クルマが「敵」になった若い女性 「貧乏道」を究める男性 資本主義への根底的なレボルト?
- 2011年 10月 2日
- 評論・紹介・意見
- 「貧乏道」クルマ離れ川上卓也浅川 修史
クルマ、持ち家、ブランドもの、高級レストランなど高価な消費財に関して、若者の○○離れが指摘されている。国内の新車販売はバブル期に比べて激減した。今や日本の自動車メーカーは海外で稼いでいるのが実情である。クルマはたんなる移動手段ではない。クルマは20世紀に台頭した最大の文化財でもある。メルセデス・ベンツやBMWは、人の羨望を集める文化財だ。ユーロ安もあり、メルセデスに代表されるドイツ車は中国、インド、中東、ロシアなど新興市場で販売が好調である。欧州ソブリンリスクが高まる夏前は、「生産が追い付かなかった」という。
ところが、ここ日本では、若者のクルマ離れが著しい。トヨタ・クラウンなど大型セダンを乗っている人の平均年齢は60歳を超えていると、あるディーラーは語る。代わって好調なのは、軽自動車だ。地方中心にクルマといえば、軽の時代である。
かつて若い男性が無理をしても高級車を購入したのは、女性にもてたいという意識があったからだ。ところが、肝心の女性に高級車を要求する意識が消えてしまった。高知県のキャバクラ嬢を対象にしたアンケートで、デートのときのクルマ選びで、なんと軽自動車が首位にきたという報道が記憶に残っている。
こうした若い女性の深層心理を見事に解明しているが、「現代ビジネス」というWEBの「大人電話相談室」中の記事である。「クルマが女性にとってどうでもいいもの、高いクルマを買うことは貧乏への道。女の敵」という意見は鋭い。
>現代ビジネス 2011年10月1日より
NHKラジオの名物番組『全国こども電話相談室』。子どもたちの素朴疑問に専門家が答えるものだが、大人だって疑問はある。クルマに関する素朴な疑問を自動車評論家をはじめとする専門家に聞いてみた。センセーのみなさま、そしてパニッツィ先生、教えてちょうだい!
大人の疑問 なぜ最近の女の子はクルマの話をしなくなったのですか? とっても気になります
それはズバリ、どうでもいいもの、あるいは敵対的存在になったからだと思いますよ~。
バブル期までは、彼がどんなクルマに乗っているかは、自分の女としての地位、ステイタスにかかわるとても大事なポイントだったので、女子もクルマにかなり興味を持っていました。スポーツカーも好きでしたし、高級車も好きでした。「女が男をクルマで判断する」という風潮が蔓延して、社会問題になったほどです。当時はまだ日本経済が伸び続けていて、今の中国みたく、みんなが豊かになるレースをしていた。女もその勝者になりたかったんです。
でも今はそれが、「貧乏にならないレース」になっています。高いクルマを買うことは貧乏への道。女の敵です。なので女性は、クルマの話をしなくなってしまいました。(清水草一先生)
次に尊敬する方から、「この本を読め」と勧められたのが、川上卓也著「貧乏道を往く」である。「若者の解脱ぶりがわかる」という。気になって、インターネットのブログ(書評)を調べたら、下記の記事を発見した。
川上卓也氏は、家賃などこみこみで月6-7万円で生活しているという貧乏道の達人である。
キリスト教の修道者や、「衣服一枚とわずかな食糧だけをもって、世界宣教に行け」と命じられたマニ教の宣教者をほうふつさせる。
>川上卓也著『〈貧乏道〉を往く』の中から心に残ったところ。
「ひとつの物を無理して買わなければならない人間には、無理をして手に入れた物自体を有効に利用することなんて不可能なんです。」(p26)
共感できるところと、できかねるところとがあり。
分相応というのもあるだろうけど、殻を破ったことで世界が広がることもあるのかなと。
(私がリッツ・カールトンに泊まっちゃうとか。む、無理かな・・・有効活用)
「節約術というのは、戦術と同じです。節約術を用いなければならない状態に陥る前に、それを回避する戦略が必要なのです。」(p38)
戦略がないのに戦術だけでは、戦争に負ける、と。忍者隊だけでは、天下を取れない。
オーガナイズができていれば、収納術はなくても暮らしは快適になる。
ライフプランができていれば、節約術がなくても家計で困らない。
「自分のベクトルを持ち、シンプルライフを送ることが戦略です。」(p38)
自分はどう生きたいのか、どう逝きたいのか。
何を求め、何に価値をおき、何をして生きていきたいのか。
「他者を顧みずに、ちょっと悪びれて言うならば自己中心主義で生きることが、自分のベクトルを探すための手段です。」(p60)
わがままや傍若無人とは違う、自分が生かされている意味を考えること。
「人生は、無限でないにしろ、いくらかのリセットが可能です。」(p62)
留年、失恋、愛車の盗難、空き巣との遭遇。割れたガラスが頬にささったり。派遣切りに不登校にお詫び行脚に。都度リセット。もろもろの経験があって、今があるなら、過去の出来事にはやっぱり感謝。
「モノサシのない人間が旅行をしても、消費以外の薬効は得られないのです。」(p89)
このフレーズにもどきっとしました。
私はモノサシをもっているか。そのモノサシに目盛りはちゃんとあるか。きちんとはかれているか。
「僕の嫌いな言葉の一つに『自分探しの旅』というのがあります。こんなもの、どこをうろついたって見つかりはしません。・・・・・・
大げさにいうと、高級車、高級住宅地、高級ホテル、海外旅行、ブランドものなどが、羨望の対象から、関心を持たない対象になりつつあり、その先に待っているのは、軽蔑の対象になることである。こうなるとこれらの消費財、文化財産業は雪崩を打って崩壊する。日本企業の高付加価値化路線も逃げ場がなくなる。
さらに、もう一歩進むと、貧乏自慢、貧乏競争も目前だろう。とても資本主義にプラスになるとは思えない世界が待っている。
若者の体制へのレボルトは全共闘世代とは異なる新しい形態を採用しているのかもしれない。全共闘世代は高度成長期を体験しているので、物欲は旺盛だった。
全共闘世代を代表する人物である荒 岱介氏はパラダイムチェンジの後、イタリア製の超高級車フェラーリに乗っていたと聞くが、そういう価値基準を捨てて、買わない、遊ばないと解脱している若い人々のほうが、根本的なところで、革命的かもしれない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0630 :111002〕
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