もう、ほとんど詐欺じゃないか
- 2021年 7月 24日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
「リスクを背負いこむ」の続きです。
何年にもわたる売上の低迷は、景気や為替レートの影響もあれば市場の要求に応えられない製品だったりと、さまざまな要因が絡み合っての結果でしかない。それを数字を背負ってる個々の営業マンの能力や努力の問題に帰するのは経営の貧困の露呈以外のなにものでもない。誰もがそう思っているか感じているなかで、経営陣の都合から営業部隊のリストラの話がでてくる。リストラといえば多少の体裁がつくとでも思っているのだろう、営業マンがもっと効率よくセールス活動をできるようにという視点から営業体制の見直しや改善をという話にはならない。何を見て、何を求めて、何をしようとしているのか分からないが、起きることはただ数字の上がらない営業マンの間引きでしかないことが多い。
なかには職業を変えた方がいいんじゃないかと思う営業マンもいるが、組織としてろくな支援もなしで、ただ売ってこいと言われて顧客巡りで五年六年とやって来た営業マンに唐突のレイオフはないだろう。自分たちの無能無策を棚にあげて、営業マンの責任にすればという経営思想に対する不信の念がわいてくる。マーケティングには、ふつうの営業マンが、自己努力が求められるにしても、ふつうにやってれば、ふつうかそれ以上の成果をあげられる体制や状況を作り上げる責任がある。営業マンは社内の客に相当する人たちで、レイオフの責任の一端がマーケティングにある。
初めてレイオフに遭遇したとき、どうにもできない自分が情けなかった。後二週間もすれば顔を合わせることもなくなる営業マンと飲めもしない酒を飲みにいったが、でてくるのはイヤな奴らの悪口ばかりで、いくらもしないうちにそんな話にも疲れてしまう。何もかもが、今こうして飲んでいることすらがイヤになってくる。話しているうちに、経営批判でうるさいし、次はオレかもしれないと思いだす。最後はありもしない空元気をだして、またそのうちどこかで一緒にやろうやで終わる。こんなことを二度三度とくり返せば、気持ちもささくれだってくる。中にはお前のせいでレイオフになったと恨んでいるのもいて、言葉の交わしようのないこともある。
レイオフされる営業マンには申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。そんなかで耳にした、どこかほくそ笑んでいるかのような営業マンの話にはっとさせられた。レイオフを一つの糧にしっかりしなきゃというときに、どうもおかしい。説明のつかない違和感がある。いくらもしないうちに漏れてくる話から古参の営業マンの小ずるい思惑がみえてきた。
いけいけどんどんの高度成長期でもあるまいし、さしたる裏付けもなしで掲げられた営業目標なんか達成できる見込みなどありはしない。なんらかの幸運に恵まれた営業マンだけがノルマをクリアできるだけで、ほとんどの営業マンは未達で終わる。未達の営業マン、いってみればみんな水面下。水面下の深さで営業マンが評価される。
ノルマを達成できなくても、自分より下に何人もいれば、そっちから先にレイオフになるから心配することもないと、ほとんどの営業マンはたかをくくっている。そこまでは誰でもあることで、とやかくいうことでもないかもしれないが、問題はその先にある。自分より成績の悪い営業マンが担当している顧客を気にしだす。売上の上がらない営業マンを見て、そろそろいなくなるんじゃないかと、ちゃちなハイエナのように嗅ぎまわりだす。いなくなったときには美味しい客をと上司に媚をうってツバをつけておくヤツまででてくる。
支店長と取り巻きの話合いで、辞めた営業マンが担当していた顧客が残った営業マンに割り振られる。組織変更やリストラを凌いできた古参の営業マンには美味しい話で、労せずして売上がころがりこんでくる。その分ノルマも増えるが、既存客のお手盛りを足掛かりに売り上げを積み上げる方が手っ取り早い。
引きついだ営業マンは、割り振ってもらった顧客のなかの大口客から手をつける。小口客なら、担当替えの過程で失っても売上には大してひびかないから、リストラした上司もうるさく言わない。来年再来年の話より今日の売上で生きている営業マンとその上司の立場からすれば合理的な判断ともいえる。
灘の装置メーカからは、年に何度か決まった製品の注文がきていたが、それは何かのきっかけで標準採用されたものだった。頭のなかにあるのは受注金額だけで、もう誰も何がきっかけだったのかも覚えてもないし、この先どうこうしていこうなどという考えもない。新たに担当になった営業マンにしてみれば、放っておいても入ってくる小口注文で十分。忙しいを口実にタイヤ製造ライン専業メーカに足を運ぼうとはしない。
いくつかの中口客をもらって、小口まで手が回らないのは分かるが、本社からマーケティングが出てきているのなら、任せておけばいいぐらいにしか思っちゃいない。上司はもっと打算的で、取れるか取れないか分からない新規ビジネスに手間暇かけるのはもってのほか、営業マンは手持ちの顧客と案件をしっかり押さえればいいという考えだった。
