部に治安部隊の銃撃を受けて死亡した。いよいよ国軍は、88年の時と同様に力でねじ伏せようと、情け容赦なく国民へ銃を向け自由と民主主義への希求を圧殺してくるであろう。中国、アセアン諸国の国軍寄りの姿勢や日本の二股膏薬的対応をみて、国軍はやるときはためらいなく血の弾圧を行使するであろう。時間をおけば、反クーデタ勢力の統一と体制構築が進むとみて、早期・短期・戦力の一挙投入で決着をつけようとするであろう。(以上、速報)
AFP イラワジ・デルタのパテイン市の河岸デモ 世界遺産バガン仏教遺跡でも抗議行動。
国軍クーデタからはや4週間、2/22のゼネスト以来全体としては膠着状態が続いているが、ヤンゴン以外の地方都市では治安当局による弾圧、拘束が徐々にエスカレートしている。催涙弾やゴム弾に加え、新兵器スタングレネードや実弾も使用し、負傷者が増加している。2/22現在、スーチー氏と他の政府高官が夜間の襲撃で拘束された2月1日以降、少なくとも4人が殺害され、600人以上が拘束されたという。政治犯支援協会によると、拘束されたのはCDM参加の公務員、具体的には総務局職員、議会事務局職員などあらゆるセクションの職員、病院関係者、クリニックの医者、保健センター職員など、エッシェンシャル・ワーカーや議会・行政筋が多いことが分かる。
少なくないミンコーナインはじめとする市民活動家や労働運動指導者たちは、いっせいに地下に潜ったという。1988年や2007年の動乱時の経験が、非合法活動に生かされているのであろう。
20日に2人が殺されたマンダレー地区の人々の怒りは強い (Myanmar Now)
<Pick Up ここ数日の動き>
●2/20 駐ミャンマー丸山大使が、大使館に押しかけたデモ隊と応接。デモ隊は日本政府への公開書簡を読み上げ、①拘束された人々の解放 ②2008年憲法の廃止 ③軍部独裁の終結 ④民主的連邦国家の確立、といった内容を告げる。これに対し丸山大使は、日本政府はミャンマー国民の声を無視することはない、①スーチー氏ら指導者の即時解放 ②事態の民主的平和的な解決のために尽力すると答えた。デモ隊に大使が直接応接するという異例のことに、各国関係者は驚いたという。リップサービスに終わらないことを願うばかりである。
●2/23,4 ヤンゴン市内にあるインドネシア大使館前で抗議集会。現在の状況から抜け出し、ミャンマーの民主化プロセスを進めるべく、「公正で包括的な」新しい選挙を実施するという軍政権の約束を守らせるという内容の行動計画に、アセアン各国が同意するよう促し努めるとした、インドネシア政府のイニシアチブに、ミャンマー国民は断固反対すると示威行動した。このためインドネシア外相のミャンマー訪問は中止、しかしビデオ会議方式でインドネシア、タイ、ミャンマーの外相会談が行われた。11月の選挙無効を前提とする案は、ミャンマー国民にとってとうてい受け入れがたいであろう。
ヤンゴン、インドネシア大使館前での二日にわたる抗議行動。
●2/25 ミャンマーで昨年11月に実施された総選挙で当選した国民民主連盟(NLD)の議員らが設置したミャンマー連邦議会代表委員会(CRPH、Committee Representing Pyidaungsu Hluttaw)はこのほど、国連の特別代表と国際関係の担当者をそれぞれ選出した。しかし反クーデタ勢力をほんとうにリードする組織体になるのか、またその覚悟があるのか不明であり、不安である。
●2/26 国軍が再組織した選挙管理委員会は、スーチー氏率いるNLDが大勝した昨年11月の総選挙の結果の取り消しを発表した。
同日、国連総会(非公式会合)で、スーチー政府任命のミャンマーの国連大使、チョーモートン氏は、国軍による権力の乗っ取りを終わらせ、民主主義を回復するためには、可能な限り強力な国際社会の行動が必要だと呼びかけ、万雷の拍手を浴びたという。
