天皇の「おことば」の出来上がるまで
- 2023年 12月 22日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子
きのう12月20日のテレビでは、12月19日に、安倍派、二階派の事務所に家宅捜索に入ったという報道がトップニュースだった。そんなニュースに隠れがちであったが、12月20日には、30年を経た外交文書が公開されたという報道があった。何気なくテレ朝の「大下容子のワイドスクランブル」を見ていたところ、1992年の天皇夫妻の訪中の際の天皇の「おことば」をめぐって、日中の外交筋による水面下の交渉が報じられていた。
「やっぱり」というか、当然というか、天皇の「おことば」が出来上がるまでの過程が外交文書には記されていたのである。「中華人民共和国楊尚昆国家主席主催晩餐会」(1992年10月23日 北京 人民大会堂)での「おことば」の中段には、つぎのようなくだりがある。
「この両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時、我が国民は、このような戦争をふたたび繰り返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意し、国の再建に取り組みました。」
番組では、上記の「多大な苦難を与えた」の「多大」をめぐってのやり取りに焦点をあて、中国側は「多大」が中国語ではただ大きさや広さなどを示す意味で、適切ではないと言い、「重く積み重なった」を意味する「深重」という言葉に置き換えて、中国では発表したというのである。ちなみに、『中国語辞典』(白水社)によれば「多大」とは「疑問文に用い、年齢・時間・広さや雨風の強さなどがどれくらいか」を表し、「深重」は「深刻、恨み深い、重大」を表す、とある。日本語の「多大」との隔たりは大きい。
また、NHKの「政治マガジン」(12月20日)によれば、「<おことば>めぐる神経戦」と題して「今回、外交文書で明らかになるか注目されたのが、訪問した際の「おことば」だった。外交文書には、中国側から事前調整を持ちかけるようなやりとりが記録されていた。」という。1992年2月20日の段階で、つぎのようなやり取りがあったことも報じている。
中国外務省 武大偉 日本担当課長:「過去の歴史の問題について、中国側は大きな関心を有している。事前におことばを見せて頂き、話をするということを行ってはどうか」
槙田邦彦参事官:「だれの責任と明確に述べることについては慎重に臨まなければならない」
上記の「おことば」には、「反省」はあっても「謝罪」はなかった。公開された外交文書では、「おことば」の原案にあたる部分は黒塗りで、どのような変遷をたどったのかは不明である。
なお、戦後、どの天皇も、韓国を訪問することはできていないが、1998年、平成期の天皇は、「大韓民国金大中大統領夫妻を迎えて」(10月7日 宮中晩餐会)において、
「このような密接な交流の歴史がある反面、一時期、我が国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に、私の記憶にとどめられております。」
また、時代はくだって、2016年、フィリピン訪問の際、「フィリピン国ベニグノ・アキノ三世大統領主催晩餐会にて」(1月27日)において
「昨年私どもは、さきの大戦が終わって七十年の年を迎えました。この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり・・・」
こうした「おことば」をたどってみても、アジア・太平洋戦争における、日本の侵略、そこでなされた戦闘や過酷な占領政策による犠牲について、「我が国が大きな苦しみをもたらした」「日米両国の戦闘により多くの人が命を失い、傷ついた」と語り、忘れててはいけない、と表明するにとどまる。天皇個人や日本国民の「悲しみ」や「記憶」、「反省」があったとしても、日本政府としての謝罪はいっさいない。天皇の「おことば」を介在させながら、日本政府のスタンスを提示し、まさに、日本政府が天皇の政治利用を実践している場面である。
巷では、いや識者と称する人たちの間でも、天皇の「おことば」を政府の姿勢と対比してリベラルな発言として評価する向きもある。しかし、上記のように天皇の「おことば」は、天皇の若干の個人的な体験や感想などを容れながら、役人たちの調整の結果であるとみてよいのではないか。それがさらに、コピペ化したり、AIの産物であったりしかねないのが、現状ではないか。天皇の「おことば」への過剰評価や期待感ほどむなしいものはない。
今日の朝日新聞朝刊は2頁にわたって、外交文書による「1992年10月天皇訪中」を特集をしている。文書をベースに、国交正常化20周年にあたって天皇訪中に積極的な中国と小和田恒外務省事務次官、谷野作太郎アジア局長、自民党内の反対派を押さえきれるかと慎重な宮沢喜一首相、自民党内の幹部たちに根回しをした橋本恕駐中国大使らの動向を通して、天皇訪中が実現した様子が描かれている。ここでも、天皇の「おことば」についての事前調整について語られているが、上記の「多大」などの具体的な記述はされていなかった。
初出:「内野光子のブログ」2023.12.21より許可を得て転載
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〔opinion13448:231222〕
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