「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実③
- 2012年 3月 23日
- 評論・紹介・意見
- 渡部富哉白鳥事件
「白鳥事件は冤罪ではなかった!」
新資料発掘の日共元活動家が語る60年目の真実
特別インタビュー 社会運動資料センター・渡部富哉氏に聞く③
聞き手:今西 光男、山城 オサム
(インタビューは2月23日、東京・日比谷の日本記者クラブで行われた)
もう一つの「天誅ビラ」のナゾ
――松本清張著『日本の黒い霧』に、白鳥事件の直後に犯行声明を思わせるビラがまかれたという話が載っています。これは事実でしょうか。どうお考えですか。
渡部 ええ事実ですね。裁判の中でも明らかになっています。はっきり申し上げて、このビラが今、私の調査研究の最大のテーマの一つになっています。というのも、確かにビラは事件直後に配布されました。これは犯行声明です。これまで書かれてきた著作によると「天誅遂に下る」ビラ1種類とみられていました。ところが、つい最近、私は、もう1種類「天誅遂に降る」ビラがあることを突き止め、その現物のコピーも入手しました。なぜ、2種類なのか。そのナゾ解きが最大のテーマなのです。
――ナゾ解きの前に、そもそも、そのビラはどういうものなのか、教えていただけませんか。
渡部 これは、まさしく犯行声明と言っていいビラです。私がまとめた裁判資料に基づいてお話ししましょう。ビラは犯行の翌々日の1952(昭和27)年1月23日に北海道大学構内など札幌市内や職業安定所などで大量にばらまかれました。その内容は、犯行を正当化し、市民に「共闘」を呼びかけた檄文です。見出しの部分は「見よ天誅遂に下る! 自由の凶敵! 白鳥市警課長の醜い末路こそ 全ファシスト官憲共の落ちゆく運命である(中略)」となっており、末尾に「一九五二年一月二十二日 日本共産党札幌委員会」とあります。
――党の名前が出ていますから、これが事実なら犯行声明と受け取られても仕方ないですね。
後から入れた党名
渡部 ビラの作成経過はわかっています。まず、事件が1952(昭和27)年1月21日に起きました。その翌22日、首謀者の村上国治氏は犯行声明の文案を作り、札幌市内の党の印刷物を請け負っている機関紙共同印刷所に回して、ビラ1万2000枚(?)作らせました。村上氏は犯行グループの1人である部下の中核自衛隊の隊員、高安知彦氏(殺人ほう助などの罪で1957年執行猶予付き有罪判決。現在、札幌市在住)にビラの校正を指示しました。高安氏は印刷所の人から「この文章の最後に党の名前が入っていないが、入れなくていいのか」と聞かれ「村上が入れ忘れたのだろう。入れといて」と、党の名称を入れさせました。
――そうすると、元々は党の名前は入っていなかったのですね。
渡部 そうです。村上は「いれないつもりだった」と高安氏に答えています。捜査当局は、当然、ビラの出所を徹底的に追及し、ついに印刷所を割り出し、その印刷を請け負った人物の捜査に乗り出しました。これに対し、党側は逆に捜査の手を逃れるため、その人物を潜行させてしまいました。しかし、その人物は8カ月逃亡後、ノイローゼ状態で出頭し、印刷の経過をすべて暴露しました。これも冤罪ではない証拠の一つです。
裁判長が示唆した2種類のビラ
――先程、ビラがもう1種類あるとのお話でしたが、それはどういうことでしょうか。
渡部 、松本の司法博物館で裁判資料をコピーしていたとき、私は裁判資料の1カ所に釘づけになりました。裁判長が、先程登場した高安氏に対し、この「天誅ビラ」について尋問した部分です。裁判長は「君は、このビラが2種類あるのを知っているか」と尋ねます。高安氏は「今初めて聞く話です。知りません」と答えます。裁判長はそれ以上何も聞かない。弁護士も、検事もこれ以上追及しないのです。これを読んだ時、私は「あっ」と息が詰まる思いでした。「これは当局の謀略ではないのか」と瞬間的にひらめきました。だって、そうでしょう。普通の裁判で事件を本当に解明するつもりなら、裁判官も検事ももっと2種類のビラの存在を追及するはずです。誰が、何処で印刷したのだと、それを「知らない」という答えを聞いて、ぷっつりと尋問を止めている。もしかしたら裁判長はビラが2種類ある事情を事前に知っていた。それを公にするとまずいと考え、追及を控えた。私には、そう思えました。いずれにしても、ビラが2種類あるということ自体、松本清張をはじめ、様々な方たちが書いたこれまでの白鳥事件の関連本にも一切出てきていません。
それはそうでしょう。「天誅ビラ」そのものが山田清三郎の著作には書かれていないのですから。冤罪説をとる人には犯行声明のビラの存在と真相の追及は論理の上からも出来るはずはないでしょう。
そこで私は10年前から2種類のビラの謎と裁判長は当局の謀略を知っていて、それ以上の追及を避けたのだと確信しました。そこで裁判長の前歴を調べ始めました。私の直感はずばり的中したのです。この裁判長は戦前のゾルゲ事件の直後に満州で起こった、合作社事件の裁判長でした。勿論この事件は完全な関東憲兵隊によるでっちあげ事件です。だからこの裁判長には当局の手口がわかっていたのでしょう。急に追及の手を変えてしまったのです。だから彼も同罪です。そのことを今回明かにしようと思います。
先程紹介した「遂に下る」ビラは、すでに通説になっているビラです。そこで、もう一つの別のビラの原物を探すことにしました。
執念で見つけたもう一つのビラ
――それは、見つかったのですか。
