【補足】都教委よ、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」は、何を誤解させる、というのか?
- 2013年 1月 30日
- 交流の広場
- 増田都子
皆様
こんにちは。増田です。あるMLで、とても大切な指摘がありましたので、補足として転送させていただきます。
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増田さん、「誰によって殺されたのか」を明示するか、しないかは決定的だと思うのですが。
そのとおりです! この点については、山田昭次先生が『関東大震災時の朝鮮人虐殺 - その国家責任と民衆責任』(2003年 創始社)の第1章「関東大震災時朝鮮人虐殺事件をめぐる私たちの精神状況を探る ― 朝鮮人虐殺事件関係の墓碑、追悼碑を手がかりとして―」に詳細に論じられています。
山田先生の著書から結論を言えば、2003年までに日本人が建立した碑には「誰が殺したか?」という「虐殺主体」が書かれているものは無いのです。日本人と朝鮮人共同の碑にも書かれていないのです。先生によれば「周辺の自治体の協力で建立されたので、朝鮮人も本心を抑えて譲らざるを得なかったのであろう」ということです。
私は日本人の一人として、被害者のほうにそんな「謙譲」をさせたことに対し「恥の上塗りの上塗り」を感じざるを得ませんが、都教委の所業は「恥の上塗りの上塗りに、更に恥の上塗り」をすることで、穴があったら入りたくなります。
ただ、2009年9月、市民団体の「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰霊する会」が建立した碑に初めて「日本の軍隊、民衆が」と虐殺主体が明記されましたので、チョコッとだけ、痛む良心をなだめるのですけども・・・こどもだまし(ハァ~)・・・
http://www.maroon.dti.ne.jp/housenka/
それで、問題の『江戸から東京へ』に記載されている都立横網町公園(墨田区 東京都慰霊堂があります)内の追悼碑について、山田先生は以下のように書かれています。
「碑文には『大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました。』と記され、国家の策動が朝鮮人虐殺の大きな原因であることを暗示している。
この追悼碑を建立した関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会は、なぜ、国家の策動と明記しなかったのか。この横網町公園を管理する東京都がそれを抑えたのか? いずれにしても虐殺主体を明記することは極めて困難なことが示されている。」
それとも、本文を読めば分かるようになっているのですか? 「尊い生命が奪われました」という表現では済まされない、と思うのですが、、、、。
PDFデータ
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/01/DATA/20n1o400.pdf
で、ご確認いただければ明瞭になると思いますが、もちろん、本文には、修正前でも一切、朝鮮人「虐殺」について書かれていません。ただ、修正前の現行版には追悼碑の写真と「「数多くの朝鮮人が虐殺された」という文章があったわけですが、都教委は、13年版ではそれさえも消去してしまったんです。
でも、教員がまともなら、新井巡査の証言などの諸資料を用意したうえで、「『尊い生命が奪われました』ということは『尊い生命』を『奪』ったヒトがいたんだよね? どういう人が、『朝鮮人の尊い命』を奪ったんだろう? どうして『朝鮮人』なんだろう? 『尊い命』を奪われたのは『朝鮮人』だけだったんだろうか?」と、発問していくことによって、生徒たちに考えさせ、生徒たちが自力で『あやまった国家の策動』を見抜き、国家の策動と結託したマスコミのデマに踊らされ、殺人者になりがらもほとんど反省することの無かった日本人民衆について、ショックを受け、より深く考えることができるようになっていく、と思う・・・のですけど・・・
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