テント日誌9月29日版
- 2022年 10月 3日
- 時代をみる
- 木村雅英
経産省前テントひろば1807日後
秋分の日の座り込みはこんなもの 9月23日(祝)
今日は秋分の日で経産省はお休みですが僕らテントひろばは休日バージョンでの座り込みで実施しています。12時から3時までの短時間での座り込みなので人数とグッズを最小限にしての行動です。台車を転がして経産省前に向かう途中、警察車両が目立つので何かなと思ったら、今日は日比谷公園や芝公園で集会やデモがあるとのことでした。経産省前に到着してからセッティングを完了させてすぐに若い警察官がやってきて、「今日はこの近くをデモが通るから気を付けてください」とのことでした。警官も僕らに敬意を払って『身体に気を付けて、とか右翼の街宣車も来るので注意をして」と情報も提供してくれました。
私は娘の所からSOSが入ったのでMaさんに断り、少し早めに孫の所へ途中から向かいました。私がいなくなってからドン・キホーテさんが、車で来てくれて終わりの片付けも手伝って運んでくれたそうです。また、右翼が財務省の前で宣伝カーで「何が脱原発!」と怒鳴っていたそうです。でも実害はありませんでした。いろいろな人からの援助で僕らの座り込みも11年以上続いているのだと思うと、皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。僕らが元気なうちに脱原発が実現出来ると嬉しいです。(S・S)
雨の霞が関で国葬警備に走り回る警備の人を見ていた 9月24日(土)
家を出るときは降っていなかったのに霞が関に着いたら雨。
合羽を着てセッティング。
今日は当番のOさんがお休みなので3人だけでひっそり座り込む。
国葬のせいで警官があちこちに立っていた。
雨が降ったりやんだりで彼らも雨具を着たり脱いだり、それを入れると思われる手提げを持っているのにちょっと親しみを感じた。
自転車で巡回している警官も何度も通る。
国葬反対が多数なのに、ごり押しして無駄な税金使う岸田政権には怒りしかない。2時ごろ英語の先生、そして西部ユニオンのお二人が来てくれて賑やかになり話が弾んだ。西部ユニオンのお二人は昨日二つの国葬反対デモに参加したそうだ。
片付けるときには雨がやんでいて良かった。 (I.K)
脱原発川柳句会開かれる 9月25日(日)
9月25日(日)12時より脱原発青空テント川柳句会が開催されました。
選者は乱鬼龍氏、席題は「決別」「あたりまえ」14時30分投句締切、14時40分より入選者の発表、披講となりました。
台風も過ぎ、久しぶりに爽やかな青空が広がった一日でした。
明後日に迫った国葬儀警備のため岐阜県警や他県のパトカーや白バイが何台も経産省前の通りを走り、ヘリコプターも警視庁あたりから離着陸を繰り返していました。三連休最終日とあって、観光客らしき人も多く通りかかる往来多めの一日でした。
川柳句会の今回の参加者は初参加1名が加わり7名、選者により入選句が読み上げられ、入選者へ梨(乱さん曰く、原発はもうナシに)やミカン(乱さん曰く、原発は未完の技術)、雑誌「季節」や原発いらないふくしまカレンダーなどの景品が手渡されました。
入選句は以下の通りです。 (S.E.)
