経産省前脱原発テント座り込み日誌10月6日版
- 2022年 10月 10日
- 時代をみる
- 木村雅英
経産省前テントひろば、脱原発テント設置日(2011年9月11日)から1807日目(2016年8月21日)にテント強制撤去。2022年10月6日は、座り込み4,045日目。これは、マハトマ・ガンディー「非暴力、不服従」の実践です。
◎ ウトロの話を聞いて、また京都に行きたくなった 9月30日(金)
事務所に行くと、いろはの女性達が、座り込み用に荷造りをしている。私も一緒に、作業に参加して、作業完了。二階にあがって、出発前の情報交換、「パイプ椅子がボロボロなので、どこかで手に入らないかな」と話をしていたら、WAさんが「私が、少しだけどカンパしましょう」と言って、お金を渡してくれた。その金額で、椅子を探さなければならない。暇ができたら探しに行こうと思う。心あたりがあるのだが、このところ、孫の所にSOS呼ばれて暇がない。5脚くらい手に入れる事が出来れば、購入してこようと思う。皆さん、少しお待ちください。
経産省前まで台車を転がして行く。みんなでセッティングをして、座り込み開始。先週、京都に行かれたYAさんから、ウトロの話や朝鮮学校の話を聞いた。関東の人にはあまり知られていないが、京都の宇治市にあるウトロ平和祈念館にまつわる話を聞いた。ネットで垂れ流されたヘイト情報を鵜呑みにした青年が「在日コリアンが土地を不法占拠している」として、在日コリアンの住む住宅を放火してしまった現場を見てきたことなど、話してもらった。私も夏に行った現場ではあったが、休館日であったのと、ゲリラ豪雨のために見ることが出来なかった現場だ。話を聞いて、また行きたくなった。(S・S)
◎「国民」の声を聴かず、大企業べったりの愚策を続ける経産省 9月30日(金)
2週間ぶりの経産省抗議行動は、K.Mの、経産省が「請願」申入れを郵送でしか受け取らないとの電話回答報告で開始。脱原発を訴えるコールに続き、田中一郎さんが、諸富徹著『入門:再生可能エネルギーと電力システム』から、欧州と比べて日本の電力システム改革がひどいもので、再生可能エネルギーを制御して進展させない仕組みであると経産省を批判。
Baさんが、東海村JCO臨界事故から23年目のこの日午前に行われた「9.30追悼と抗議集会」(資源エネルギー庁前)の報告。放射能を浴びて死んだ方を悼み二度と事故を起こさないことの大切さを訴えた。
K.Mが、岸田政権の指示で検討開始した原子力小委員会など大半が原発推進側委員で、かつ、まともに議論できずにエネ庁事務局ペースで進んでいることを非難。Hiさんが、27日に強行された「国葬」を糾弾し自民党と統一教会との癒着を批判。原発や防衛予算など、何でも国会に図らずに閣議で決定する岸田政権は許せない。Moさんと「座込め、ここへ」と「水に流すな」を歌い、汚染水を海に流すなとコール。
K.Mから<東電福島第一原発の耐震性が心配~森重晴雄さんが近藤駿介「最悪シナリオ」再来を憂える>を紹介し、イチエフ1号機の耐震性を危惧。
Yoさんが27日の「国葬」強行を振り返って、また福島が終わっていないのに原発に前のめりな岸田政権を批判。
Miさんが戦後77年の日本を振り返り、民主主義の実現が大切であると主張。最後に40人で、経産省に脱原発コールして終了。 (K.M)
◎ 防衛費だけが先行の日本の防衛策 10月1日(土)
・アベ向けみぎぃ!
