戦争を無化する思想
- 2013年 3月 2日
- 交流の広場
- 宮内広利
どこか天井が抜けて青空が見えるような考え方はないのだろうかという内省が、どちらが頭か尻尾かわからないで頭の中をぐるぐるめぐっている。そして、その場合、天井とはどんな障壁なのか、わたしたちには明瞭には見えているはずもないのだが、少なくとも表面的なものではなさそうだ。すぐ思い浮かぶのは経済不況、GDPの頭打ちや雇用不安だったりするのだが、それらは結果ではありえてもそもそもの原因ではない。むしろ、反対に経済的不安や混乱を解説するニュースの言葉の見通しのなさや限界があるから、それらが異様に肥大化してあらわれてくるのではないか、それらの言論のために閉塞感がよけいに募ってくるのではないだろうか。
かつてわが国が、昭和の初めに中国と戦争をはじめて、太平洋戦争に突入する昭和16年12月8日にいたるまでの世相は暗澹としており、こんな屈辱的な平和よりも戦争の純粋さの方がましだというような雰囲気が立ち込めていた。そして、おおかたの知識人はそのような論調になすすべもなく沈黙するか、一般の国民と同様な見方によって思考を停止したのである。長びく中国戦線の泥沼に辟易していた国民の目には、勢いのよい対米英開戦論は鬱屈したおもいを発散する格好のカタルシスをもたらした。そんな中、すでに共産主義者たちは転向して内面的に屈折し、もはや現実の推移を追いかける力をもっていなかった。また、近代的な自由主義者も言論弾圧されるか拘束されており、いちおうに思想的根拠を失い、日米開戦に対して異議を唱えたものは皆無だったのである。そればかりか、共産主義者の多くは、まわりに氾濫する俗流「日本主義」や「八紘一宇」のスローガンを掲げる軍部ファシズムへの嫌悪ばかりか、わが国の対中国政策における欺瞞性を知っていたから、あたかも贖罪であるかのように対英米戦を反帝国主義戦争と位置づけ、積極的に戦争協力するものさえあらわれたのである。
わたしたちはともすれば過去を錯覚してしまいがちになるのだが、戦争ははじめから一足飛びに、三百万人にものぼる戦死者や焼け野原を想定してはじめられたものではなかった。また、国外で行われた戦争だからよい戦争で、全面戦争や総力戦だから悪かったといえるのではない。戦後すぐの頃、竹内好は、大東亜戦争は対米英戦と対中国との戦争を区別しなければならないと言ったが、どちらを肯定しても否定もしても、それは結果論にすぎない。だからこそ、戦争批判は、だれがどのような考え方をもって、どの場所で戦争遂行を行ったのかを考慮にいれなければ思想的意味をもたないのである。中国大陸での戦争の開始から太平洋戦争の終わりまでに、悲劇は着実に膨れ上がっていた。もはや、国民の誰一人の利害にも結びつかないことがわかっていながら、「生命線」が脅かされていると感じている大衆の鬱屈感も悲劇なら、対米英開戦の際に無防備なカタルシスを覚えた知識人の感慨も無残なのである。そう考えなければ、戦争の遂行は人間の思考にはまるで関係のない偶然性の塊のようなものになってしまう。人間の思考に関与しない戦争はありえないとともに、戦争が悲劇であるなら、それを回避できない思考自体も悲劇であることに変わりないと言えるところに、結果論では見えない戦争の実相を読み取るべきなのだ。
そこで、わたしが問題にするのは、現実の戦争の以前の空間であり以後でもある「思想としての戦争」という意味に絞られてくる。そこでは戦争政治を左右する力が思想に残っていることを前提にするなら、それが無力な展望しかもたらさないときに限り、戦争はおこってしまうと考えるからだ。この場合、「思想としての戦争」は、戦前においては北一輝の軍事クーデタの思想や西田哲学、日本ロマン派が戦争を賛美し、戦争の遂行を支持し、合理化したというような思想界の表だった出来事を指しているのではない。ナショナリズムの根本にあって限界表現ともいえる大衆の醸し出す空気のようなものが、戦争に大きく傾斜していく発端になったとおもえるからだ。柳田國男の言葉を使えば、歴史の上に現れない「観られる人」としての常民の、「観る人」との矛盾の表出そのものが、戦争をひきよせたといえるかもしれない。
そのような常民の思想の幅で切り取れば、「思想としての戦争」は、現実の武力をともなった独立した社会現象としてのみあらわれているわけではない。クラウゼヴィッツの言うように、戦争は政治に内属する道具として、政治目的を果たすため力によって相手に自分の意志を強制することであるなら、「絶対戦争」の理念は「制限戦争」の意味あいをもっており、戦争それ自体が、現実社会の制約をうけているとみなければならない。そこで、戦争を単に武力行為にとらわれずに思想的な動向とみる場合、現在の世界の社会経済の流れは、国際競争という名のもとで、それぞれの国民国家間の経済摩擦や軍事力不均衡の問題として戦争の影を引きずっているとみなしてもおかしくない。わたしたちはこの戦争の実態を、ニュースの中の財政赤字、為替の動向や株の上がり下がりなどで見守っている。しかし、わたしたちはそれを目にみえる武力戦争のようには感じていないのだが、その一方で、多くのひとびとがそれを、どこか遠くのものを見るように受け取っているという確信はない。つまり、そういう世界経済と国内経済の変動は戦争と同じくわたしたちには縁遠いと感じる自分と、それとは裏腹に、もしかしたら世界や国内経済と自身の現実生活の行方を重ねて一喜一憂する自分がいるとするなら、この心の中の多面性をどう整理すればいいのだろうかと悩んでしまうのである。
