大規模金融緩和政策を検討する(その1) -前提仮説そのものが誤り
- 2023年 7月 1日
- スタディルーム
- 日本経済盛田常夫金融政策
「子どもたちの世代にツケを回すなという批判がずっと安倍政権にあったが、その批判は正しくないんです。なぜかというとコロナ対策においては政府・日本銀行連合軍でやっていますが、政府が発行する国債は日銀がほぼ全部買い取ってくれています」、「みなさん、どうやって日銀は政府が出す巨大な国債を買うと思います?どこかのお金を借りてくると思ってますか。それは違います。紙とインクでお札を刷るんです。20円で1万円札が出来るんです」、「日銀というのは政府の、言ってみれば子会社の関係にある。連結決算上は実は政府の債務にもならないんです。だから孫や子の代にツケを回すな、これは正しくありません」(安倍晋三2021年7月10日、三条市講演https://www.youtube.com/watch?v=5sI70EEeJR8)
「国債。国債の発行。麻生さんはこうおっしゃってます。(モノマネで)「えー、麻生でございます。日本は自国通貨で国債を発行している。刷って返せばいい。簡単だろ。」 麻生さんといえば麻生節と言われるくらいハチャメチャな発言、数々見られます。なので、この発言もいつものやつでしょ、そう思われる方いらっしゃるかもしれない。違います。この麻生さんの発言だけは正しいんです。世界の方々を見てみればそれは分かる。日本の日銀総裁にあたるアメリカFRB議長のグリーンスパンさんはこうおっしゃってる。「米国はいつでもお金を印刷できるので、負債を支払うことができる。したがって、デフォルト(支払い不能)の確率はゼロである」 麻生さんと全く一緒のこと。日本には円がある、アメリカにはドルがある、イギリスにはポンドがある。そういった状況の中で財源が必要? 財源が足らない? 増やすしかないじゃない? できるよね。刷りゃいいんだよ。それだけのことです」(れいわmemo、2022年2月1日、「国債=悪ではない」、れいわ新選組山本太郎)
ロシア人に比べて日本人は賢いか
人は他人のことは良くわかる。「なぜロシア人はプーチンなんかに騙されるのだろうか。文明や民主主義が欠如しているところでは、人々は簡単に為政者に騙される」と考えている。それでは自分はどうか。「財政赤字なんか、国債発行で埋め合わすことができれば、何の問題もない」、「国債は政府の債務だが、国民の債権でもある」、「日銀は政府の子会社だから、日銀保有の国債は、政府の国債債務と相殺すれば、政府債務は半減する」というデマゴギーにかんたんに騙されている。国債発行で財政問題が解決されるなら、そもそも税金を徴収しなくてもよいではないか。いつの時代にも、御用エコノミストや御用学者がデマゴギー拡散の役割を担っている。日本もロシアと同じで、為政者の虚言にかんたんに騙されて、拍手喝さいを送る国民がいる。
予期した目標を達成できないのに、10年もの時間を無駄にして、日本は公的債務の深みに落ち込み、財政再建はほぼ不可能になった。誤った政策が将来の日本にどのような影響を与えるのか。政治家も官僚も、遠い将来のことに関心はない。とりあえず、自分の任期を恙なく務められればよいと考えている。政治家の虚言をヨイショしている「エコノミスト」や「学者」の罪は深い。
政治家が考えているのは次の選挙のことだけだ。もう誰が日銀総裁になろうと、10年前に決めた間違った政策を変更しないし、できない。自分が決めた政策でもないのに、政策変更による負の帰結を批判されるのはたまらない。だから、「現状維持を続ける」しか選択肢はない。政治家も官僚も「現状維持」がいちばん無難なのだ。まして、学者出身の日銀総裁が、政治家の反対を押し切って、政策修正を行うことなどできるはずがない。日銀総裁職は官僚や学者が、分不相応な高給を貪る寄生ポストに成り下がってしまった。
「なぜ、戦前の日本は無謀な戦争に突入したのか」と考えるのは後知恵。政財界上げて、一億総「金融緩和策」歓迎で当座の景気上昇を求め続ける姿は、無意味な戦争に突入した戦前の日本と変わらない。その先に待っているのが大きな悲劇や惨事である。しかし、国民は地獄を見るまで、為政者を支持する。だから、悲劇や惨事は国民が誤った政策を支持した当然の報いである。何度も同じ過ちを繰り返しながら、人々は少しずつしか賢くなれない。
何のことはない。日本人もロシア人も、それほど賢くないという意味では変わらない。
物価目標政策自体が間違い
科学(学問)は一定の仮説にもとづいて議論し、実験目標を決める。一定時間が経過した後に、結果を判定し、その結果が初期の予想と反していれば、仮説や仮説の前提条件を再検討して政策の成否を決める。自然科学の実験で予期した結果を生まない場合、あるいは結果の再現性が保証されない場合には、前提した仮説は棄却される。
それでは、日本の大規模金融緩和政策はどうか。安倍晋三の政策ブレーンとして政策提言を行い、2013年に日銀副総裁に就任した岩田規久男氏は、「2年間で目標が達成できなければ副総裁を辞任する」と明言した。これは学者としての矜持を示すものであり、学者としての当然の姿勢である。大規模金融緩和政策が日本の将来社会に大きな負荷を課す政策である以上、一定時間の経過の後に、速やかに政策仮説を維持するか棄却するかを判定するのは、学者としての当然の営為である。
ところが、岩田氏はこの前言を翻し、「見通しが甘かった。引き続き政策遂行に務める」として、4年の任期を全うした。10年経った今も、政策そのものは正しいと強弁している。これはもう学者の姿勢ではなく、過ちを認めたくない政治家や官僚の姿勢である。10年もの時間が経過しているにもかかわらず、前提仮説そのものを再検討しない(できない)「経済学」は科学とは呼べないし、学問としての要件を欠いている。
そもそも、「物価が下がり続けている」といういわゆる「デフレ」認識そのものが間違っている。物価は上がっていないが、「下がり続けている」という事実はない。それは一部の「学者」が勝手に想定し、短絡的に経済成長の原因だと喧伝しただけのことだ。
そもそもなぜ日本経済は成長力を失ったのか。「物価が上がらないから成長しない」と考えたのが躓きの石である。日銀券を刷れば問題が解決できると考える「空虚な器」(青木理)の宰相には分かり易かったかもしれないが、ここに問題の本質はない。
日本経済は労働力人口が減少する時代に入っている。高度成長時代のように、毎年、100万人近い新規の労働力が創出された時代はもうとっくに過ぎている。製造業の就業人口は高度成長時代初期の水準にまで減少してしまった。これを「失われた30年」と表現するのは勝手だが、労働人口が減り続けているのだから、GDPが増え続けることなどありえない。逆に、これからの日本はGDPが減少する時代に入っている。「GDPは常に成長する」、「成長させなければならない」と考えること自体が間違っている。
日本経済の歴史時代認識なしに、政策の中心問題を物価水準の議論に矮小化してしまっては、解決策を見いだせないのも当然である。通貨供給を増やしても、経済成長を促進することはできない。基礎疾患をもつ高齢のがん患者に、抗がん剤を大量投与するようなものだ。その副作用は目に見えている。しかし、医者は抗がん剤の大量投与が死の原因だと認めないのと同様に、政治家や御用学者は誤った政策が近未来の悲惨な結果を生み出した原因だとはけっして認めないだろう。
「ブダペスト通信」2023年6月20日
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〔study1261:230701〕
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