戦争ごっこか……! 騙し討ち
- 2012年 1月 1日
- 交流の広場
- 9条改憲阻止の会
2011年12月31日 連帯・共同ニュース第208号
■ こんな事であろうとは思っていた。今年の一月に防衛局は高江のN1ゲートを強襲し、土建重機を基地内へ運び込んだ。このときにも未明5時、命令したのはこれまた真部朗防衛局長。再着任時の、「……理解していただけるよう努力したい」という真部語が共にむなしく想い出される。
一連の経緯は東京新聞などの28日朝・夕刊が報道しているので那覇の知人から聞いたことを中心に報告する。まずは東京新聞28日の夕刊の見出し、「辺野古環境評価書 未明搬入、混乱続く」、「住民150人座り込み」、「県条例に5部たりず」、「常軌逸した行動」、「住民 未明の奇襲、怒り頂点」。これだけで何が起こったか想像がつく。
■ 真部氏の作戦を知り尽くした山城「県民会議」事務局長は27日から県庁の夜間出入り口近くに駐車して夜を徹した見張りをして防衛局参上を待っていた。午前4時10分頃に人声がする夜間通用口へ行くと防衛局職員十数名が段ボールを運んでいた。山城氏は車から飛び出し阻止しようとした。防衛局職員は黙々と箱を抱え宿直室へ運んだ。山城氏は駐車中の車列へ行き一台の車のドアを引き開けた。中に隠れていた真部氏が驚いたように山城氏を凝視した。マスコミのカメラの放列がフラッシュを焚いた。まるで仮名手本忠臣蔵の一場面だ。
■ 防衛局は運び込む予定だった21部の内16部を運び込んだ。総務部長や管財課長は「午前8時半から午後5時15分の間に運び込まれ、管財課が受け付け、記帳したものだけが受け取ったことになる」という県庁としての規則を守るような発言をしたと聞く。県幹部も防衛局のなりふり構わない手段に愁色を隠さない。又吉知事公室長も「時間帯ややり方は正常ではない」と疑問視している。先にも書いたが、このような姑息な手段は真部氏のお家芸ではあるが完全に事を完成できないのが愛嬌である。年初にはN1に土建重機を搬入したものの、より重要なN4には搬入できず未だに手をこまねいている。今回も残り5部の運び込みを阻止され、その予定すら立っていないらしい。16部をいれた梱包は守衛室に運び込まれたが、隠密行動を容易にする為に箱には「箱の中身」、「送り主、受取人」すら書いてなく、続々と集まってきた住民の失笑をかった。しかし、仲井眞知事を初めとした一部幹部職員はこの手段で運び込まれたものを(親切にも)開封し内部確認の上「アセス評価書」の搬入と認めようとの動きもあり、住民の怒りは次第に増した。山城事務局長は怒りに震え、この暴挙に語気を強めた。県議会全会派は(仲井眞知事が受理しないように)午後5時までこの問題の対策会議を持った。
■ 29日の朝刊報道によると28日午後5時を過ぎた頃、県は評価書を受理する意向であるという情報がながれ、仲井眞知事が午後7時半に住民に受理する事にした経緯を説明した。但し、受理の正式取り扱いは2012.01.04になる模様である。
その後の連絡によると、防衛局は(米国に対する言い訳をより完璧にするために)残り5部も深夜に県庁に運び込もうとしていたが、急遽集まった市民等によって阻止されたそうである。その態勢は30日まで続き硬直状態となり、国会議員、県議員を含め30人以上が集まり、防衛局は一旦引き返したようである。但し、真部防衛局の事である。いつ再び現れるか気が抜けない。又、仲井眞知事の曖昧な態度も気になるところである。
政府の一連の対応を見ると五つの事が解る。
一、 徹底した「民意無視」と「対米追従」
二、 相変わらずの「アメとムチ」作戦
三、 沖縄に対する構造的差別
四、 本土市民の無関心
五、 「沖縄県民の怒り」に対する過小評価
一、二、三、四は恒常的なものだから、今のところ沖縄の現状・米軍基地の強化拡大・地位協定の改善あるいは日米軍事同盟の撤廃などに対する方向性や力には何の影響も与えないであろう。但し政府は政治力学上、大きく変わり、尚も変わり続けているものがあることを過小評価している。それは「沖縄県民の怒り」についてである。
■ 沖縄県民の怒りは読谷集会の9万人参加を初りとして、名護市長選挙、名護市議選、高江オスプレイパッド建設阻止等で成長し、最近の田中発言問題糾弾集会、アセス評価書県庁搬入阻止行動などの一連の行動に見られるように「県民会議」を中心にして周囲の市民を巻き込み大きく深い渦になって来ている。行動者は緊急な呼び掛けにも、連日の行動にも素早く、忍耐強く反応し始めている。政府、沖縄防衛局は自分達が与えた差別と暴力的手法が沖縄県民の強力な抵抗心を育てたことが極めて重要であることに気がついていない。このまま真部式が継続的に実行されて行けば必ず「第二のコザ抵抗」が沖縄防衛局に向けて発進するであろう。たぶん、ウチナンチュの力を核として。沖縄の友人が言っていた。「俺たちの周りには生まれたときから基地があった。基地があることを不思議だとは思わなかった。内地のあんた達とはちがうのさ」。この悲痛な声が同じベクトルを持ち始めた。その勝利のあと、沖縄は「琉球」として独立するのだろうか? そうすると困ったことになる。沖縄の米軍基地の全てが本土に返還されるかも知れない、核つきで。 (文: 冨久亮輔)
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