ベオグラード「ヘルシンキ人権委員会」の米陸軍セルビア占領要請――プーチン/ラブロフ侵略を実見して、クリントン/オルブライト侵略を再考する――
- 2022年 4月 12日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
1999年・平成11年3月24日、NATO19ヶ国が新ユーゴスラヴィア(セルビアとモンテネグロ共和国から成る連邦国家、コソヴォはセルビアの北部)を空爆した時、アメリカ国務長官マドリン・オルブライト女史は、新ユーゴスラヴィアのミロシェヴィチ・セルビア大統領が数日で降伏すると予定していた。降伏は実現しなかった。しかも、コソヴォをセルビアから事実上分離させるのに、想定外78日間の大空爆が必要であった。
NATOと新ユーゴスラヴィアの戦力比は700対1。空爆に参加したNATO航空機は1200機。イタリア、ドイツ、英国、トルコ、フランス、ハンガリー、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、マケドニア、ブルガリアから出撃した。35000回の出撃で、約900機の戦闘機・戦闘爆撃機が新ユーゴスラヴィア領内1000個所に2500回の空爆を行った。アメリカだけで、3航空母艦、7潜水艦、2巡洋艦、7駆逐艦、15フリゲート艦が参加した。
新ユーゴスラヴィアは、人口と面積ともにウクライナの6分の1ほどである。そんな小国がロシアの何倍もの戦力を持つNATO諸国総出動の空爆に耐えていた最中、それだけでは足りない、地上軍を出して、セルビアを占領せよ、と訴えるセルビア人がアメリカに姿を現した。新ユーゴスラヴィアとセルビアの首都ベオグラードに本拠を構える「セルビア・ヘルシンキ人権委員会」の創始者・議長のSonja Biserkoソーニャ・ビセルコ女史である。
彼女は、NATO空爆が始まった一週間後にベオグラードを脱出して、4月末にアメリカ国務長官マドリン・K・オルブライト女史に会って、セルビアを占領するように直訴した。
ビセルコ女史の提案する対策は、
①セルビア大統領ミロシェヴィチの戦争犯罪法廷による告発、
②セルビアの軍事的敗北と脱軍事化、
③セルビア人の名前でなされた野蛮な諸行為を直視させる公開裁判、
④マスメディアの西側諸国による接収と極端なセルビア民族主義宣伝の禁止、
⑤対バルカン・マーシャルプラン。
「多くの生命、何十億のコスト、何年もの期間がかかる占領を西側が喜んで行うべきだとする理由は?」とアメリカ人に問われて、ビセルコ女史は、「ほかに選択肢があるの?!」と答え、「西世界は、その政治的本能を喪失してしまっている。人権の諸理想を実質化するために、ある時点であなた方は喜んで部隊を派遣せねばならない。」と明言した。
The New York Times Weekly Review, Culture War What It Would Take To Cleanse Serbia, by Blain Harden, Sunday, May9, 1999, 朝日新聞東京本社、 p.1,p.4
セルビア民族とセルビア軍の防衛戦意の高さ深さを――ウクライナに対するプーチンとは違って――知っていた米英独仏伊の首脳は、空軍と海軍の出動だけにとどめ、陸軍を派遣しなかった。「セルビア・ヘルシンキ人権委員会」の提案に乗って、米軍がセルビア軍とベオグラードで戦っていたとしたら、と想像するだけでぞっとする。
「人権」の名目がありさえすれば、一国の主権を侵犯してもよろしいと言う北米西欧市民社会エリートの思想に、セルビア国内の市民社会エリートが共鳴した構図、それがビセルコのオルブライトへの直訴である。
ここに大和左彦詠三首
ひむがしのスラヴ平原いくさ風
令和の桜吹き散らしけり
国権は人権と共民生くる
型にこそあれ忘るるなゆめ ビセルコに贈る
人権は国権と共民栄ゆ
型にこそあれ忘るるなゆめ プーチンに贈る
令和4年4月10日
大和左彦/岩田昌征
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11942:220412〕
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