「6・4」は遠くなりにけり・・・では簡単すぎる ―歴史はどこで折れたのか? (下)
- 2023年 6月 20日
- 評論・紹介・意見
- 中国天安門事件田畑光永習近平
さて本稿もそろそろゴールを目指さなければならない。ここまで「6・4」の後の中国社会の変化を見てきた。「6・4」は強烈な印象を残しはしたが、中国社会はそれとは別に、あるいはそれを薄めることをも目的とした鄧小平の大胆な外資導入政策で、それまでとは別の社会に変容してしまった。
大量に流入した「お金」で人々の生活が変わり、物事の感じ方が変わった。「6・4」について、後継の政権担当者は態度表明を迫られることもなく、日を送ることが出来た。
しかし、その新しい歴史も2010年代に入ると、これまでとは違った形で「腐敗」が蔓延したことで、それへの対処が政権の課題となった。時の習近平政権はそれを一種の好機ととらえて、大胆な幹部摘発に踏み切った。それはそれで国民の支持を得た。
2016年2月19日。この日、習近平は側近を引き連れて新華社、人民日報社、北京放送局を相次いで訪れた。今、思い返せば、この日こそ習近平政権が緊張感をもって国民と対峙した初日だったと言える。一行は報道3社を視察した後、午後は3社の社員たちと座談会を開いて懇談した。
そこで習近平はつぎのように強調したー
「党における報道の仕事は党性堅持を原則とすることであり、そのもっとも根本は世論工作に対する指導を堅持することである。党と政府が経営するメディアは党と政府の宣伝陣地であり、その姓は党でなければならない。ニュース・世論工作の各方面、各拠点は世論の動向を正確に導かなければならない」
なんだ独裁者の紋切型の言葉ではないか、なにも不思議はない、と思われるかもしれないが、社会主義社会における報道はいかにあるべきか、については、中國でも1960年代ころから「新聞改革」という名前で報道界、学界はそれなりに議論を重ねてきた歴史があった。
報道機関は党の宣伝のためにあるという建前は不変であっても、党の政策、統治における不備、失政をいかにして国民に知らしめ、改善するかなど、さまざまな「微妙な」論点について議論が展開され、また劉賓雁(『人民日報』記者)、白樺(軍籍の作家)ら、優れた書き手も輩出してきた。
ところが、この日の習発言はその歴史を無視して、まるで昨日、革命政権が出来たばかりのような、荒っぽい、目を覆いたくなるような内容である。私はこれを読んだ時、なにを今さらこんなことを、と思っただけで、これを突然、言い出した習近平の意図を考えようともしなかった。しかし、今、思えば、彼は彼なりにその後の事態を予測し、あらかじめマスコミの手足をしばる行動に出たのであった。
つまり先のリストに見るように、政権の中枢にいる人間たちが、さまざまな手段で不正蓄財に走っていれば、かならず騒ぎになる。国民の怒りはたまる。またそれを摘発するにしたところで、いたるところで不正は行われているのだから、そのすべてを摘発すれば、先のはやり言葉のように、「腐敗をなくせば、国がなくなる」。
とすれば、反腐敗は国民の手前、続けざるを得ないが、適当に対象を選んでうまく進める必要がある。間違ってもメディアの特ダネ競争のようなことを許しては大変だ。メディアは厳重に政府の監視下に置いて、手足を縛っておかなければならない。
ここから改めて習近平政権は報道の自由を含めて民主を抑えつける姿勢を表に出して来たのである。習近平としては、政権維持のための反腐敗である以上、自らの政権を傷つける反腐敗行動は避けるという道に進まざるを得ない。つまり反対勢力を反腐敗で追い落とす一方で、自らの支持勢力の腐敗には目をつぶるということになる。不正蓄財の広がりは権力が集中している習近平勢力を除外して広がるとは考えられないからである。その結果、反腐敗はどれほどの恨み、怒りを習近平とその配下に集中する結果となったかは計り知れないほどのものがあるはずである。
そういう状況であるとすれば、習近平が総書記ポストを2期10年で退き、合わせて国家主席も退任して並の引退幹部となったら、おそらく安泰な余生を送ることはできないだろう。彼が昨2022年の第20回党大会で遮二無二、慣例を破って総書記に三選されたのは、身の安全を守るため、身内の安全を守るための必死の選択であったにちがいない。
中國の人民代表大会という制度は1954年に創設され、一応、議会に似た形式を備え、国家主席はそこでの投票で決まる。しかし、国家主席の任期を5年、連任は2期までと決めたのは文化大革命の混乱を経た後の鄧小平の決断であったとされる。
それで「6・4」の後、江沢民、胡錦涛がそれに従って(江沢民は「6・4」後の非常時に総書記についたため、実際は10年より長く国家主席を務めたが)退任した。
そして2013年の人民代表大会で国家主席に着いた習近平は、翌14年の人民代表大会制度60周年記念大会では自ら「指導者の秩序ある交代の実現」をこの制度の優れた点として高らかに謳いあげた。にもかかわらず、2018年春の全人代会議では憲法を改正して国家主席の任期を削除したのである。普通の感覚ではできない芸当であるが、身の安全には代えられないということであろう。
そうしてスタートしたのが世にいう「習一強体制」である。しかし、民心がすでに習体制には飽き飽きしていることは、昨年の脱コロナの時期に若者を中心に各地で「白紙運動」が期せずして起ったことでも明らかである。
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そんな空気の中で「一強体制」を長続きさせようとすれば、自分を英雄に仕立てて、国民に改めて「さすが習近平」と思わせなければならない。昨年2月、北京冬季五輪の直前に北京を訪れたロシアのプーチン大統領との「中ロ友好万歳」騒ぎはプーチンのウクライナ侵攻の前祝いのつもりであったろう。その失敗が明らかになった今でも、なんとかプーチンを支えようとしているのは、自らの「台湾統一」の前哨戦としてプーチンのウクライナ併合に成功して欲しいからである。
「6・4」の後、鄧小平がどこまで計算したかは分からないが、流れ込んできた外資の洪水の中で、いつしか「6・4」の影は高度成長の波間に消えていった。そして中国は世界第2位の経済大国に上り詰めた。
しかし、野党もいない、報道の自由もない、すべては共産党が取り仕切る土壌に溢れた外資は多くの不正腐敗を生み、大勢が富の奪い合いに傷ついた。その中の勝者が習一強体制に連なる人々であろう。この不釣り合いはこの後、どのように解消してゆくのか。習近平が目論むように「台湾統一成功」の宴によって水に流されるのか。予測はつかない。中國人の忍耐心がどこまで続くか。「6・4」の犠牲者たちはそれを息を殺して見つめているはずだ。(230612)
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〔opinion13090:230620〕
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