新疆の惨状はやはり事実である
- 2023年 11月 11日
- 評論・紹介・意見
- ウイグル人中国新疆阿部治平
――八ヶ岳山麓から(448)――
はじめに
久しぶりに「馬戎」という名前を見た(環球時報2023・11・03)。馬氏は北京大学社会学系の教授で、中国民族学・社会学の権威費孝通亡きあとは、中国民族問題の第一人者である。彼は2015年に標準語(「普通話」)の「漢語」といういい方を「国語」に変えようじゃないかと提唱したことがある。その底意は、「漢語」といえば漢人の言語という意味に過ぎないが、「国語」といえば中国の「国家語」として少数民族にこれを強制させやすいからである。
「中華民族の多元一体的構造」をなぜ強調するか
その馬戎先生が、この度は「『中華民族共同体』という概念をいかに理解するか」を論じた。氏は概略こんなことをいう。
――中国は多民族が存在する。しかもこれが統一されている。そこでは「56の民族」は基層にあり、「中華民族」という概念はより高いレベルにある。主体である漢人をはじめとして、それぞれの民族が「中華民族」としての同一性・一体性をより高いレベルで持っている。同時に低層では、漢・チベット・モンゴル・イなどの群体内部には、言語文字・社会組織・生活習慣・地域アイデンティティの違いがある。つまり「多元的」構造が存在している――
どうして馬氏はにわかに「中華民族の多元一体的構造」を持ち出したのか。それは論文の末尾でようやくわかった。
氏は言う、「ここ数年、中央政府が『中華民族共同体の確固とした意識の醸成』を特に強調しているのは、決して不当なものではなく、まさにこの『中華民族共同体』という重要な層次のアイデンティティに問題を抱えている人々がいることを示している。習近平総書記が2021年の中央民族工作会議で、『中華民族共同体という確固とした意識を形成することが、新時代における党の民族工作の「綱領」であり、すべての工作はこれに重点を置くべきである』と強調したのは、まさにこのためである」と。
馬氏は、中国にはまだ「まつろわぬ民」がいる、その「まつろわぬ民」に高次の「中華民族共同体」への帰属意識を持たせなければならないというのである。
「アイデンティティに問題を抱えている人々」の現状
この「まつろわぬ民」を描き出した著作がある。『信仰と越境のウイグル』(文理閣 2023)である。著者中屋昌子さんは、トルコに脱出したウイグル人からの聞き取りによって、中共の民族政策がなんであるか、それによる現地少数民族がどんな状態に置かれているかを我々に知らせてくれた。それはわたしの知るところと同じであった。そのなかから2例を私なりに要約して紹介する。
アフメット氏の場合
アフメット氏は、中国共産党の教育を受けた模範生で、1981年新疆の大学に合格し、成績がよかったので1985年共産党員となった。ところが、トゥルグン・アルマスの『ウイグル人』を読む機会があり、これによって「新疆は古来中国領土の辺境であり不可分の領土である」という、学校で教育された歴史観がひっくり返った(注)。彼は、チュルク系民族が東西トルキスタンに王朝を築き、この地域の主人公であった歴史を知ったのである。
注)1990年代から中国では、イミン『東トルキスタン史』(1940)やトゥルグン・アルマスの3部作『ウイグル人』・『匈奴簡史』・『ウイグル古代文学』(1986~90)などは、パン・トルコ主義、東トルキスタン独立思想を煽るものとして禁書となっている。
1980代から日本にはシルクロード・ブームが起こり、1990年代には新疆から中央アジアを訪れる日本人旅行者が激増した。氏は日本留学を目指して日本語を学んでいたが、外国留学は中共幹部の子供が優先されていたので、彼はあきらめなければならなかった。
ところが日本語の能力をかわれ、国際旅行社にガイドとして雇用された。職場にインターネットが導入されると、今日のような当局によるメールの監視がまだ始まっていなかったので、世界各地に散らばるウイグル民族主義者らと交流することができ、「同志」としての連帯感を持つようになった。
彼は観光案内の一方、漢人ガイドやバス運転手などが日本語がわからないのを幸いに、日本人観光客に中国の新疆侵略とウイグルの中国化を非難し、ウズベキスタンのブハラからクムル(哈密・ハミ)まで、チュルク系民族の活動の舞台であった歴史を大いに語った。日本人はこれを興味深く聞いてくれ、その受けもよかった。ところが、それが裏目に出た。
2001年宴会での日本人ガイドの不用意な「ほめ言葉」を通して、これが国際旅行社側にばれ、やがて当局によって重大問題とされた。彼は知人の知らせに助けられ、逮捕寸前に家族を置いたまま、ガイドの資格を利用してクルグスタン(キルギス)に逃れ、知人を通してトルコのヴィザをとり、トルコに行くことができた。
氏はトルコでチュルク民族主義やウイグル亡命者の宗教上・民族上の意識の違いに悩みながら、やがて敬虔なムスリムとしての意識を高めていく。
メフメット氏の場合
2009年7月5日、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチ市に「暴動」があった。ことの始まりは、6月広東省の玩具工場で漢人の女性がウイグル人に強姦されたといううわさが広がり、ウイグル人労働者が漢人に襲撃されて2人が殺され、多数が負傷したことによる。
事件がウルムチに伝わるとウイグルなどの学生300余人が人民広場に結集し、抗議デモを敢行して治安当局と衝突した。当日はウイグル人が漢人を襲ったが、数日後には、漢人数万がウイグル人への抗議デモを敢行し、ウイグル・漢両民族は激しく衝突した。
当局発表の漢人の死者197人、負傷者1700人以上。世界ウイグル会議(ウイグル亡命組織)の調査では死者800~1000人、負傷者2000~3000人に上るという大事件である。のちに実行犯とされたウイグル人30人が死刑判決を下された。漢人にお咎めがあったという話はない。
メフメット氏は当日この事件のさなかにあって負傷者の救助を行った。その際外国メディアに、チュルク系負傷者を医者が治療しないといった不満を訴えた。これが当局に察知され、逮捕連行された。
留置所では両手を挙げて縛られ、5日間、ほとんど飲まず食わずで糞尿も垂れ流しのままだった。そこで拷問を受けた者は、すべてウイグル男性だった。そして何よりも耐えられなかったのは、向かいの部屋でまだ小学生くらいの男女の子供が裸でずっと立たされていたことを目にしたことだ。……メフメット氏は、これも拷問のひとつだったという。
さらに彼は、地下室の真っ暗なところに両手を縛られて長時間入れられた。そこでは、低い天井のため首を曲げて立ち、水は胸まであって、膝下まで泥につかるようになっていた。かくして、「この過酷な状況に至っては、もはやアッラーのご慈悲にすがるのみ」という心境になり、中国を去る決意したのである。
おわりに
ここに中屋昌子さんの本を紹介したのは、2021年9月革新・リベラル派の一角を担うはずのマルクス主義雑誌「経済」(新日本出版社)に、以下のような文言があり、いまだに何らの弁明もなく訂正もされていないからである。
「なお(新疆においては)、『ジェノサイド』などと欧米で宣伝されていますが、これは明確な根拠が乏しく……反体制派の人物も殺されることはあまりありませんでした。収容所(通常の『監獄』以外に多数存在する『労働改造管教隊』施設)にいれ『教育する』形がとられました(p132)」
「中国では少数民族は弾圧を受けているという側面もありますが……(少数民族が)犯罪を行っても逮捕されにくいという実態から、漢民族の方が少数民族を恐れているという側面もあるのです(p138)」 (2023・11・07)
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