旧統一教会、国葬モドキ等々、それらを擁護する芸能人・知識人(?)などが喧しい。くだらない煙幕ではあるが、今回は皆さま見事に馬脚を露わしてくださったね。
・アベのレガシー
今のところコピペだけのようですが、本命は防衛費。防衛ではなく「費」、単に金を使うことです。「国を守る意思を防衛費増で示せ」と岸信夫首相補佐官(国家安保担当)が言いましたが、戦略も外交もないくせに事項要求(必要額を示さない予算要望)を乱発すればこうなるでしょう。「武器は別腹」「兵士自腹」「国民は詰め腹」 (O・O)
◎ 秋は行事の季節である 10月2日(日)
この日、はしゆきはダブルブッキングで、身体は経産省前で座り込んでいましたが、目と頭は、zoomで官製ワーキングプア集会に参加中。座り込み仲間がどんなおしゃべりをしていたのかなど何も聞いていません。というか、この日に限らず、私は年中、そんな行動パターンですけどね。(はしゆき)
・はしゆきのツイッター
https://twitter.com/keroppu8649/status/1578202473269202944
素敵な青空の下で気持ちのいい座り込み。人数少なめで6名くらい。秋は行事の季節ですから、みなさん忙しいのでしょう。この日は街宣車が多数、霞が関を走り回っていました。写真は11台以上で隊列を組んでいた集団。来るたびに緊張して録画しましたが、主に外務省を罵っていて、わたしたちへは、通りがかりに一声「いつまでもやってんじゃねえよ!」と怒鳴り捨てて、走り去る程度。民族派右翼なら脱原発の人がいるので、ひどい妨害を止めてくれている可能性もあるかも?
写真は参加者よりのアピール。福岡入管死亡事件。
◎「安部的政治を許さない」の集会があり 10月3日(月)
きょう3日は、澤地久枝さんが提唱して始まった「安倍政治を許さない」(安倍が退陣してもその路線を継承しているので「安倍【的】政治を許さない」に変更されている)抗議集会が、国会前である日だ。午後1時前にMiさんと?さんが出掛けた。
その後で、いつもは原子力規制庁前での抗議行動に参加しているK.Mさんが来られた。「随分早いね」と言ったら「臨時国会の初日だから、安倍政治を継承する岸田政権に抗議する集会に参加してきてから、ここへ来た」とのこと。「きょうは安倍政治を許さない行動の日だよ」と言ったら「忘れていた。国会前に寄ればよかった」と残念がっていた。
午後2時前にMiさんらが戻ってきた。いつものように、100人ほどが結集して、皆さん意気軒昂に発言されていたとのこと。午後2時半ごろ、同じくこの集会に参加されていたテントひろば常連のOさんと、ギャラリー古藤さんが寄って下さり「こういう時にしか来られないので」と言って、カンパまで頂きました。Oさんが、福島カレンダーを集会でも売り捌いたらしく、「Miさんが2冊買ったら無くなってしまった」とのこと。次回に買うとしよう。
きょうの経産省前は、秋めいてきたが、陽射しが強く汗ばんできた。気候が良くなった割には、人通りが少ないように感じた。こんな日にもかかわらず、座り込みには10人以上の人が参加してくれました。(保)
◎ 今年最後の暑い日なのかな 10月4日(火)
残暑が厳しい一日でありました。セッティングする時に、汗が滴り落ちる。このように暑い日は、今年は、今日が最後になるのかもしれない。稼働している原発を即刻停止して、全原発を廃炉にするとの決断を早急にしないと、「日本が滅亡」ということになるかも知れない!