●2/26複数の有力政党は、国軍が新たに設立した新選挙管理委員会による調整会議(2/26)への参加要請を拒否。
●日本政府、ミャンマーへの政府開発援助の新規案件を停止する見通し。そのためODAのインフラ整備に関わる日本企業にも影響がでる怖れ。
●トヨタが2月中に稼働を開始する予定であった、ティラワ経済特区に建設した自動車組立工場の開業を延期すると発表した。
<挑発者に警戒せよ>
25日からヤンゴン市内各所で殺傷事件が頻発。それは国軍が放った、かつて「アサ―アシン」と呼ばれた挑発者や殺し屋がCDM運動を標的にして暴力事件を起こしているからである。若い者が挑発に乗って暴力沙汰を起こし治安部隊の介入を招かないように、縄で輪を作りで汽車ごっこをするようにみなを囲い込んでデモ行進するという。国軍がクーデタ時に恩赦で野に放った囚人2300人が、徘徊しているのである。
挑発者―1本指は相手を愚弄するしぐさ 挑発者による負傷
<草の根の抵抗つづく>
軍がミャンマーの民主的に選出された政府に権力を戻すまで、抵抗を続けるとする、公務員の国民的不服従運動(CDM)。それに呼応して、各町会単位では軍政権―町村行政評議会指名の新しい行政官を拒否する民間の動きが広まっている。イラワジ紙によれば、ヤンゴンの北オッカラパなど多くの区では、地元住民が区の管理事務所を閉鎖し、次のようなポスターを貼っているという。「この区は区の住民自身が管理します。 本日現在、この事務所には行政官は受け入れられません」まさに住民による自主管理闘争の様相さえ呈しているのである。軍が指名する人間は元受刑者であったり、以前のUSDP [連邦団結発展党]の幹部だったりした人間だそうである。あまりの反対に、指名された人間からは多くの脱落者がでているという。
マンダレー市内を行進する看護師たち (Myanmar Now)
<素描―国軍の性格の由来>
国軍の前身である「ビルマ独立義勇軍」は、アジア太平洋戦争前夜、日本の特務機関である「南機関」(鈴木敬司陸軍大佐)によって、ひそかに海南島で軍事訓練を施された「三十人の志士」を中核として創設された。実質アウンサンをトップとし、その後ビルマの独裁者となったネウインもそのうちの一人であった。バンコクで旗揚げされた義勇軍は、戦争開始と同時にマレー半島を攻略した日本軍に従って北上、やがてビルマ攻略戦を戦い、ラングーンを陥落させ、ビルマ全土を占領する。日本軍はビルマ独立を約束してアウンサンらを利用したが、しかし軍事占領下傀儡政権の国防相になるものの、日本側が独立への誠意を見せないので不信を抱くようになる。外見的には「大東亜会議」に傀儡のバモー政権も参加し、大東亜共栄圏の模範生に見えた。その意味で、ビルマは「大東亜共栄圏」の嘘が本当らしく見えた唯一の国であった。たしかに鈴木大佐個人はアウンサンらの独立運動を真に支援してくれたとして、アウンサンから終生感謝されるが、すでにアウンサンらの心は日本から離れていたのである。そして 1945年3月ついに敗色濃い日本軍に反旗を翻し、連合軍側に寝返るのである。
その成立の歴史からいっても、ビルマ国軍は旧日本軍のDNAが埋め込まれた軍隊であった。徹底した上意下達、上官の命令には絶対服従を課した。人権無視、人命軽視の軍隊思想。満州の陸軍士官学校出身の朴正煕大統領のもとにあった韓国派遣軍が、いかにベトナムで勇猛かつ残虐行為を行ったか、それは同じようなDNAを受け継いだものと考えられる。