そう考えると、わたしたちの心はいつのまにか戦前の時間に戻ってしまって、少なくとも、大戦当時は実際の武力戦争を引き起こしたから思想が悪かったというような戦争批判は、現実性をもたないことを知る。つまり、あの戦争の当時と現在は「思想としての戦争」という考え方においては同じ土壌の上にあるとおもえるのだ。なぜなら、戦争の問題を永遠に解決するかに見えた戦後民主主義思想はソ連邦の崩壊とともに消滅して、戦争の時代と現在を覆う隔壁はもはや崩壊してしまったからである。それは帝国主義戦争と植民地解放戦争、米国の占領期間、東西冷戦と資本主義の成熟をくぐりぬけたあと、第二の戦前に遭遇したと言い換えてもよい。
わたしたちは、現在もかつての戦争の時代も、国民の生活を守り国家の主権を守るために、防衛力を増強して国土の守りを固めることが、戦争を防ぐ唯一の方法であるかのような言いまわしを受け入れてきた。この常識的な考え方の中では、経済の問題も政治の根本の問題も国家の問題に圧縮されて封じ込められてきたのである。経済の問題は国家の問題につながり、経済の展望が開けないのは国家の展望が開けないことと同義になってしまっている。そればかりか、国家というものの起源が他国家との関係の中でしか成り立たないとすれば、それは「国家としての戦争」状態を現在進行形の姿であらわしていることにほかならない。だとすれば、わたしたちの閉塞感や混乱のおおもとは、かつては直截な武力衝突につながり、現在では、間接的な国家間競争の渦中にあるが、総じて「戦争力学」ともいえる考え方の中に集約されているにちがいない。そして、今まで誰一人として、身辺の日常の生活をとおして、ひとびとの経済生活や政治の見方が偏っていたから、思想は戦争に抗うことができなかったと考えてはこなかった。それは一部の軍国主義者と政治支配者が民意を無視して勝手におこなった戦争という括りをされたのである。しかし、戦争は経済社会の不安とともに、「国家とはなにか」や「国益とはなにか」という問いかけの中に、すでに国民国家像が漠然と抱えている視界の不明瞭さに根拠をもっているのである。その点において、戦前と現在が当面しているものは少しも変わっていないのである。つまり、戦争を批判することは現在の世界を批判することであり、現在の世界を批判することは「戦争の力学」を批判することなのである。
「思想としての戦争」は、なぜ、だめ(だった)なのか。これに正確に答えられるかどうかの分かれめは、「国家としての戦争」あるいは「戦争としての国家」が見えるか見えないかにかかってくるとおもえる。たとえば、従来の市民運動は、憲法9条の戦争放棄の規定を盾にとって、護憲の立場からその理念を現実的に武力放棄によって実現しようと、戦争よりも相対的に平和に近づく運動をすすめた。これは憲法9条の理念を現実に移すことができる可能性に見合う幅で切り取り、ひとびとに戦争か平和かという簡単な選択を求めるものであった。それによって「国家としての戦争」の問題は理念の対象になりえず、あたかも憲法そのものが理念でありえた空間ができてしまったのである。このため江藤淳のように、憲法そのものが米軍により押しつけられたものであり、その理念はタブーと検閲によって守られ、戦後の日本人の言語空間を閉ざした結果の産物にすぎないという考えがでてきたのである。いわば、護憲勢力は、生きている人間の思想理念よりも先に、憲法そのものを理念として掲げてしまったとき、憲法論争に及んでしまうやいなや、当の戦争の本質が脇に追いやられることになった。そして、護憲勢力も改(廃)憲勢力もともに、制度と理念の問題の混同を招き入れたのだが、理念と制度を同列にみなしてしまうことはただの手続論にすぎなかったのである。
わたしは戦争というものがそれ自体、無機質のシステムのように単独にあらわれるものではなく、人間の物の考え方や行為の型をとおして、つまり、歴史的に「思想としての戦争」という形をとってあらわれてくることをみてきた。そして、それが「戦争としての国家」の中で「戦争力学」を生み出したと考え、これについて深く考えていかなければならないとおもってきた。この「戦争としての国家」という区切り方は、現代の戦争戦略の観点からみれば、パレスチナ紛争を除いて東西冷戦まであった国家間の全面戦争論の華やかな時期とはちがって、テロリズム、ゲリラ戦争や階級的紛争のように国家を横断して行われている戦争の実態とそぐわないという異論がでそうだが、それは国家と戦争の問題を本質的に関連させていない考え方にすぎない。
わたしは憲法9条の抱いている理念は、もっと高度な視点から理念化されなければならないとおもっている。それは9条でうたわれた「戦争の無化」が、戦争の本質と国家の問題について人間の思考が考えられる限り、最大限の高みに上る視線の可能性を秘めているからだ。それは戦争と平和が対極にあったり、戦争と平和は表裏であって平和を欲するなら戦争を理解し、戦争を理解するためには反対の平和について考えなければならないとするすべての思想とは、戦争と国家への視線の落とし方がまるで異なっているのである。つまり、論理的にたどっていけば、人間の思考は、もはや平和を餌にした戦争や戦争を手段に使った平和には満足しないのである。かといって、戦争をなくすためには、反対概念としての平和概念をひろめたり、また、戦争の悲惨をいくら声高に叫んでも、それだけではだめだとおもう。
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