著者への手紙―『白鳥事件 偽りの冤罪』を読んで
- 2013年 1月 24日
- 評論・紹介・意見
- 『白鳥事件 偽りの冤罪』一読者渡部富哉
渡部富哉著『白鳥事件 偽りの冤罪』(同時代社2012.12.28発行)2800円
渡部富哉様
年末、年始にかけて雑用が多くて少し時間がかかりましたが、18日にやっと昨年暮れにご恵与賜りました『白鳥事件 偽りの冤罪』(同時代社)を読み終えました。
私の読後感は、文句なしに面白いと思います。本の構成、ストーリーの立て方も、先にお出しになった『偽りの烙印』(五月書房)以来の、渡部流とでもいうのでしょうか、独自の体裁(論の進め方)にますます磨きがかかったものになっているように感じました。
そして私の興味を特に強く引き付けたのは、白鳥事件の詳細な調査、分析、論証(従来定説化していた松本清張の「冤罪」説への徹底した反論)もさることながら、随所に出てくる1951年以後の日本共産党の非合法「武闘路線」への傾斜(朝鮮戦争勃発以後の国際的、国内的な動向から強いられたものであったにしろ)と、そのために人生を狂わされた多くの真面目な活動家たちのその後の人生模様への著者の共感にありました。党の「無謬神話」を守らんがために彼ら生真面目に運動に邁進した同志や仲間を無残に切り捨て、一切を党とは無関係の、一部妄動分子の起こした軽挙として片付けて、今日に至るまでその誤りを認めようとせず、総括をないがしろにしてきた日本共産党への渡部さんの満身の怒りと弾劾の気持ちに私も強く同感しながら読みました。
1951年8月21日の日本共産党第20回中央委員会での新綱領(51年綱領)と軍事方針の採択、同年10月16~17日の第5回全国協議会(5全協)における新綱領の採択と武装闘争方針の決定以来、多くの犠牲者を出しながら推し進められた運動路線が、1955年7月25~29日に開かれた日本共産党第6回全国協議会(6全協)をさかいにして、一片の自己批判も総括もなく、全ては傍系の極左分子によって引き起こされた間違いだったとして、また党本部とは無関係な運動方針だったとして(「軍事方針はなかったことにする」)、その路線に従事した者をも含めて一方的に断罪、排除される(除名処分など)。こういうやり方の中で党の空疎な「純粋性」、一貫して大衆の味方であるという見せかけ(「神話」)をつくりだし、ちゃっかりと「公認された、選挙の党」に衣装替えをする、この身代わりの速さ、無責任さにあきれ果てるとともに、間違った路線を歩まされたとはいえ、村上国治をはじめとする多くの献身的な活動家のその後の痛ましい生き様に心打たれます。
唯一6全協方針に反対した椎野悦朗さんの言葉(「党史は財産だけでなく負債も受け継がなければ教訓にならない」)ではありませんが、運動は過去の自己の間違いを真摯に認め、それを貴重な体験として総括しながらでなければ決して未来につながるものとはなりえない、ということをこの本はよく教えてくれていると思います。その意味では、やはり第6章が「白眉」だったと思いました。
更に付け加えるなら、松本清張が『日本の黒い霧』の中でこの事件を権力側のでっちあげとして弾劾し、日本共産党及びその関係者に対する「冤罪」であるとして非難したこと、そのことによって結果的には代々木の「無謬神話」の擁護者となったこと、これはかつてゾルゲ事件で伊藤律に濡れ衣を着せて「現代のユダ」として葬り去ろうとしたやり口と同じではないのか…。このような定説の誤りを、現場調査や資料調査(膨大な裁判記録など)、聞き取り調査を重ねて丁寧に解きほぐし、暴き、そして反証することは、著者渡部さんの真骨頂であり、この本のもう一つの大きな「見せ場」であることはいうまでもありません。
権威に決しておもねることなく、あくまで自分の信念と事実関係を追いかける渡部さんの情熱と心意気には、ただただ敬服いたします。ここで書かれていることは、決して単なる過去の出来事として見過ごされるべきことではなく、すぐれて今日的な問題としてわれわれが記憶にとどめて考え続けていかねばならない貴重な経験であろうと思います。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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