9.19反原発集会とデモ -それにしても日本の大手メディア報道はひどすぎないのか?-
- 2011年 9月 20日
- 時代をみる
- 9.19脱原発デモ合澤清
19日の明治公園での集会とその後のデモについては、すでにちきゅう座を始め多くのミニメディアが実況放送をも交えて報道している。僕も久しぶりの高揚感を感じた。
誰かが言っていたが、確かに1969年の10.21日比谷公園での集会(国際反戦デー)とデモを彷彿させるものであった。それ以来の盛況だったかもしれない。
9.11脱原発集会の様子(明治公園)
ここでは多言を弄することは敢えて慎みたいと思うが、1時前に明治公園に着いた時にはすでに黒山の人だかりだった。僕の経験からいえば、この時点ですでに5千人を超す人たちが集まっていたと思う。しかもそれに続いて千駄ヶ谷駅の方から陸続と人の群れがやってくるのだ。1時半の集会開始時には、演壇横から見渡した限りで、公園はすでに超満員の状態だった。うれしかったのは、福島県他の各地域からののぼりや旗とともに、労働組合の旗やのぼりが多くみられたことだ。これは絶えて久しく見受けられなかった情景である。もちろん「連合」主流派の「電力総連」「電機労連」の圧力に「連合」加盟諸団体が屈したためである。
しかしここにきていくつかの勇気ある組合や支部や組合有志が立ち上がったのである。それは自分たちや家族の真に実存をかけた戦い(放射能汚染を野放しにして将来への禍根を残すか、それとも戦うかの選択)であるからに他ならない。このことはいまだ声をあげえない多くの労働者たちに「ジワリと」波及していくに違いないし、そうならなければ「労働組合」はこの国の為政者たちと「死を共有する」ことになるであろう。故清水慎三の言葉を借りれば、まさに「市民運動としての労働組合運動」が今まさに自覚的に開始されたのであろう。
警察官は相変わらず大勢動員されて規制にあたっていたが、僕が知る限りではさしたる衝突はなかったようである。先日の新宿でのデモ規制があまりにゆきすぎて、世論の猛攻撃にさらされたせいかもしれない。
この上の報道は、多くのミニメディアなどで確かめていただくことにして、僕は途中から小金井市内でのデモに参加するために武蔵小金井に向かった。こちらは150~200人規模のデモでしかなかったが、非常に興味深かったのは子供の数が目立ったことである。シュプレヒコールの声は圧倒的に子供の方が目立つせいもあるが、実際に参加者も小学生や中学生やもっと小さな子どもたちが思い思いのプラカードを持って歩いていた。これには心底感激した。「まだこの国にも救いはありそうだ」と思った。人任せではなく、自分たちの手で国の在り方を変えていかなければ、という思いが伝わってきた。ちなみに小金井市には「小金井市放射能測定器運営連絡協議会」というものがあり、市民が食品の放射能測定を独自に実施しているのである。今回のデモもこのグループが企画実施したもので、今までも数回こういうデモなどの活動を行ってきている。そして、こういう目立たない地方での運動は、小金井市だけに限らず、いろんな場所で行われていることも伝えられている。
9.19小金井市での脱原発デモ
しかしそれにしてもひどいのはNHKをはじめとする大手メディアの報道姿勢である。僕は直接テレビは見ていないのだが、NHKなどはこの日のデモをほとんど報道しなかったようである。また新聞などは「東京新聞」は大きくまっとうに取り扱っていたが、インターネットで調べた限りでは、そのほかの新聞の取り扱い方は相変わらずの「おざなり報道」でお茶を濁していたとしかいいようがない。全くこの国の大手メディアの「腐敗堕落」ぶり、これは今後ますます人々が大手メディアから離れていくであろうことを予示しているようにも思える。「他人事ではないぞ」と強く訴えたい。エジプトでも2月11日のムバーラク大統領退陣表明までは、懸命にムバーラク側の宣伝にこれ努めてきた「エジプト国営テレビ」が、この翌日から180度転換して「デモ隊側」についてしまった(田原牧著『中東民衆革命の真実』集英社新書)事実もあるからだ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1623:110920〕
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