怖い話
- 2013年 4月 5日
- 評論・紹介・意見
- 大野 和美道徳教育
昨日(4月4日)の日銀の金融緩和策で円相場は大幅ダウン(対ドル、ユーロ。以下、円相場のアップ・ダウンは対ドルとする)、日経平均株価は大幅アップだ。どこかで有頂天担っている人もいるだろう。ただ、この二つの「マーケット」は、もはや投機性の濃い場になっていて、一時的な変動に一喜一憂するには適さない。一定期間、一定の相場が出来てみなければ判らない。ちょうど、一頃の円相場が80~90円をさまよい、株が8000~9000円辺りをうろついていたような安定がいずれ確定するまでまとう。どのみち、日本を含めた先進諸国の経済が「活性化」などというのは見果てぬ夢さ!
むしろとても心配なのは、イデオロギー政策だなあ…。例えば、道徳教育の登場だ。これは安倍氏だけでなく、自由民主党(以下、自民党と略記)では古くから推進・実現努力が払われてきた。
自民党の人々が「道徳」を云々する立場なのか否かおわかりになっていないわけだ。すでに、21世紀直前に、「心のノート」というパンフレット?を文部科学省が配布している。これまでは、教科書ではないとされてきたが、教科書でないものを文部科学省の負担(つまり税金)で勝手に作成し、配布する法的根拠が判らないが…。中学生向けの「心のノート」をアマゾン経由で取り寄せてみた。
自分を見つめ直す、自分探しが中心テーマのようだが、「思いやる心を」というま2章相当の項は「礼儀知らずは恥知らず?」という目があり、「礼儀には脈々と受け継がれている伝統的な意味があり価値がある」と突如一緒に考えようというこれまでのトーンから一転した頭ごなしの論説が現れる。「伝統」に寄りかかった「生活規範」の説教だ。この章は人との接し方を説く「生活規範」を注入しようとする箇所ともいえる。その集大成が4章「社会に生きる一員として」であろう。この章の全てが「道徳教育」とは言わない。しかし、前4章126頁の内、50頁をこの章が占める。もう「心」をさぐり、見つめる作業はほぼ消えて、社会では、人間相互ではこのように考え、行動するべきだといった何かの注入が中心になっている。その締めくくりが[国を愛し、伝統を受け継ごう]という新教育基本法の新精神である。僕らは、それぞれ自分なりに生まれ育ったこの風土の善し悪しを評価し、良い点を大事にしたいと思っている。それは伝統でも同じだろう。しかし、それを日本国を代表する気分で教え込まれ、それと違えば評価が下げられるといった教育の場に持ち込むことは断じて認められない。学校での国旗・国歌への態度の評価を見なさい。今度は、教員が教科書の「愛国心」や「伝統尊重」の内容に同意出来ないと教室で教えなければ懲戒されるわけだ。生徒も教科書の「愛国心」に反発すれば落第どころか売国奴と蔑まれかねない。しかし、道徳教育を教科にすべくつとめている人々はそうすることで日本国はまともな国家になると信じ、反対するのは国賊と思ってしまうのだ!僕が本当に恐ろしいと思うのは、この人々ではない。むしろ多くの日本人は、国を愛するのは当たり前で、学校で教えることになんの危惧も感じないであろうということだ。ちょうど、新教育基本法がこの点での追加を眼目にして、至極あっさり国会を通過してしまったように。アベノミクスは現実の前で破綻する。憲法9条の「放棄」も再軍備に敏感な国民の同意を得るのは難しい。けれど、安倍氏のもくろみの中心は、日本人を明治憲法の精神に帰す事ではないかな。これは、僕の世代では日教組が現代悪の根源と思いこむ(若者への反発が軸で、なぜかの説明は皆無)手合いが圧倒的で、なかには明治憲法に戻るべきだうそぶく者も実存するという現実がある。道徳教育は至極簡単に実現してしまうのではないか!?
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1226:130405〕
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