このところ、火曜日に「日の丸・君が代」裁判の傍聴に来られる方が、今日も来て下さり、公判が始まる時間まで座り込んで下さり、カンパまでして頂きました。その後には、準レギュラーのOさんも来られ、東京西部ユニオンのお二人も来られて、本日の座り込み者は9名でありました。ただ、先月より座り込みに復帰したKさんが来られてないのが、チョット気がかりであります。 (Y・R)
◎ ひろゆきの発言が炎上するのは当然だ 10月5日 (水)
一日中、雨だった。まず、雨の中、バナーをキレイに張ることに専念。座り込みの者は当番の2人。それから、いつもどおり、原子力規制庁前抗議行動から回ってきた倉田さんとヨーカンさんが着く。ヨーカンさんは原子力規制委員会の会議の傍聴もしたので、午前10時過ぎからの行動だったそうだ。原子力規制委員会の会議では、原発稼働について、原子炉等規制法の「運転期間は原則40年、最長60年」という規定の見直しをどうするかについて討議して、結局、原子力規制委員会も、それを認めるということを論議した。要するに、国をあげて、「原発稼働期間は制限なしということにした」ということ。事業者が「壊れた」と認識するまで続けて、稼働できるということなのだ。あまりにもべらぼうだ。
倉田さんは、「テレ朝」で玉川徹が「国葬に電通が関係している」と発言したことに、電通が「関係していない」と申し立て、テレ朝側はそれを認めて玉川を謹慎処分したという問題で、電通は「関係している」「関係していない」などの証拠を示す能力があることがわかったので、私たちは、この能力をフルに活用して電通には常に証拠を出させようと演説した。改憲阻止の会の人たちも寄ってくれて、10人以上になった。
「経産省前座り込み」は、沖縄辺野古新基地建設反対の座り込みのように「座り込み」をしている。一言。「ひろゆき」の言辞が「炎上」しているが、彼はああいうことを、ああいう顔でいう人で、それ以上でもそれ以下でもない。その程度の人だと思う。彼は辺野古新基地建設反対、沖縄県民の闘いを揶揄するために、「座り込み」を見に来ただけで、これっぽっちの連帯もない。私は、経産省前で、水曜日の一定時間、当番で座り込んでいるだけで、ごぼう抜きにされるわけでないけど、座り込んでいることは、原発反対の意志と、福島への連帯と、東電・経産省抗議の、自分による自分のための行動なのだ。ひろゆきは「沖縄辺野古新基地建設」について、意思表示してから、ものを言うがいい。(T・I)
◎テントの会計監査をした。完璧だが、カンパ額の減少が気がかりである 10月6日 (木)
一日中、冷たい雨の降る中の座り込み。セッティングする時は小降りだったので、助かったけど、その後、時折、雨が強く降って来て、冬の寒さだった。通りかかる人の服装も、みな冬支度だった。今日は訪れる人もなく、当番3人だけで寂しかった。
いつも、ヨーカンさんが東京新聞と赤旗を持って来てくれるのだけど、雨では、それも読めない。午後2時過ぎ、遅番の人が来たあと、Yさんと事務所に行き、会計監査をさせて頂いた。領収書はじめ、収支がきちんと整理されているので、文句の付けどころがない。会計の仕事、本当にご苦労様です。色々精査して、テントひろばの運営が、原発反対の皆様のカンパだけで成り立っていることを、あらためて感じ、素晴らしいことだと思う。
でも、最近は、色々大変なことばかりで、カンパを求められることも多いせいか、実際には、カンパの額が減りつつあるのも、ちょっと心配だ。岸田政権は原発推進政策に切り替わってきたが、原発反対の声をもっと広めて、原発をなくし、早く座り込みを終わらせたいものですね。 (I.K)
=====投稿1=====
騒がしくて、やがて空しい「国葬」かな(2) 投稿(三上治)
霞が関の街路樹も色づきを見せはじめ、銀杏の木は銀杏(ギンナン)を落としはじめている。いつもの見慣れた光景だが、なんとなく懐かし気持ちもする。そういえば、国会周辺の銀杏を拾い集めてパーティをやったこともある。炒られた銀杏の香ばしい匂いとビールがよくあった。それを主催した江田さんは川内原発の現地に闘いを移しているのだけれど…
国会が開かれ、首相の所信表明演説があった。僕は、その全文を翌日の新聞で読んだのだが、迫力というか、気迫の感じられない官製作文のような文章に驚いた。その中に「先週、執り行った安倍元総理の国葬義は、厳粛かつ心のこもったものとなりました。海外からお越しになった多数の参列者の方々から寄せられた弔意に対して礼節をもって、丁寧にお応えできたと考えております。その際、国民の皆様からいただいた様々なご意見を重く受け止め、今後の生かしてまいります」とあった。
