テント日誌1月6日経産省前テント広場―483日目…第二テントで開かれたシネマでテントはにぎわっていた
- 2013年 1月 8日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
1月6日(日)、第2テント「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」主催で、DVD上映&トーク会が行われました。
第2回「しねま で てんと(CINEMA DE TENT)」、上映されたのは「グリーナムの女たち」(1983年/イギリス/60分(日本語版1986年制作)ビーバン・ギドロン監督作品)。
1982年12月12日の3万人以上の人間の鎖で米軍基地を囲み、基地の前でキャンプを張り、「非暴力直接行動」で戦った女性たちを追ったドキュメンタリー映画です。
腕を組み、座り込み、ごぼう抜きされながらも、歌を歌い、有刺鉄線の金網をよじ登り、基地に入り込む女性たちの強さ、したたかさ、しなやかさ。
映画は半年間の活動を追ったものですが、その後18年間キャンプは続き、ついには米軍基地撤退に追い込んだそうです。
2011年9月11日の経済産業省包囲行動の日から続くテントひろば行動に重ね合わせて観た人も多いのではないでしょうか。
上映後、映画の日本語版制作に関わった近藤和子さん、原発いらない福島の女たちの黒田節子さんをゲストにトーク会。第1回しねまでてんとで上映された「ブライアンと仲間たち」の早川由美子監督も参加。
参加者は21名で第2テントは満員御礼。途中、第1テントのYさんも参加。
近藤さんから、映画の背景など、貴重なお話を伺いました。
ネットのない時代、どうやって3万人もの人が集まったのか?「チェーンレター」(日本だったら不幸の手紙?)を使ったということです。
最初は男性もいた抗議行動だったそうですが、暴力行為やレイプなどがあったため男性を排除し、女性だけで非暴力で戦い切ったとのこと。
参加者からは、「男性は自分たちの暴力性を反省しなければ核はなくならない」「原発も同じだ」「男性だけではダメ、男社会の中で原発がこんなに出来てしまった、原発を止められなかった」という声があがりました。
テントひろばは非暴力の男性が建てたテント。原発いらない女たちは、男性を排除せず連帯して戦います。が、女性がもっともっと声を上げ、立ち上がり、行動しなければ原発はなくならない。
早川監督は「反対運動ではなく、回復運動だ」と述べられ、これには深く首肯しました。
反原発運動も同じ。原発にただ反対するのではなく、原発のない日本に回復する運動なのです。
(sirotama)
第2テントは「CINEMA DE TENT(=しねまでてんと)」でにぎわっていたが、第1テントでも寒い夜にもかかわらず議論が沸騰した。
・5日(土)に原発事故で全町避難する富岡町民が暮らすいわき市の泉玉露仮設住宅で餅つき大会があり、テントからも30人近くが参加して、交流ができとても楽しかったそうだ。
・安倍政権の「脱原発政策」の転換に対抗する戦略について熱い議論。福島の運動が面にまで拡がるといい、福島の住民健康管理の現状をもっと知りそれを訴えなくては。
・丁度一週間前に門松を届けてくださった方が車で引き取りに来られた。地下鉄駅入り口で記念写真を撮って。思わず感謝の気持ちをこめて「来年もどうぞよろしく」と言ってしまった。
・一昨年12月21日の野田首相によるフクイチ収束宣言が被曝労働他もろもろに大きく影響している。原子力規制委員会は「原子力緊急事態宣言」発動中のため設置法附則第7条第3項の例外規定に基づき野田佳彦総理大臣が任命したのだから、「収束宣言」は無効のはずだが…。
・頻繁に差し入れしていただいているタクシー運転手O.Kさんが話の輪に入られ、エネルギー論議。省エネも自然エネルギー開発も大切だが、広瀬隆さんが言われるように、電力も環境汚染と同様に小さく近い供給・使用がいいのでは、ガス・コンバインドサイクルや天然ガスの活用、熱エネルギーの有効利用等も大事。少なくとも、オール電化や電気自動車は遇の骨頂、と。O.Kさんはこれから毎週火曜日に座り込みに参加される。
(K.M)
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