秦剛外相の解任 ―中国外交になにが起こったのか?
- 2023年 7月 27日
- 時代をみる
- 中国外交田畑光永
中国の国会にあたるとされる全国人民代表大会の常務委員会が7月25日、ここ一か月ほど動静が途絶えていた秦剛外相の解任を決定した。同外相については動静途絶の原因として女性問題や健康問題(コロナ感染説)が取りざたされたが、普段はわりと饒舌な中國外交部の報道官もこの件については「知らぬ、存ぜぬ」で押し通していたために、かえって外部世界での憶測を助長していた話題である。
ようやく「解任」という結論が示されたわけだが、その原因は依然、不明である。しかも解任それ自体に不自然さが目に付く。というのは中國政府(国務院)の人員構成は総理、副総理、国務委員、部長(閣僚)の四級制である。つまり各閣僚と総理、副総理の中間に「国務委員」というクラスが存在する。これは国務院常務会議という内閣の中核部分のメンバーからなるインナー・キャビネットのメンバーを意味する。
秦剛氏は外交部長であると同時に国務委員でもあるのだが、報道で見る限り外交部長職を解任されたとあるだけで、国務委員の地位には言及はない。常識的には国務委員のポストにはとどまっていると見るべきだろう。
また外相の後任には前任者の王毅氏が任命された。王毅氏は外交部長を10年も務めて、中國共産党の外交を総括する地位に昇格している。形式的には外交部から離れたとはいえ「中国外交の総責任者」の地位に就いたのに、今さら格下の外交部長の「後任」とは。臨時に外交部長の役割も果たすといったところであろう。
動静不明が一か月も続いた挙句がこの中途半端な決定である。伝えられるような女性問題とか健康問題がことの原因であるのなら、一か月の間に結論は出せるはずなのに、外相ポストは召し上げるが、上級の国務委員の肩書は残したままという結論はなんとも中途半端である。
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ということは何を意味するか。ここから先は全くの私見である。
まず秦剛外相になにか問題が発生したことは確かである。しかし、それは女性とか健康とかにかんするものではないはずだ。それなら処分の結論を出すのにそれほど時間がかかるはずはないし、本人の肩書を中途半端に残す必要もなければ、前任者に不自然な形で外相を兼務させる必要もない。新しい人間を指名するはずだ。
いったいこの中途半端な措置は何を意味するのか。私は端的に言えば、中国の現在の外交路線と外交部全体の考え方の間にずれがあるのではないか、それがこのような奇妙な情況を生んだのではないかと考える。
話を1年半前に戻したい。昨年2月、北京冬季五輪の開会式に出席するためにロシアのプーチン大統領が北京を訪れた。そしてこの時の中国の習近平国家主席との首脳会談は声高らかに中ロ両国の友好を謳いあげる場となった。この会談では、プーチン大統領はその直後に始めるロシアのウクライナ侵攻について中国側に説明したと見られているが、その真偽はともかく、この会談後、記者会見した中国外交部の楽玉成副部長(中国外交部には数人の副部長がいるので、日本の「外務次官」とは異なる)は「中ロの友好関係に上限はない」と述べて、両国の友好の無限の可能性を強調して、話題となった。
そしてすでに長期となった王毅外相の後任候補として、この楽玉成副部長の名前が取りざたされるようになった。ところがそれから4か月、楽氏は突然、畑違いの国家ラジオ・テレビ総局の副局長の地位に異動となった。この地位は外交部副部長の「天下り」先としては別に見劣りするわけではないが、ロシア専門家の楽氏としては「中ロ蜜月時代」のリード役としての地位を失うこととなった。
この時にひそかに囁かれたのが、中国外交部における「欧米派のロシア(ソ連)派つぶし」説であった。中國の建国当初は東西冷戦のさなかであったから、外交官はロシア(語)派が大勢を占めた。しかし、やがて中ソ対立の時代になると、欧米(語)派が勢いを増し、改革・開放時代には西側からの資本が大量に中国に流入するのと同時に、1990年代以降、外交も西側中心の活動へと変わっていった。現在の外交部の中・上層部はその時代以降に育った人たちが中心である。楽玉成外相の誕生を阻んだのは外交部内の欧米派の圧力であったのではないか、というのである。
習近平政権はそれまでの江沢民、胡錦涛政権と違って再びロシアとの関係を深め、欧米を中心とする、いわゆる西側との対立が厳しさを増している。旧ロシア帝国の復興を目指すプーチン路線と台湾を統合して中国統一を果たしたい習近平路線が親近性を強めているのは当然の成り行きかも知れない。
そこで今回の秦剛事案である。ロシアのウクライナ侵攻以後の中国外交ははなはだ歯切れが悪い。これまでに3回、中国の立場を国際的に表明する文書を公開したが、どれもロシアを非難せず、つまり基本的な善悪の判断を避けながら、漠然と和平交渉を呼びかけるようなしまりのない文書である。
世界を見ている外交現場の人間にとって、国家主席の任期を自ら撤廃し、現在の主席がその気になればいつまででもその地位に居られるような奇妙な自国の制度を恥と思わない人間はいないであろう。今回、解任された秦剛前外相は英米での駐在期間の長い外交官である。外に向かって言わなければならないことと自分の胸の内の思いとの矛盾に悩んでいたことは容易に想像できる。
それがどういう形で今回の騒ぎにつながったかは想像力の範囲をこえるが、私はそこに根源があるのではないかと思う。
秦剛前外相の本意を知った習近平一派が同氏を解任しようとし、それは外交部全体を敵に案わすことになると王毅外相らが火消しに入り、とにかく表面のほころびを隠したのが今回の奇妙な処分ではないのだろうか。平静を装う衣の下から何か見えてこないか、息を呑む毎日である。 (230726)
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