渡部 昨年10月、インターネットで白鳥事件を検索してみたら、もう1種類のビラのことを書いている研究者がいました。そのビラの文面は通説のものと同じですが、大きく異なるところが一つありました。通説のビラは「天誅下る」ですが、そのビラは「天誅降る」になっている。「下る」と「降る」の違いです。私はその人に会い、「降る」ビラの原物をどこで見たのか聞いたところ、北海道立図書館(江別市)にあったという。そこで北海道の友人を通じてビラの原物と、そのビラが入っていた封筒の表裏のコピーを入手しました。2種類のビラの謎を追いかけて10年目のことでした。
――まさに執念が実ったのですね。
渡部 「感動ここに極まれり、やった!」と思いましたね。もう夜眠れなくて安定剤を飲みました。北海道の友人の報告によると、図書館が保存していた関係資料は、この「降る」ビラを含めて44点です。このビラは3通の封書の中に1枚ずつ入れられていました。3通の宛名は「市内北二西二二 髙田富与殿」「市内北十四西三 堀内北署長殿」「市内苗穂駅前交番一同様」とあり、いずれも筆跡を隠すためか、定規を使って鉛筆で書かれていました。髙田氏は当時の札幌市長です。消印はすべて昭和27年1月25日付で、2通には3円切手が張られ、1通は切手がありません。3通とも料金不足で差出人が書かれておらず、受け取りを拒否され郵便局預かりとなっていました。
これは高安証言とも同じです。高安氏は「切手は貼らなかった」といい、定規で筆跡をくらまして書いた」とも言っています。高安氏は「降る」ビラの存在を知らなかったのですから、「降る」ビラを封筒にいれるはずはありません。別人の仕業です。当局のやらせなのです。道立図書館の調査は友人の手をかりてかなりやりました。そんな報告も詳細にします。
活字の鑑定で印刷所は別と判明
――何者かが、当時の市長や警察署長、交番に送りつけようとしたわけですね。
渡部 では、2種類のビラは、同一の印刷所で印刷されたのか、どうか。一見して2種類のビラは、文章、レイアウトは素人目には同じに見えました。私は友人で、日韓交流に多大な貢献をした弁護士、布施辰治氏(故人)の孫にあたる日本評論社会長、大石進氏に2種類のビラの鑑定を依頼しました。その結果は、いずれも紙型をとらず活字組のまま印刷する活版原版刷りですが、使用活字、版面の天地左右のバランス、行間インテルが異なっており、別々のところで印刷された事が分かりました。通説の「下る」ビラは機関紙共同印刷所で印刷されたことははっきりしていますが、新たに見つかった「降る」ビラの印刷所はいまだに不明です。
「降る」ビラに謀略の臭い
――だれが、どこで、何のためにもう1種類のビラを作ったのか。そこが大きな謎ですね。
渡部 私の調査では、「降る」ビラは、警察など当局の事件関係資料に登場します。たとえば『回想 戦後主要左翼事件』(発行・警察庁警備局、本文に書かれている)『北海道警察史』(同・北海道編)には、「降る」ビラの現物の写真が載っています。さらに今回の「白鳥事件60年目の真実」記念集会の会場で頒布を予定している「裁判資料抄録」や「白鳥事件新聞集成」などを読み直してみると、事件当時から2種類のビラの存在は書かれています。しかし、これが当局の謀略だと誰も気づかなかったのです。当用漢字が変わったこともあって、表記ミス程度にしか思われなかったのでしょうか。しかし当局の報告では「2種類のビラが撒かれた」と取締まりの巡査の報告が挙がっています。
これは何を意味するのか。裁判資料によると、事件の首謀者の村上氏は事件翌日、党員間の秘密連絡役(レポ)の音川(山本昭二)という男に「明日朝5時に印刷所に行ってビラを受け取り、各細胞に配れ」と指示しています。従って、音川がビラを細胞に配達しているわけです。実は、この音川は市警と国警に分かれていた当時、国警本部のスパイで、札幌地区委員会の軍事組織、人員構成などの詳細を国警に報告しています。ここからは、私の推理になりますが、音川は受け取ったビラの一部を警察当局に持っていき、警察側はそれを基に「降る」ビラを作り、ばらまいたのです。つまり、共産党の犯行であることを確実に市民に印象付けようとしたのです。
――もう1種類のビラには、当局の謀略の臭いがするということですか。
渡部 ええ、「臭い」程度ではありません。そのものずばりです。不可解なことはいろいろあります。「降る」ビラが北海道立図書館に入った経路も随分調べましたが、60年という歴史の襞のなかに埋もれてしまいました。こういう発掘の仕事は時間との闘いです。私はそのことを『偽りの烙印』でも思い知らされました。だが、今後も調べる必要があると思っています。さらに、白鳥事件の一審の裁判長は、追跡調査するつもりです。とにかく、白鳥事件は冤罪ではないことは、佐藤博自身が「上部の指示で殺ったんだとはっきり語っています。しかし、当局のスパイの関与や謀略が部分的に存在することが、冤罪説を強化した面がありますね。60年経ちましたが、事件の全容解明はまだまだ終わっていません。
集会ではこれらの資料の現物をプロジェクターで実物の映像でかたるつもりですが初めてなのでどこまでできるかわかりませんが挑戦します。会場の1隅で「資料展」も計画しています。本日入った情報では北海道から高安知彦氏も参加の上発言されるそうです。
(終わり)
「メディアウォッチ100 2012.3.21. 第161号」より許可を得て転載。
記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0820 :120323〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。