頑張れイチロー(一郎)って2度目かな
- 2012年 7月 27日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
何気なくテレビをつけたがどうも変だ。イチローがヤンキースのユーニフォーム着て守備についている。しばらく見ていても何が何だかわからない。俺の頭が変になったのかと思っても要領を得ない。イチローが打席になったらスタンドで「さよならイチロー」という横断幕があり、スタンディングべ―ションがあってイチローは移籍したのだというのがわかった。イチローがスタンドに向かって帽子を取ってスタンドのファンに挨拶する姿にはホロリとした。大リーグの野球が好きというわけではないがイチローのことは気になり応援もしてきた。
イチローは昨年あたりからチームと上手く行っていないのではと思ったりしていたが、それ以上に衰えゆく年齢との闘いというスポーツ選手が宿命のように負う状態にあるのかと推察していた。イチローが何を抱え、何と闘っているのかはよく分からないところがあるが、晩年の最後の決意を秘めて事に臨んでいることだけは確からしく思えた。イチローの守備や打撃を機会あらば最後までみたいし、俗ないい方だがもう一花咲かせて欲しい。以前にこの論評でイチローとともにもう一人の一郎を取り上げたことがある。小沢一郎のことである。
彼が西松建設問題で検察からの攻撃を受けていた時だった。イチローも不調で苦しんでいた時期だったかもしれない。今回もまた、一郎のことが思い浮かんだ。小沢一郎も最後の政治的闘いの場面に置かれている。スポーツ選手の晩年と同じように政治家の晩年にも厳しいものがある。球を投げたり、打ったりする才能ではなく、歴史の流れをつかまえることが難しくなるからだ。政治家が成熟することは歴史の流れをつかみ、ビジョンを形成できることだが、これは政治的経験を重ねることと同じではないのだ。まして、現在のように閉塞的で未来のビジョンの手掛かりすらつかみくい時代においてはである。小沢一郎が民主党を離党し、新党結成に至ったことには多くの評価がある。特に、メディアは一部を除いて手厳しい。だが、僕は小沢一郎が離党に押し出されてしまった歴史の流れ、つまりは離党劇という政治作品を小沢に書かせた歴史の流れという作者に注目する。最後になって小沢一郎が理念と構想力《見識とビジョン》で立つ政治家としての姿を現して欲しいし、それに基づく政党を作ってもらいたいと思う。数はさしあたり問題ではない。根拠の明瞭な政党ならば立ちどころに数の問題は超えていくだろう。日本の歴史がこれから遭遇する困難さを想像するとき、これに立ち向かえる政治家や政党を僕らは必要とする。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion945:120727〕
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