「決別」
特選
・原発からアベカルトからアメリカから - ふ64
秀句
・協会と決別さけたい自民党 - まごじい
・自民党決別したぞ表向き - 海の民
・決別の決意新たにアベ国葬 - 芒野
・政治金決別できぬ与党達 - 金狼と月
・原発の決別のばすもうちょっと - 原子力ガリレオ
「あたりまえ」
特選
・大人なら地球汚さぬあたりまえ - 芒野
秀句
・ガン多発フクシマ由来にしか見えぬ - ふ64
・想定外想定なしではあたりまえ - 原子力ガリレオ
・あたりまえそこにかくれたイレギュラー - 金狼と月
・ゴリ押しの魔法の言葉は「あたりまえ」 - まごじい
・核ありき国葬反対あたりまえ - 海の民
次回の脱原発青空テント川柳句会は2022年10月30日(日)12時より開催いたします。
是非ご参加ください。
青空句会あり。実際に、台風一過の青空でした。
本日の参加者は13-14人くらいでした。
ケロップ @keroppu8649
脱原発・経産省前テントひろば (365日座り込み)
久しぶりの青空です。
今日は最終日曜日なので乱鬼龍さんの青空川柳句会があります。
pic.twitter.com/QEr2cwoNAt
2022/09/25 12:36
安倍国葬を控えて警備は一段と強まる 9月26日(月)
昨日に続ききょうも快晴。日差しが強く汗ばむ陽気で一昨日までの雨が噓のようである。
アベの「国葬」を明日に控えて警備が一段と強化されているようだ。六本木駅からバスに乗ってきたが、アメリカ大使館近くの商船三井ビル周辺は警官で一杯だった。経産省前でも警官がひっきりなしに行きかっている、何の用事で動いているのか分からないが。何時ものように反原発ソングを流していると警官が慌てて駆け寄ってきた。何事か?と思ったら反原発ソングの音が彼らには予定外の事態だったらしく「あー、ラジオの音ですか」と言って納得して帰っていった。我々が毎日ここで座り込んでいるのは分かっていたが音楽まで流しているのは知らなかったようだ。
1時頃、一台の右翼の街宣車が静寂を破って登場。内容はオリンピック贈収賄事件に関わっている電通・アオキ・カドカワなどを批判するものだった。特にどこかの省を名指しで批判することもなく通り過ぎて行った。何のためにここまで来たのか分からなかった。
MiさんとÝ君が何処かに出かけたが30分以上も帰ってこなかった。何処に行ったのかと思ったら国会・官邸前で何かやってないか見てきたとのこと。何もやってなかったが警官と警察車両の多さにびっくりしたとのこと。「内閣府」と書かれた車が3台もあったそうだ。外国からの要人を乗せる車なのでしょう。先ほど来たOさんによれば2時から国葬反対の院内集会が開かれるとのことだった。夕方6時ごろから新宿でも集会があると東京新聞のコラム欄に載っていた。
快晴だというのに経産省前の人通りは意外と少なかった。疎らという感じ。その分だけ警官の多さが目立つ一日であった。明日は午前中から国葬反対のデモに参加して我々の意思を表明しよう。(保)
安倍国葬の日だ 9月27日(火)
今日は岸田首相が主宰する「安倍国葬」の日。
昨日26日には、衆議院議員会館で「国葬反対大集会」が2時から5時半近くまで開催された。そして、今日は日比谷公園ではいくつかの団体が国葬反対の集会デモが企画されている。
また、2時からは国会正門前での抗議集会もある。いつものように経産省
前に出かけると、さっそく制服警官がやってきて「今日は何時まで?」と聞かれる。そして、日比谷公園の集会に参加した数名の方が経産省前にやってこられた。いつもは霞が関にはこない方も現れるかもしれないと踏んで、3年近く前に出版した渕上太郎著「脱原発経産省前テント、ここに在り!」を5冊持ち出して、机の上に並べたら購入してくれる方がいた。今月23日に開催された由井格さんを偲ぶ会でも持ち込めばよかった。明日には「日中国交正常化50周年記念集会」が開催される予定。(EO)
国葬の日に街宣していた希望の牧場の吉沢さんが 9月28日(水)
セッティングを終えてしばらくしたら、福島県浪江町の「希望の牧場」の吉沢さんがテントひろばに来られた。昨日の安倍国葬に反対して東京に来られ、九段下~武道館界隈、霞が関界隈を「国葬反対」でカーゴジラの街宣をされた。国会正門前の反対行動にも参加された。9.11のテント11周年集会の時にその計画を話されていた。今日は夕方から、レイバーネットTVで、鎌田慧さんと一緒に「国葬反対と原発」について話すので、
