日米地位協定と付属文書B、および伊達判決の生かし方
- 2012年 4月 14日
- 交流の広場
- 岩田昌征
3月31日に明治大学に会場を借りて開かれた「伊達判決53周年シンポジウム『日米地位協定を問う』」は大変に有益な勉強のチャンスであった。日米行政協定と日米地位協定は1999年2月のランブイエ交渉においてアメリカが新ユーゴスラヴィア(セルビアとモンテネグロ)に突きつけた付属文書Bにそっくりである。日本は敗戦の結果それを呑まざるを得ない所に追い込まれたのであるが、セルビアの場合はそれを呑まなかったが故に78日間にわたる連日連夜の大空襲をNATO軍から仕掛けられた。その結果、ミロシェヴィチ大統領が譲歩してコソヴォから軍を撤退させるや否やNATO軍のコソヴォ進駐が実行され、アメリカ軍はそこにヴェトナム以後米軍がつくった諸基地の中で最大と言われる軍事基地を建設した。一体誰と地位協定に当る協定を締結したのだろうか。コソヴォ解放軍とか、それとも全く無協定の基地なのか、調べてみたい所である。
伊達判決はその根拠に憲法第9条をすえている。私のように安保条約・第9条のワンセット同時廃止論者は伊達判決をどのように引き継ぐことが出来るだろうか。日本国の第三憲法、すなわち象徴天皇制市民国家の憲法第9条第2項に「日本国および日本国(自衛)軍は外国にいかなる軍事基地を持たず、かつ国内にいかなる外国軍基地の存在を許さない。」と銘記する。砂川等の反基地闘争の伝統と精神はこうして生き続けることになろう。明治憲法の60年弱と新憲法の60年余の持続生命を考えれば、第三憲法の上記の基本精神は同じく60年位の生命力を保つであろう。21世紀の後半になれば基地問題自体が全世界的に無意味となっている可能性もあろう。
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