なぜ国軍の一枚岩は揺るがないのか。それは旧日本軍から受け継いだ上意下達の組織思想や上官の命令の絶対視からくるところがひとつ。しかも伝来の権威主義的社会がその培養土となっていた。ミャンマーで経験したことだが、仕事で知人になったW氏は40歳半ばの陸軍士官学校出の元軍人。ところが奥様は60を過ぎていた。W氏を知る人に、極端な姉さん女房だねというと、あれはWの上官の女房だったのだ。軍隊では直属上官が死んだ場合、部下が未亡人と結婚する仕来りになっていると言った。ミャンマーに来てみて、最初の驚きだったのを記憶している。法の支配のない国では、制度的に生活保障する発想がなく、属人的な仕来りで解決するのである。まさに人治が法治に優越していたのである。
もう一つの理由は、国軍の二重構造にある。上級将校と一般兵士との待遇の差が、月と鼈ほどもある。陸軍士官学校出は超エリート。家柄や出自に関係なく、ペーパーテストの成績さえよければ士官学校に入学し、将来は高級軍官僚として登用され出世する。こうした平等な機会均等によって、国軍は上昇志向のエネルギーを吸い上げるのに適した組織に進化した。こうした仕組みでは、上官に逆らうよりも忖度し意をくんで先回りする知恵が発達する。
ソ連で共産党員が赤い貴族と呼ばれたように、ビルマでは緑の軍服を着た軍人が、特権階級を形成する。軍有地は本来国有地・公有地であるが、ここでは国軍の私有地。あらゆる国土の一等地は国軍保有になっている。国軍のシステムは、かつての人民解放軍に似ている。あのような低開発国で40万人もの常備軍は財政的に過重である。そのため軍隊は実戦部隊と普通部隊の二重構造になっている。普通部隊は一種の屯田兵である。かれらには雀の涙ほどの給料しかでない。足りない分は自分で稼がなければならない。
普通部隊は、司令部ごとに基地の中に広大な土地を保有している。ここでは司令官は戦争の専門家、技術者というより、そろばん勘定に長けた経済家でなければならない。広大な土地を活用して、利益を生み出し下級兵士とその家族を食べさせなければならない。基地内の土地を民間に貸し出して養鶏場、養豚場、養魚場などの共同経営や、サトウキビ・キャッサバ・バナナ・パパイヤ・マンゴー・カシュウ―ナッツなどの栽培にいそしむのである。もっとも国際市場に開かれていないので、それだけでは蓄財はなかなかむつかしく、本源的蓄積ができないので、外国資本がやってくるのを待ちどおしく思うのである。
士官学校出の高級軍人は、ネウイン社会主義時代は退職してからも国会議員や地方議員となり、利権が保障される。年金制度は貧弱なのであってなきがごとし。工科系大学での公務員であれば、退職金代わりに土地をもらえる。ネウイン統治は、二重三重に利権構造を築き、高級将校がゆめゆめ反乱など起こす気にならないよう利益でがんじがらめにしたのである。国軍が利権死守に血眼になるのも、それがなければ、反乱を誘発する危険性が大きくなることを本能的に知っているからである。
ミャンマー国軍は、共産党と人民解放軍が一体化したものであり、それだけに搾取の仕方が粗暴である。しかしその原因を作ったのは、アウンサン将軍である。というのも、戦時ということもあって、アウンサン将軍は国軍とは別個に政党を育てなかった。戦後、政党と統一戦線組織と軍隊をそれぞれの役割に応じて分離独立させるべきであったが、30歳そこそこで暗殺されたためかなわなかった。そのため文民政府によるシビリアン・コントロールという近代国家の原則はなおざりにされてしまった。政治問題を政治的に解決するよりも、軍事的暴力的に解決する習癖が習い性となってしまったのである。
こうしたアウンサン将軍の負の遺産を民主化勢力自身が対自化し、国軍の力を殺ぐ戦略戦術を頭を絞って考えなければならないのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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