(http://www.labornetjp.org/news/2022/0928kokuti)それまで街宣をしながら経産省前にも来られたそうだ。
吉沢さんはすぐにあの性能のいいマイクで、国葬がいかに人民を愚弄したものであるかを話した。安倍は「アンダーコントロール」で汚職にまみれたオリンピックを呼び込み、福島原発をなにひとつ解決せず、福島を忘れされようとしたことを腹の底からの怒りをもって弾劾された。そして、「国葬」で安倍を賛美すればするほど、臨時国会では安倍・自民党の統一教会との一体化を明らかにせざるを得ないと言われた。さらに岸田が原発再稼働、新・増設、小型化を言っているが許せない。また来年から放射能汚染水を流すと言うが、浪江町の請戸漁港はどうなるのか、漁民はどうすればいいのかといったことをアピールされた。そのあと、テントひろばでみんなとずっと話し込んで行かれた。
今日は原発避難者千葉県訴訟の控訴審があり、その傍聴をする前に寄ってくれた人もいた。吉沢さんは3時過ぎに再度マイクでのアピールをされてレイバーネットTVに向かわれた。保っちゃんのパンを吉沢さんも持っていかれた。今日の参加者は10人だった。(T・I)
本日は「日中国交正常化50周年」だった 9月29日(木)
今日は、後半当番者のSさんが11時に車で来られたので事務所より座り込みグッズの搬出作業と運搬が非常に助かりました。そのSさんは、撤収まで頑張ってくれましたので、これまた帰りも大助かりでした。
13時頃には、西武ユニオンのお二人も参加されて6人が座り込む、本日は「日中国交正常化50周年」になる日で、本来ならば大多数の国民が反対した27日の安部の国葬儀などを強行するのではなくて、これこそ政府をあげてお祝いをするべく政策をとるべきであったと思う(CIÄの言う通りの自発的隷属政府ではなく)。
14時半より、日本祈禱団47士による月例祈禱会が経産省正門前で行われた、トランペットとトロンボーンによる「平和に生きる権利」の演奏で始まり、憲法を破壊し、官僚機構までも破壊した安倍政権とそれを受け継いでいる岸田政権の弾劾、経産省は原発マフィアの巣窟だ~と鋭く糾弾した。終盤には「原発再稼働反対」「原発新増設反対」「辺野古基地建設反対」等のシュプレヒコールを参加者全員で経産省に叩きつけた。 (Y・R)
騒がしくてやがて空しい「国葬」かな 投稿(三上治)
9月23日(祝)に僕は友人の「偲ぶ会」をやった。かつて1960年の安保闘争を共に戦い、それ以来の長年の友人だった3人を追悼するためだった。その一人はこの経産省前のテントにも参加され、しばしば季節の果物やワインなどを差し入れていただいていた由井格さんだった。由井さんは今年の8月になくなられたが、野辺送りも出来なかったので「偲ぶ会」をやった。
コロナ禍とやらで、巷では野辺送りもできない状態にある。また、「偲ぶ会」や「追悼の会」のようなことも開きにくい。これは病院や施設とやらに面会もままならないことの続きのようなことだ。「密」になることが禁じられている結果である。それに比べれば安倍晋三の「国葬」はおおっぴらだった。この時節にねぇ、というのが最初の感想だったが、これはその悲劇的な死では許されることかな、と思った。
ただ、僕がそこでまず、感じたのはこの国葬につきまとう不純さだった。国葬であれ、自民党葬であれ、人の死に対して生前何らかの関係にあった人が、その死を悼み、弔いをしょうとすることは自然である。人間的な所業であり、誰からもとがめられることではない。形式の如何にかからず。だが、そうであるが故に人はそこに人の死を悼む、あるいは弔う自然な気持ちがなければならない。そんなことはいう及ばないことというかもしれない。僕は岸田首相が安倍の死に対してそういう気持ちがあったのか、どうか疑念を持った。いうならそこに不純なものを感じたのだ。不純なものとは政治的なものと言っていい。
僕は思い出すだが、戦争での死者に対する弔いである。英霊として靖国神社に祀るという国家的所業に国家的目的というか動機に不純なものを僕は感じる。はじめから国家や権力は国家意識の高揚を目的としていたのだとしても、そこに僕は人間の死に対する不純なもの、あるいは不徳なものを感じる。不可避に戦争に加わり、そこで死に直面せざるをえなかった人々への哀悼としてはおかしいと僕は思う。