岸田は、国民の国葬批判を「いただいた様々なご意見を重く受け止める」として、かわして行こうという算段らしいが、もう少し真摯にというか、真正面に反応をしていいのではないか。国葬批判の中で、首相は首相なりに政治的な覚悟を持って国葬をやったのだろう。自分なりの見解をいうべきだ。結局、彼は安倍政治に対する国民の批判が、国葬批判に出てきたことを受け止められなかったのである。安倍政治が、民主主義の仮面(言説)を看板にしながら、非民主主義政治をやってきたことへの批判が、国葬批判であったことを受け止められなかったのだ。
僕らは安倍政権の中で脱原発運動をやってきた。彼は議会で、まともに原発問題(再稼働も含め)の討議を経ず(議員から提起された原発ゼロ法案は凍結)に経産省に再稼働などをやらせてきた。行政独裁とでもいうべき、政治的態度で処理してきた。安倍は、議会は法案などの決議の必要事を得ればいいという考えで、強行採決を常套手段とし、肝心の議論、あるいは、それで合意を得るという手続きを無視してきた。いうなら、立憲的な政治を否定してきた。立法機能の本来的意味を無視してきたのであり、閣議決定を、議会での討議や合意形成よりも重視してきた。この安倍政治は、独裁政治であり、強権政治の一つだというのが、僕らの、そして多くの国民の批判だった。岸田は、そんなことを振り向こうともしなかった。岸田は、原発について、突然のごとく、再稼働や新規建設などを言い出したのも、安倍のやり方の踏襲である。新規建設といって、そのための国民(市民や地域住民)の合意をえる可能性があると考えているのか。上から、つまりは「官僚的に強制すれば、新規建設ができる」とでも考えているのか。金にものをいわせて、そんなことがまだ可能と思っているのか。
僕は、国会開催に伴う国会中継をほとんど見ない。「議論が面白くなく、退屈である」ということが、正直言ってあるが、そのことはよく考えてきた。国会(議会)での討議による意思決定(合意形成)が民主政治であるが、そういう姿がそこには見られないためだ。そういう政治力が野党も含めて日本の政治家には足りない。それがスリリングで緊張に満ちた議論を存在させないし、テレビを見る気にさせないのだ。岸田にとっては、国会(議会)は形式的に議決を必要とすることを満たすための形式的な場であり、それは形骸化してある。道路一つ隔てて国会前に座り込み行動をしながら、国会の内を見ていた時も同じ感想だった。その意味では民主主義は不在であり、空白であるのだ。なぜだろうか。そういう自問を、僕はいつもしてきた。
近代の日本の政治の歴史において、憲政(憲法政治)が語られたことはある。立憲政治は、何度も主張されたが、議論による統治(意思決定や合意形成)が存在したことは、ほとんどなかったのである(戦前の政党政治や天皇統治の歴史を振り返っても、そのことは言える)。結局のところ、天皇という権威による統治、それが国家意思であり、合意とは権威への隷属だということが優位だったのである。この型の統治、政治が支配的だったのである。
討議による統治なんて簡単なことのように思われるけれど、どうして、どうして、これは簡単なことではない。会議がどんな風にあるかを想像すればいい。(例のオリンピック実行委員会での森喜郎の発言を想起せよ)。なぜ、まともな討議が存在しないかは、様々の会議のありかたを見ればいいのだ。会議が意思決定の場として自覚され、そのように運営されることは稀なのだ。討議が不在で会議らしい会議がないのは、それが機能する前提というべきものが乏しいためである。「自由な発言や意思表示があたりまえ」という文化的、社会的な伝統が(基盤)がないのだ。「草の根まで天皇制が支配している」と言われたが、これは「権威に従属」ということであり、「自由の伝統」とは対極的なものだ。「自由や民主主義は、それが、もともと、あって守る」というものではない。権力との闘いに中で生み出し、創り出していくものである。日常の場で、つまりは、小さな言葉での闘いの場で、創り出していくものである。その裾野形成が大事なのだ。
「議会が特別な箱(場)のようにあって、そこだけで、十全な討議の展開がなされる」ということなど、ない。討議による統治ということが成り立つためには、社会的に自由な政治的発言が当たり前としてなければならないし、自治を持った社会的存在が根付いていないといけない。そういう存在が、権力に対する反抗としてあるのが、自然でなければならない。言論の自由というが、そういうメディアがなければならない。それは「メディアが闘う主体としてある」ことに他ならない。
