修学旅行プレーバック~小豆島の車中で聴いた「オリーブの歌」~
- 2012年 9月 18日
- 評論・紹介・意見
- 「オリーブの歌」小豆島醍醐聡
先日、You Tubeの録画を検索していると、「小豆島のオリーブの歌」というタイトルが目に止まった。もしかしたらと思って聴いて見ると、やっぱり、あの歌だった。中学校の修学旅行に小豆島へ出かけた時に島めぐりのバスの中でガイドさんが歌ってくれた郷土の歌だ。二葉あき子さんが歌っていたとは初めて知った。
「オリーブの歌」(加西新太郎作詞・服部良一作曲/二葉あき子歌唱、1957年)
http://www.youtube.com/watch?v=mSn37ZQzoHQ&feature=related
夢も楽しい そよ風に
みどり明るい オリーブの
枝がさやさや 揺れている
ああ恋を知り 恋に泣く
島の乙女の 胸のように
小豆島町のHPに掲載された解説によると、小豆島とオリーブの関わりは、明治41年(1908年)に遡る。この年、農商務省は三重・香川(小豆島)・鹿児島の3県を指定して、アメリカから輸入した苗木の試作を行ったが、小豆島町の西村地区に植えたオリーブが順調に成育し、大正初めには搾油ができるまでになったという。
その後、一般の農家も栽培するようになり、昭和31年には72ヘクタール、昭和39年には130ヘクタールまで栽培面積が拡大した。また、オリーブは昭和29年には県花に指定された。その後、農産物輸入自由化によりスペイン等から安価なオリーブ製品が輸入されるとともに栽培面積が減少し、昭和60年代前半には34ヘクタールまで減少したという。
しかし、近年、消費者の健康志向やオリーブの持つ平和の象徴などのイメージからオリーブ関連商品の人気が高まり、小豆島のオリーブ製品も国産志向も相まって需要も増え、栽培面積は100ヘクタール以上まで回復したそうだ。
小豆島というと、郷土生まれ壷井栄の原作・木下恵介監督で1954年に映画化された「二四の瞳」(主演:大石先生/高峰秀子)のことを外せない。小豆島と特定されたわけではなかったが、地元で行われたロケは島中を湧きかえらせたそうだ。その時の島の様子は、Yu tubeに投稿された次の録画でガイドさんが堂に入った解説をしている。
映画「二十四の瞳」ロケの秘話(2010年6月3日撮影)
http://www.youtube.com/watch?v=_TFt1wHSoJw&feature=related
↑ こんな写真を見ると、私も小学3年生の時、昼食の時間になると、学校の東隣のため池へ担任のK先生に連れられ、土手で弁当を広げたのを思い出す。先生は近くの小枝をポキンと折って箸にしていた。弁当をすませると池の南側に広がる墓地でみんなとかくれんぼをした。ある日、鬼が近づいてきた時、先生は大きなスカートをぱあと広げ、すっぽり私にかぶせて隠してくれた。
話を修学旅行のことに戻す。「オリーブの歌」は最初の一節は覚えていなかったが、その後の「みどり明るい・・・」以下は歌詞もメロディも、しっかり暗誦できる。それほど記憶に残っているのは、小豆島の島めぐりも終わりに近づいた時、バスガイドさんがぽろぽろ涙を流しながら、この歌を熱唱してくれた光景が忘れられないからだ。私には、あれほど一途な人の姿を見るのは生まれて初めてだった。いくつになっても、心底、純真な態度、振る舞いは人の心を打つものだ。私は小学生の時代、そういう先生に恵まれた。4年生の時は、週末、担任のY先生に汽車とバスを乗り継いで何度も植物採集に連れていってもらった。
年を経るごとに、そしてあの小豆島の修学旅行のバスの中で聴いた「オリーブの歌」を聴くたびに、小学生時代の恩師と級友のことを懐かしく思い出す。
小豆島町の人口は、1947年の33,328人をピークに減少が続き、2010年の国勢調査では16,152人まで減少したとのこと。町では、島内の空き家情報を提供するなどして、移住を呼びかけている。
3日前、連れ合いに「もういちど行ってみたい」と声をかけると、「いいよ。一度もいっていないから」という返事だった。
初出:「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion995:120918〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。