岸田には安倍への深い思いがあってやむに已まれぬものとして、この追悼を決意したとは思えない。僕はそこに政治的な動機を感じた。これは僕の変な勘ぐりなのだろうか。そうなら、誤らざるをえないが、それでも、その方がよいこと
だろう、と思う。岸田は政治家なのだぜ。政治的に考えて当たり前だという、声も聞こえる。でもそうなら、それは政治的にも失敗だと思えてならない。僕はこの国葬にこんな疑念を持ったのだが、それは今も消えない。国葬に対する説明不足という人々の批判は岸田の言葉に切なるものが感じられないということだった、と思う。
岸田の動機の中に感じた疑念は私的なことであるが、このことから少しはなれれば、今回の国葬に感じた疑念は、安倍政治は国葬に値する政治だったのか、ということがある。誰がみてもその政治が国葬に値するというのは難しいことかもしれないが、安倍政治はそうではなかったという思いが僕には強くある。岸田は今回の国葬の理由に「安倍が長期の政権担当者であったこと、つまりは憲政上の最長の首相であったこと」を上げている。
確かに、安倍は長期の政権担当者だったし、それにはご苦労なことも山ほどあったと思う。けれども、この間にやった安倍政治が国葬に値するものだったか。僕は疑問に思う。ここのところでも岸田は安倍政治が国葬に値する政治と考えていたのか、どうか疑問なのだが、少なく見積もっても僕は二つのことを指摘できる。彼の非民主的な政治態度であり、もう一つは彼の「戦争」と呼び込む国家方針である。ただ、話が長くなるので。今回は彼の非民主的な政治のことに触れる。
それは安倍政治が民主主義の否定の政治だったということだ。国葬の理由に民主主義を守るということが掲げられているが、安倍の政治は国葬に値するような民主政治だったかということだ。僕の結論は逆である。
一般には民主主義の危機だとか、今こそ民主主義をまもれという、この国葬も銃撃による言論封じという非民主的行為に対して民主主義を守るためという。安倍は「日本を取り戻すとか」とか、「美しい日本」とかのナショナリズム的な言説と「自由と民主主義と人権」という価値観を保持するという言説を掲げてきた。いうなら彼は民主主義を標榜していた、果たして彼は民主主義を実践していたのか、安倍政治は民主主義政治だったのか。そうではなかった、非民主的政治だった、というのが僕の認識であるが、これには説明がいると思う。
世界ではプーチンも習近平もトランプもバイデンもみんな民主主義をいう。
民主主義にもいろいろとある。多分、僕らはプーチンにもトランプにもその民主主義は変だというか、ちょいと違うと思う。例えば、プーチンが西欧流ではない東方の民主主義だと言っても、そんなぁあほなことはない、彼の政治は強権的で専制的なものであり、彼の政治を誰も民主的ではないと思う。頻繁に人殺しなどがある統治(政治)が民主的なものであるはずはない。非民主的なものとすぐに実感できる。けれども、じゃあ民主主義って何なんなのだというと以外わかりにくい。国民主権とかいろいろの言葉があるが、それは国家統治の方法であり、様式である。
国家を統治する、国家の意思決定をなす方法である。国家の意思(政策や方向)を決めていく方法のことである。それは国民の意思において決めていくとか、意思の自由な発現を基盤にしてとかいわれるものだ。国民主権とか自由な意思決定において国家意思が決められていくというものであり、より具体的にいえば「議論による統治」ということである。「議論による統治」というのは意思決定が議論、つまりは討議よって行われると言いうことである。
過程(手続きが)民主主義というのはこの討議の過程ことであり、この手続を経て意思の決定(合意)なされるということである。僕らは民主主義を多数決による決定の原理というように教えられてきた。これは独裁者の意思決定対してのことという面を表しており、どうしても意思決定を行わなければならないとこに方法であり、多数決による決定が民主主義ではない。国民の意思や意思の自由な発言が「議論という形で現実化していくこと、そういう方法での意思の決定(合意形成)が民主主義である。逆にいえば意思決定が「議論」を経ずに決定されていくことが非民主主義なのである。この場合に権力なり、支配共同体にあるものが国家の意思を決めていくことであり、国家の成員それに隷属していくのである。強制力を伴った隷属か自発的隷属は別にして自己と関係のないところで意思決定に従わされるのである。これは「議論」ではなく、「慣習による統治」といわれるものである。例えば、「天皇の統治」というのがある。それは歴史的に天皇が決めた統治を慣習として受け継ぐというものである。国体が盛んに主張され、それは「天皇の統治」だと言われた。