この営業放棄はうれしかった。あちこちに実質担当営業不在の空白が生まれた。それまでは、どこに行くにも営業部隊の了承をえなければならなかった。一度も実ビジネスの話になったこともない、何年も営業訪問もしていない会社でも、かなり前に一度名刺交換をしたというだけで、その会社はオレのものだという営業マンの囲い込みに往生していた。勝手にオレの客に手を出すなと言う、まるでヤクザのシマのような感覚だった。
マーケティングは営業の後ろ部隊として営業を押し上げるのが本来の任務なのだが、押し上げようとしても日々の数字にしか興味のない営業マンには煩がられるだけで相手にしてもらえない。金になる市場があることを、そして注文がでてくるところまでまとめなければ営業マンは出てこない。へんに出てこられても足手まといにしかならないから、いざ注文となったときに呼びつければいい。社内の分掌規程で、マーケティングは本来見積も出せないし注文も受け取れない。なんとしても注文をと灘の装置メーカに一人で通いだした。
やっと見積は出したが、いつものように価格が折り合わない。仕様を値切って価格を調整して初受注にこぎつけた。三千万円までは行かなかったが、年に三、四台は期待できるから、うまくいけば億を超える。仕様の詰めも価格の調整もなにもしないで、二度同席したというだけの棚ぼた、古参営業マンはニコニコだ。数ヵ月後には、底の浅い樽のようなお中元が届いた。守口漬けと書いてあったが、名前も聞いたことがなかった。何かと思って開けてみたら、太い牛蒡のようなものがとぐろを巻いていた。社内でお中元は勘弁してほしい。相当額の紅茶を送り返した。
型番さえ指定すればこれと決まる標準製品のルートセールスしかしてこなかった営業マンにドライブシステムは荷が重い。客と事業部の間にはいって、何をどこまで取りに行くのかという請け負う仕事の範疇の取り決めからはじまるが、事業部と英語で技術的なことに加えて、政治的な駆け引きをしなければならない。客の言うままに聞いていたら、事業部の言いなりになっていたら、決まるものも決まらない。客の要求と事業部の都合を掴んで、どこまでは譲れるのか、どこは絶対に譲れないのかの見極めと調整は難しい。お互い同じ船に乗り合わせた、乗ってしまったという気持ちの既成事実を作り上げて、客を説得して事業部を押し切る腕力がないと務まらない。
客ごとにプロジェクトごとにしなければならないこともやらなければならないことも千差万別で、これをすればいいという明文化したものなどありはしない。なんとか初受注にこぎつけても、標準採用の立場にいた競合の巻き返しにあって取り返される可能性もある。リピートオーダーにしても細かな違いがある。それは当事者としてやってみなれば分からない。遠目に見ているだけの営業マンには、結果としてでてきただけの美味しい仕事に見えるのだろう。それまでは勝手にやってればと半分以上馬鹿にしていた営業マンの何人もが、俺には(大口の美味しいの)ないのかといってきた。
客先で機械に取り付けなければならないものもあるし、ドライブシステムが届かなければテスト運転どころか機械を動かすこともできない。納入されたら、大阪のアプリケーションエンジニアに現場作業を任せようと話をしてきた。自分たちの存在を誇示する絶好の機会だし、一肌脱いでくれるものとばかり思っていた。ところが、大阪のアプリケーションエンジニアリング部隊は口だけで、端から自分たちの仕事ではないと思っていた。PLCやバーコードリーダを売ってきた百ボルトラインまでの制御屋で、五馬力程度のモータならまだしも、二百馬力や三百馬力の直流モータなんか怖くて触れないと平然としていた。
半年以上前にドライブ事業部からマーケティング担当とテクニカルトレーニングの講師を呼んで、四日間通しでハンズオンまでのセミナーを開いたが、当事者意識がないから何も拾わない。まさか、大きなモータやドライブなんか売れると思っていなかったのだろう。実の作業が求められる段になっても、他人事としか思っちゃいない。
初ものだし、大阪に任せるわけにもいかない。システムの納入と同時にアプリケーションエンジニアを派遣してもらえるようジェコインスキーに依頼した。エンジニア一人の出張コスト、新規市場への入場料としたらタダみたいなもんだ。
モータを取り付けて、押し出し機のテストとなると二週間は欲しい。エンジニアは一日で来れるが、モノはそうはいかない。納期が心配でひと月前から出荷日程の確認を始めたが、埒が明かない。何度確認しても、「スケジュール通りだ。心配するな」としか言わない。
後二週間しかない。いい加減言葉も強くなる。
「もう二週間しかないぞ。明日にでも出荷できるのか」
まるでオウムのようにスケジュール通りだという。
「スケジュール通りなら、もう日本についてるはずじゃないか。いつ出荷できるんだ。客の作業のスケジュールもあるから、いつ届けられるのか連絡しなきゃならない。いつ出荷できるんだ」
組織的知能障害でもあるんじゃないか?何を言ってもスケジュール通りだという。とっくにスケジュールがずれ込んでいるのになにがスケジュール通りだ。ふざけるな。
「いつ出荷できるんだ」
「スケジュール通りだ」
素面でいっているのか?
