大規模金融緩和政策を検討する(その7) なぜ、政府勘定と日銀勘定は統合できないのか
- 2023年 7月 14日
- スタディルーム
- 債権債務盛田常夫金融政策
2017年3月14日、J。 スティグリッツ(コロンビア大学)が日本政府の招きに応じて、経済財政諮問会議で講演した。スティグリッツは用意したスライドの1枚に、わずか2行で、Cancelling government debt owned by government (BOJ) ・ Overnight reduction in gross government debt – allaying some anxieties「政府(日銀)が保有する債務を無効にする。粗政府債務は、瞬時に減少-不安はいくらか和らぐ」(諮問会議事務局訳)と記した。一部のアベノヨイショは、これを「政府と日銀の債務債権は相殺されてなくなる」と解釈し、ノーベル経済学賞受賞者の不用意な発言をご宣託と崇め奉り、「財政危機はない」ことの論拠として利用するようになった。
政府勘定と日銀勘定を統合することはできない
政府と日銀は法的に親会社と子会社の関係にはない(法的関係)。しかし,実体的に日銀は政府に従属して、政府のファイナンスを請け負っている(実体的経済的関係)から、スティグリッツが主張するように、国民経済計算上、政府と日銀の収支勘定は統合相殺(連結)することが可能だろうか(連結決済の可能性)。これを図解すると、次のように示される。
スティグリッツが不用意に記した論点は、「日銀保有の国債債権と政府の国債債務は、親会社(政府)と子会社(日銀)の貸借関係にあるから、二つの勘定を連結(統合)して考えれば、国債債務は実質1040-590=450兆円まで減額される」というものである。
前号で記したように、国債は政府が将来の納税者の税収を担保にした担保証券であり、日銀に対する借用証書ではない。連結決済によって相互の貸し借りなら相殺可能だが、第三者に対する債務をなかったもの(債務不履行)にすることはできない。持ち手が変わっても、第三者への債務は存在し続ける。日銀に融資の形(かた)として差し出した担保証券をなかったものにすることができるのは、日銀が保有国債資産を放棄(政府債務免除)する場合だけである。それは日銀が債務超過に陥ることを意味し、即座に中央銀行としての存在を失う。それだけのことである。だから、実際問題として、国債の帳消しは実行できない。アベノヨイショの頭の中の観念的操作として可能なだけのことである。
第三者への債務を消すことはできない
アベノヨイショやスティグリッツは連結決済(勘定統合)によって、すべての債権債務が相殺されると単純に考えているようだが、それは間違いである。二つの会社(勘定)を統合(連結)しても、すべての債権債務関係が相殺されるわけではない。当事者相互の貸し借りは相殺されるが、当事者外の第三者に対する債権債務関係は引き続き、どちらかの勘定に反映される。当然のことである。当事者相互の債権債務と第三者への債権債務を混同しているのが、アベノヨイショたちである。
二つの会社が合併する、あるいは親会社と子会社の会計を連結する場合、相互の債権債務は相殺されても、第三者にたいする債権債務は引き継がれる。第三者に対する子会社の債務は親会社が引き継ぐ(親会社の資産がその債務分だけ減額される)。第三者に対する債権債務は、必ず当事者のどちらかの勘定に反映される。債務は資産減をもたらし、債権は資産増をもたらすだけのことだ。
GDP統計を含む国民経済計算体系では、非金融部門の勘定体系と金融部門の勘定体系は厳密に分離されている。金融部門の勘定体系は非金融部門の物財サーヴィスや資金の流れを反映するように構築されており、この二つの部門を勝手に統合することは許されない。つまり、国民経済計算体系の観点からも、一般政府勘定と日銀勘定を連結(統合)することは許されない。頭の中で統合を夢想するのは勝手だが。
政治家や御用エコノミストの放言を許す学界
日銀が保有する国債価値を相殺(なかったものに)することは思考実験として可能なだけである。一部のエコノミストによる、「政府と日銀は政府部門に属するから統合的に考えれば、政府債務と日銀債権は相殺される」という主張は、国民経済計算体系上も実際の手続き上からもできない。統合「思考」によって、政府債務額が実際に減ると考えるのは、空想による錯誤である。
他方、実際問題として、日銀は国債債務の半分を引き受けているのだから、日銀がもっと危機感をもつべきだろう。債務上限の法的制限や議論すらない日本で、野放図に債務を累積させれば、日本経済は余力を失い、ますます後がない状況に追い込まれる。経済先進諸国が曲がりなりにも債務上限を保とうとしているのに、日本だけが債務を際限なく累積させている。それは地下に形成されるマグマのように、溜り続ける。将来世代が払うべき「ツケ」とは、そのマグマの爆発である。
この問題についても、理論経済学を専攻する学者から明確な批判がないのはきわめて不可解である。政治的な議論だと考えて距離を取ろうとしているのか、それともまったく関心がないのか、あるいはこの議論を判断する知識を持ち合わせていないのか。政府の累積債務がこれほど深刻な状況になっているにもかかわらず、経済政策の評価から距離をとる日本の学界論壇の状況は異常だと言わざるを得ない。
「ブダペスト通信」7月10日
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〔study1269:230714〕
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