その主張をした人もそれが何かを説明出来なったものだった、といわれる。この天皇の統治は「慣習による統治」であったのだが、それは権威による統治であった。そのためには天皇が神であったのだが、神つまり、宗教的な権威に統治だった。国家の意思決定が天皇という権威による意思決定であり。慣習による意思決定であった。国民(市民や地域住民)の意思志とその自由な意思表現によって国家意思が決定されていくという民主主義は「天皇の統治」(国体)の対極にあるものだ。
安倍は自分が民主主義ものであると自認していたが、その政治的態度、あるいは政治的手法は「議論」を経て、あるいは「議論を持って意思決定とするということをやらなかった。一つひとつ例をあげなくともいいが。僕は彼の祖父の岸信介が1960の安保批准において警官を導入に反対派暴力的に排状した強行採決が非民主的な行為として国民的な非難を浴びたことを想起する。これは「議論を経て意思決定」をするという民主主義の否定であり、この議論を暴力的に封じての採決だった。それは非民主的な独裁的政治と言われた。当時、これは独裁政治として批判された。
多数決による決定という形式的に民主主義を踏まえたとして岸たちは居直ったが、本質的な民主主義の否定であり、暴挙であるとして多くのの人が非難したことだった。安倍は祖父たる岸のこのときの政治手法を踏襲し、強行採決を常套手段としてとってきたが、そもそも、「議論による統治、つまりは意思決定」を鼻から無視してきた。議会軽視というが、議会が「討議による統治(意思決定)」の場としてあること、それが国民主権や自由な意思の発現の場(歴史的形態)であることを鼻にもかけないでいたのだ。
彼は頭から無視していた。オリンピック委員会で森喜郎が議論(発言)について述べ反発をかったことを想起すればいいのかもしれない。彼らにとって議論は翼賛的なものか、形式上の必要ごとに過ぎない。彼は政治家に要求されるものが議論をできる能力であること、つまり立法能力とは議諭を組み立て領導できることを無視した。というよりはこういう認識を持っていなかった彼は自分を「闘う政治家」と称していたが、闘うということはどういうことかわかっていなかった政治家である。意思を暴力的、あるいは実力的に通すことを「闘う」ということと錯覚していたのかもしれないが、それは強権的、専制的政治家がとる方法であり、彼は「議論をできない」というコンプレックスをこんな風に解決しょうとしていたと想像すらできる。
安倍は憲法改正に執心していたが、そもそも憲法についてどのように理解しているのか疑問だった。国民主権とか、自由な意思の発現とか、いうなら立憲主義的な意味での憲法理解には程遠いとこにあると思っていた。これは彼が自分は「自由と民主主義と人権」という価値観にあるということを繰り返しているのをみながら、疑問に思ってきたことでもある。統一教会との関係を見ても明白だが、彼にはこのような理念とは関係ないというか。
むしろその反対側にあるものだった。プーチンや習近平が民主主義をかかげても、その対極にある存在のように、彼は国家主義というか、そういう思想を祖父の岸信介から学んだのだと思う。
彼は統治主体が国家権力を構成する権力の部分にあり、国民主権には否定的だったし、自由ということにも否定的だった。
僕は安倍政治と対峙しながら、それなら自由や民主主義は何処にあるのか、可能性も含めて何処にあるかを考え、自問してきた。自由や民主主義は言葉として存在し、流通しているが、それはどこにも存在しない。それが現実である。それは横行する言葉とは裏腹に不在であり、空白あり、未来から視線としてだけある。ただ、権力や体制に抗う運動の中になかにそれが散見できるだけである。
