海江田・元通産相、「事故調」で苦渋の証言
- 2012年 5月 19日
- 時代をみる
- 池田龍夫
国会の原発事故調査委員会(黒川清委員長)は5月17日の第14回会合に、海江田万里・元経済産業相を参考人に招いて聴取を行った。2時間余の質疑から〝新事実〟を感じなかったものの、事故当時の混乱ぶりを窺える発言の幾つかを、ピックアップしておきたい。
①福島の事故現場と首相官邸、経産省、東京電力本店の情報伝達がバラバラ。このため、事故発生時の3月11日から15日ごろまで情報を共有できず、対策は後手後手に回った。海江田氏は「まるで伝言ゲームのようだった」と発言しており、この情報の乱れこそ大失態だ。「緊急事態宣言」や「避難指示」が遅れたのは、菅首相の理解を得るのに時間を要したためという。
②清水正孝・東電社長(当時)から退避についての電話を海江田氏が直接受けたことが明らかになった。「第一発電所からの全員撤退」という言葉はなかったように思われるが、「清水社長自らが電話をしてきたことには重大な事態」と解釈したという。
③ベントの実施を、東京電力が判断をためらったとも発言。海水の注入により5号機、6号機も含めた廃炉への懸念からと推察される。また「水素爆発が起こるとは誰も考えていなかった」点を率直に認め、SPEEDI等をもっと活用べきだったとも発言した。
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