「客になんといったらいいんだ。とっくにスケジュールの日がすぎてるのに、スケジュール通りって言えるか。いつ出荷できるんだ。メールでいいから、明日の朝には出荷日程を送ってこい」
客先の出荷まであと一週間。客先でのテストはあきらめた。課長に平謝りに謝って、エンドユーザの工場で結合してテストもらうことにした。綱渡りになるが、他にやりようがない。ジェコインスキーにメールを送って電話した。
「ドライブシステムはロアノークに送って、アプリケーションエンジニアを送り込んで、現地で動作試験をしろ」
「スケジュール通りは聞き飽きた。もう現地で作業するしかない。分かってんだろうな」
いつものことで返事だけはいい。こういえばああいうのならまだ手応えがある。こういえば、じゃあこういうことでもというのかつかみどころがない。昔メキシコの客先で聞いた、「Si,senor (はい、そうです)」を思い出した。英語が通じない工場で、いくら何を話そうが、説明しようが、帰ってくるのは「Si,senor」だけだった。何時間たっても何も起きない。「Si,senor」が「はい、そうです」じゃないことに気がつくまでさしたる時間はかからなかった。それは言葉が不自由で意志が通じないというのとは違う。何をいってこようが、自分たちの都合あるいは限界があって、相手の話の正当性や整合性なんかかまいようがない、対応しきれないという社会的、組織的現実を見せつけられた。
一つ例をあげればメキシコの郵便制度(一九七九年当時)の信頼性がある。ニューヨーク支社から客先宛てに郵便で送ってもらったマニュアル類は三度、工具類は二度途中で紛失した。どうしようもないから、代理店の営業マンがニューヨークまで取りに行ってきた。それは社会の問題で、発送した側も受け取り側もなんともしようがない。日本に送った絵葉書など届くわけもない。
それでも大した遅れもなく、ロアノークにドライブシステムが届いた。アプリケーションエンジニアも行って、結合テストもざっと済ませてきた。機械メーカはそこから据え付け調整を始める。
契約した納期に間に合わずにエンドユーザでのやっつけ仕事になってしまったが、ジェコインスキーからのメールには上手く行ったと書いてあった。
もう終わったものと日鉄のレールのプロジェクトミーティングの準備を始めているところに、大阪支店のアプリケーションエンジニアリング部隊のマネージャから電話がかかってきた。
「灘からものすごい文句の電話がはいっとんやけど、アメリカどないなっとんや」
なにを言われているのか分からない。ジェコインスキーからの連絡ではすべて順調、何の問題もない。
「えぇ、何? どうかしたの?」
「どうかしたのやあらへんで、もうめちゃくちゃでどうにもならんて、かんかんやで」
「何が?」
「何がって、決まってるやろ、押出機のシステム、モノは組みあがってるようやけど、まともに動いちゃいないし、誰もこんって、きたりきなかったりって……」
そりゃないだろう。ジェコインスキーに何度も進捗を確認して、そのたびにもう終わったからって言われていた。
「えぇ、なにが?事業部からはもう終わった。すべて予定通りだったって聞いてるけど」
アメリカからの報告と大阪が言っている事の違いすぎて、何が起きているのか想像がつかない。
「ちょっと待ってくれ。今晩アメリカに電話して状況を確認してからにしてくれ」
客に状況確認の電話を入れる前に、社内で確認できることをしてからにしなければと思って、一日待ってもらうことにした。
2021/3/24
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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