日本の議会制民主主義と民主主義
- 2012年 9月 2日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
日本のメディアなんてこんなものなのだろう。『週刊文春』の今週号(9月6日号)が毎週金曜日の首相官邸前行動を主催している首都圏反原発連合のメンバ―と野田首相との会談を取り上げているので読んでみた感想である。題が「『反原発デモ』野田官邸にのりこんだ11人の正体」と言うのだから読まなくても推察できる文春特有の意地悪なのぞき見的論評である。彼らの戸惑いも見えるから取り上げてみる。題名通り会談に参加したメンバ―の履歴や仕事等をあげつらい、得体のしれない面々であることを示したかったのだろうと思う。このメンバ―が大学教授や大会社の代表など俗にいわれる有識者だったら彼らは満足なのだろうか。首都圏反原連の代表たちがこうした面々だったことを評価できないことが文春の見識の限界なのだろう。情けない話だ。
この記事の眼目は首相官邸前の行動の代表と野田首相が面談《会見》したことの批判である。その一つは批評家の橋爪大三郎にコメントさせていることだが、首相官邸前の行動は何十万人集まろうと少数派で彼らと会うことは危険であるという。要する大衆行動(大衆的意思表示)を評価したり、それを自己の政治判断に取り入れる行為は危険というのだ。学者らしからぬわけの分からないコメントであるが、これは次の櫻井よし子のコメントにつなげると明瞭になる。彼女は野田首相が反原連の代表と会談したことを議会制民主主義の手続き反するとしている。首相は国民の一票一票という選挙で選ばれたのだから、こうした大衆行動の代表者の意見を聞いたり取り入れられたりするのは民主主義の手続きに反するのだと。そしてあの1960年安保闘争時の岸首相を絶賛している。彼は議会の警官を導入しての強行採決や自衛隊まで動員してデモ鎮圧をしようとして非民主的な政治家として退陣させられた。彼に比べれば面談でもしようとする気のある野田首相の方がましである。代表が首相と会談することはたいしたことではないが、大衆的な意志表示に暴力的に敵対した岸よりはまだいいのである。櫻井には脱原発や再稼働反対の大衆的行動に嫌悪感や恐怖感があってこうしたコメントになっている。これは保守層の中にある見方を代弁しているのかもしれないが、原発推進の非民主的性格が暴かれ、脱原発の運動が内包する民主主義への危機感である。議会制民主主義なんて何処にあるのかと問いたいところだ。首相官邸前で展開される人々の政治的行動の中以外に何処にも民主主義も民主制的なものもない。それが現状ではないか。保守的な面々の民主主義の評価がこの程度のものであるのは知られていたことだが…。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion974:120902〕
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