例えば、安倍を銃撃した山上は、精神鑑定ということで隔離され、彼の行動の真意は伝えられていない。どのように評価されようが、彼がどのような考えで行動したのかは明らかにされなければならないし、伝えられなければならない。メディアは、そんな当たり前のことができていない。山上は精神疾患者として、彼の発言は葬られる。その意味では、山上の世界を想像し、映画にした足立正男は、勇気のいるすぐれた行為をなしたのだと思う。いうなら、討議による統治(意思決定)は、大きな言葉での政治【自由や民主主義】だが、これには小さな言葉での政治【自由や民主主義】が裾野として存在しなければならない。最近のSNSなどの動きは、自由や討議なき社会の伝統を変えていくのかどうか、注目している。
かつて僕は、議会政治には不信があり、議会外の大衆運動に力を注いでいたことがある。それは「議会の外部で、自由で民主的なものを存在させること以外に、民主主義の不在や空白を解決していく道はない」と考えていたのだ。日本の政治の変革には、まず、それが必要と考えた。直接民主主義を旗印にした全共闘運動は、そういうものの一つだった。長い射程で考えれば、この考えは今も変わらない。
ただ、民主党による政権交代があり、その政権があっけなく、敗退した時、「僕は何も寄与できなかった」と思った。「民主党政権は、議会外の大衆運動を自己の政治力として生かせないところに弱点がある」と見ていた。沖縄の辺野古基地移設問題も、原発問題も、官僚との闘いで民主党政権が敗退していくのは、大衆運動と連携できなかったからである。このことは、よくわかった。民主党政権には、大衆運動が自由や民主主義の現在的基盤であり、それを自己の政治力にしていく考えがなかった。交代した政権の内実を強くする基盤だったのに。
同時に、「議会で、議論をもってリードしていく力がない」ことに気づいた。「議論よる統治を担える政党としての力が民主党にはない」ことが分かった。「民主党が、党内で議論し、政策の一致を持ってない」こともさることながら、「民主党内での論議が十全で政治力を持つというには遠い存在だ」ということを知った。あらためて、自由や民主主義のあり方(存在)に注目し、それに基づく主体の創出を考えざるを得なかった。「日本では、自由や民主主義が不在であり、空白であり、未来からの視線であるにすぎない」ことは、繰り返しのべてきたが、それは、だから依然として革命の課題である。戦後民主主義だって別段守るべきものでもない、賭けるべきものではない。そんなものは言葉としてはともかく、実質的には、なにもないからだ。戦後民主主義をまもるよりも民主主義の主体を創り出していくことが肝心なのだ。
自由や民主的なものは、それは何かを問いながら創り出していくべきものである。権力に対する反抗と、その運動の中で創り出していくべきものである。僕は、「安倍政治の批判の困難性は、民主主義の困難性である」といったが、それは、安倍政治批判の主体の形成の困難性でもあった。国葬に対するこれだけの批判があったことは、主体を形成する基盤はあり得ることを示した。この主体は、伝統的な左翼が信奉してきた能動的な労働者階級の意識に立った存在の形成ではないと思う。すくなくともそういう考えには、<プロレタリア独裁による統治>がスターリン主義に帰結した歴史の反省(総括)がいると思う。僕は「伝統的左翼の理念は、自由や民主主義の主体には、なれない」と思う。伝統的左翼に対する革命的批判の帰結として、僕は、こういう考えに到達した。「百年の歴史を持つ左翼は、その歴史をふりかえり、総括することにより、自由と民主主義の問題に立ち帰るべきだ」ということだ。特に政治革命というか、政治的変革の領域においては、自由と民主主義の問題に立ち帰るべきである。
「自由と民主主義とは何か」を認識し、それを運動として展開できる存在が主体である。「問題が分かれば、問題の半ばの解決だ」と言ったのは、レーニンだが、問題が分かるとは「現在において、自由と民主主義とは何かが分かる」ことである。「自由や民主主義は言葉としては過剰に流通しているが、内容としては曖昧である」ということが、現在の問題なのだ。
