毎月3日に
- 2022年 4月 12日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘
韓国通信NO693
我孫子駅頭でステッカーを掲げるようになってから6年たつ。
金子兜太さんが書いた「アベ政治を許さない」を持って毎月3日に駅頭に立つ。ただそれだけ。気楽そうに見える1時間だが、終わって家に帰る時には緊張がとけてほっとする。
スタンディングには前史がある。原発事故に抗議して毎週金曜日に首相官邸前に出かけるようになった。100回を超すあたりから参加者がめっきり減りはじめた。事故を「風化」させてなるものかと通い続けた。そこは多くの人たちとの出会いと学びの場、静かに考える時間になっていた。
やがて金曜集会は安保法制反対の大きなうねりの中に溶解されていった。二つの集会が怒涛のようにひとつとなった歴史的な光景が今も忘れられない。多くの若者たちが合流した。1960年、安保条約が自然成立を迎えた日、高校の友人と議事堂前に座り込んだ55年前の記憶と重なる。雨上がりの雲間からのぞいた青空が印象にある。
安保法制が強行採決され、地元に活動の場を移した。
月一回の駅前行動。通り過ぎていく人たちを眺めながら、「こんなことして何の意味があるのか」と自問しながら、「これくらいしかできない」と自答を繰り返してきた。声をあげたりビラ撒きもしないずぼらぶりが長続きさせたのかも知れない。修行僧みたいに立っているだけで成果は求めない。「非国民」として排除される日まで続けるつもりでいる。
今月の3日は生憎の雨だった。同時刻にいつもやってくる友人は「安倍政治の継続は許さない」のゼッケンを首からぶらさげ、私は「戦争反対!ウクライナに平和を」のステッカーを掲げた。安倍が首相をやめたらスタンディングはやめるつもりと言っていた彼だが、首相が菅になっても岸田になっても続けている。
<桜の花から戦争のきざし>
世界中の政治家たちの顔がプーチンに見える。バイデン、習近平、マクロン、ゼレンスキーも岸田もプーチン顔だ。テレビの映像と音声が辛い。悲劇と狂気が溢れる日常。美しい桜さえ不吉に感じられる。
ウクライナが広島・長崎、戦争末期の米軍機による空襲、沖縄戦、ベトナム戦争、南京大虐殺の蛮行、原発事故と重なる。核兵器の廃絶と恒久平和が求められる21世紀に「核戦争に備えて核保有」「敵が攻めてくる前に先制攻撃」「国のために武器を取れ」と想像もしなかった言説が巷にあふれだした。
これが狂気でなくて何だろう。ウクライナ侵攻の露骨な政治利用! 日本政府の「にわか」平和主義と人道支援は戦争準備と裏表の関係にある。世界の反戦・反核運動と第三次世界大戦の分岐点に立つ現在、わが国の核兵器と敵基地攻撃能力の保有はアジアの緊張を一気に高めるに違いない。平和憲法を持ち世界平和に貢献すべき日本にアジアから注目が集まっている。核抑止力論はプーチンによって完全に破綻した。現実を冷静に受け止めたい。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion11939:220412〕
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