ロシアの侵略に抵抗するウクライナの人々に姿に垣間見られるように。このことは僕らが安倍政治と闘う時に困難性としてあったっし、民主主義の困難性でもあった。これは安倍政治を国葬として権威化した岸田等との今後にも続く事でもある。ここでは書かなかっただが、国家意思を戦争が可能な方向に組み直そうとしたことヘの闘いとしてもある。この点については安倍の残した負の遺産としてはっきりさせたいと思う。
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経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その199
東電福島第一原発1号機の耐震性が心配~森重晴雄さんが近藤駿介「最悪シナリオ」再来を憂える~
2022年9月30日 木村雅英(経産省前テントひろば)
私は、日本列島に大きな地震が起こる度に、近くの原発が大丈夫か? 特に稼働している原発は? と心配している一方、事故後の収束・廃炉作業が全くうまく行っていない東電福島第一原発(イチエフ)はどうなのだろうと心配していた。汚染水「海洋放出」もけしからんが放射性廃棄物の塊であるイチエフが再び事故を起こしたら大変だから。現実には、福島事故対策検討会の森重晴雄さんの話を聞くと、今も非常に心配な状況であることが分かったので、ここに紹介する。
詳細は、福島事故対策検討会(http://www.internetkobe.jp/fukushima/)をご覧いただきたい。
1 圧力容器/格納容器に耐震偽装の疑い
東電の評価は、せん断(注:剪断、面に平行方向の力)のみを抜き出して健全と評価しているが、曲げ(転倒)を過少評価している。
その理由は次のとおり。
(1)関係企業の共同研究で、曲げがせん断より優勢であった
(2)イチエフ1号機の評価方法は他電力(例えば女川2号機)と異なる
(3)鹿島建設などが、原子炉を取り除いてせん断だけが強く出る振動実験(偽装実験)を行った
(4)理論的にも1号機の形状から曲げがせん断より優勢
2 ペデスタル損傷の写真が示す現実
下図が示すようにペデスタル(台車)の損傷は非常に厳しく、今後の地震で原子炉倒壊の可能性。その場合、近藤俊介「最悪シナリオ」(半径250km・5千万人避難)以上の事態が起こる可能性。
……………………….
・10月5日(水) 二つの行動に参加を!
★ 第51回 日本原電本店前抗議行動 17時~17時45分 原電本店前
★ 第109回 東電本店前合同抗議 18時30分~19時30分
・10月7日(金) 経産省前抗議行動(17時~18時)(毎週)
・10月19日(水)大間原発建設差し止め裁判 第28回口頭弁論
◆ 10月19日(水)15:00 東京地裁 103号法廷
◆ 大間原発裁判報告と講演会 16;00 参院議員会館
【大緊急拡散お願い!】
★プーチン政権によるイジューム虐殺、動員令、偽住民投票、核使用の脅迫に抗議します!
<明日>
プーチンは侵略戦争をやめろ!ロシア大使館前緊急抗議
9月24日(土)16時~16時45分
※15時45分 神谷町駅2番出口地上に集合
(プラカードなど持参歓迎)
呼びかけ 武器取引反対ネットワーク(NAJAT)
賛同 チェチェンニュース編集室
連絡先 090-6185-4407(杉原)
◆同じく24日14時からは、渋谷ハチ公前で「戦争に反対する在日ロシア人」の
皆さんによる抗議アピールが行われます。
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木村雅英 KIMURA Masahide
e-mail : kimura-m@ba2.so-net.ne.jp
携帯TEL : 080-5062-4196
Twitter :@kimuramasacl
経産省・規制委・放射線被曝の批判ページ:http://www.jca.apc.org/~kimum/
団体参加:経産省前テントひろば、再稼働阻止全国ネットワーク、原子力規制委員会毎水曜昼休み抗議行動、原発いらない金曜行動
会議参加:さようなら原発1000万人アクション、eシフト
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4955:221003〕
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