安倍政治が何であり、その非民主主義とは何かは、わかりやすそうで、なかなか、わからない。その意味で、僕らが国葬批判を通して安倍政治が何であったかを明瞭にすることは重要なことである。かなり明確なはずのプーチンの強権的、専制的、非民主的な政治ですら、それを明瞭には批判できない部分がある。それは、自己の中で、自由や民主主義に対する考えが曖昧であるためだ。つまり、プーチンや習近平の対応は、自己の自由や民主主義をリトマス紙にかけるようなところがある。それは安倍の国葬批判の中で考えてきたことだ。
=====投稿2=====
原発運転期間延長を無制限に容認する山中伸介原子力規制委員会新委員長
~岸田政権の原発推進政策を科学的・技術的でなく政治的に後押し~
原子力規制委員会は原発再稼働推進委員会・被曝強要委員会! その255
2022年10月6日 木村雅英
「政策側が、仮に80年、100年とか150年とか、それぐらい利用したいですと言ってきても、別にそれ自体は理論的にはオーケーで、原子力規制委員会は、それが安全かどうかを確認する機関ですか?」「基本的に科学的・技術的に原子炉の運転延長の上限というのはないというお考えですか?」
これは10月6日の記者会見での記者からの質問。9月26日に就任した山中伸介原子力規制委員会新委員長は、9月28日の定例会議で早急に資源エネルギー庁の説明を受けようと提案、10月6日の定例会議の議題1「総合資源エネルギー調査会電力・ガス事業分科会原子力小委員会における検討状況」(委員間討議)を開催した。
ここで、岸田政権の方針転換を受けての原子力小委員会での小型原子炉開発と運転期間延長の議論を聞くだけで終わらず、今後、事務方(原子力規制庁)が運転期間延長について検討することを決定した。さらに、午後の委員長記者会見で、山中伸介原子力規制委員会新委員長は、次のとおり、より踏み込んだ発言。
◆資源エネルギー庁が利用政策側の法体系で、運転期間についての定めを引き取るという方針をきちんと確認した上で、我々が検討しないといけない要素をあらかじめ項目として考えておきたかった
◆運転期間延長議論は推進側の法体系で定めるということを規制委として容認
◆運転期間については、利用政策側の法体系の中で位置付ける
◆高経年化した原子炉の安全性確認についての規制がきちんとできるような要素を炉規法の中に、規制側の仕組みとして、きちんと盛り込むというどういう要素を盛り込んだらいいのかというのはこれから検討していただいて、事務方から提案を受けて、委員会で議論していく (会見録から引用)
この定例会議と記者会見には、次の問題がある。
(1)議題1の議論で確認していないことを山中委員長が勝手に記者会見で回答
(2)原子力規制委員会が、岸田政権と経産省(エネ庁)におもねり、規制行政を歪める
(3)炉規法で定められた運転期間制限(40年、例外的に1回だけ20年延長)の改訂を容認する越権発言
(4)いつもそうだが、科学的でも技術的でもなく、あまりに政治的決定
地震多発国日本で、緩やかに過ぎ合理性を欠く「新規制基準」と審査で川内原発から次々に再稼働を容認したばかりか、運転期間延長を申請した原発について運転開始後40年に達する間際に次々と合格を出した原子力規制委員会が、今度は民主党政権下で自民党も公明党も賛成して炉規法に定めた運転期間延長制限の撤廃を提案するとは!
3.11事故を忘れ、原発生き残り策を講じる原子力ムラに媚びる許せない行為だ。
特に、発足時の委員も居なくなったばかりで、原発ムラ人が4人の山中委員長体制は、3.11事故に責任がある片山原子力規制庁長官とともに、事故前の原子力安全・保安院よりもひどい組織に回帰しているのではないか。
断固として原子力規制委員会に抗議し、発言の撤回を求めよう。(木村雅英)
=====デモ・集会のおしらせ====
★10月12日(水)原子力規制委員会前 12:00~13:00
★10月14日(金) 経産省前抗議行動(17時~18時)(毎週)
★10月19日(水)原子力規制委員会前 12:00~13:00
★10月19日(水)大間原発建設差し止め裁判 第28回口頭弁論
15:00 東京地裁 103号法廷
16:00 大間原発裁判報告と講演会 参議院会館101会議室
★10月19日(水)総がかり行動 衆議院第2議員会館前 18:30~19:30
★10月21日(金)経産省正門前(テントひろば) 17:00~18:00
★10月21日(金)首相官邸前(原発いらない金曜行動) 18:30~19:45
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4959:221010〕
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