国会の体たらくを尻目に政治的意志と声を行動に
- 2012年 9月 2日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
かつて複雑怪奇という言葉を発して辞任した首相がいた。平沼騏一郎である。彼は1939年の独ソ不可侵条約の締結にたいしてこれを発した。これに比べればこの間の野田首相の問責決議で自民党の取った行動などは可愛いものだと言えるかもしれない。底の見えた行動と言えるからだ。それでも政党間のやり取りには複雑怪奇と思えるところがある。三党合意で作り上げた消費増税に合意しそれを遂行した野田首相の問責《消費増税法案を進めたことの責任を問う》にその共同提案者である自民党が賛成したのだからである。自分に向かって唾をしているようなものだが矛盾に満ちた行動であることはいうまでもない。党利党略といってもあまりに稚拙で傍目からは可哀そうな程である。
政党間の抗争には背景として各政党の内部の矛盾がある。民主党ではその内部矛盾は小沢一郎グループの離党という形で現象したが、まだ、内部ではグループ対立はあり、それは党首選挙に向かって激化する様相を呈している。他方で自民党も党首選挙に向かって党内闘争は花盛りである。途中で首相の座を投げだした記憶も新しい元首相の安倍晋三も「維新の会」に秋波を送られ色気を出している。党の外部と連携する勢力も出てきていて複雑さを増しているのである。民主党も自民党の内部対立が深まり、それに第三極をめざす動きも加わって政治全体が混迷に拍車をかけているという状態になっているのだ。政党が政党の呈をなしていないと言える。この要因は政党や政治家がビジョンや構想を失っているということにあるが、それならばビジョンや構想を持った政党や政治家が出現するのかといえばその展望もない。こういう政治状況を嘆いているわけではない。これは政党や政治家がビジョンや構想を失っているところで生じる必然である。この対立の中からどのようなビジョンや構想を持った政党や政治家が出現するかを見極めながら自己の内でそれを判断する能力を磨くほかはない。その場合の基準は民意《国民の共同意志》が何かということであり、その理解と認識を深めればいいのだ。選挙も近いこともあって政党や政治家はそれなりに必死であり、不安と焦りの中でもがいているのだろう。彼らは政策の明瞭化という形でビジョンや構想を表現しようとする。多分、民主党や自民党、あるいは公明党の連合と「維新の会」のブロック、小沢一郎のブロックが政党再編という形態でビジョンや構想の現在を表すことになるのかも知れないが、現在の政治に対する異議申し立てをする運動もまたその一つでありその中にまだ言葉にならざるビジョンや構想があることを見ておかなければならない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion973:120902〕
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