システム・意識・資本
- 2013年 4月 15日
- 交流の広場
- メキシコ山端伸英
日本資本の動きが昨年も活発だった。しかし、何かにせかされているのは確かで、今でもメキシコのような停滞した場所にも70社ほどの会社がプラントを開始している。
1.2011年に地元日本商工会議所へ加入したのは9社で、これは例年になく多かった。しかし、2012年の加入は54社だった。
2.東電に代表されるように戦後システム側は「虚妄」を知悉しながらも、国内的にはそのシステムを保持しようとしている。
3.だが産業の動きは国内的なシステムの硬直を即座に感受し、打開を図っている。
4.市民的立場では支配側として把握できる戦後システムの無責任と虚妄との汚染廃液との共存を迫られている。
この局面をじっと観察していると、植民地意識の中でまったく意識を閉じられて産業化できず、韓国にも、ブラジルにも、中国にも、べトナムにも生活水準を抜かれてきたメキシコ社会との相似の閉塞的事態がある。
しかし、日本にはまだ、それなりの教育水準もあり、大学にも学問らしきものがあり、ファシズム下においても仏教研究などで停滞を免れてきたようなビジョンがある。ただ抵抗勢力のビジョンの停滞の面で日本の状況はメキシコの停滞を踏み始めている。それは国民意識という次元においても「資本」の動きと想像力から距離を置かれ始めている。
他方で、日本は築地市場の廃棄などに見られるように最近の日本人自身の文化創造についての歴史や文化価値についての評価意識を放棄し始めている。教育現場の荒廃という後景もあるのだろうが、これらは文化創造への弾圧というメキシコ次元への接近を示唆するものでもある。
支配の言葉にさまざまな使い分けが生じ始めていることに注意するべきだろう。現前する原子力問題の前で刻々とサバイバルに動いている勢力と沈滞する勢力との知的力量の差が開き始めている。
そこには一種の低温的ファシズムの芽生えが、具体的には組織内の細やかな人間関係から始まって、左右の風景の中にちらついているように思う。
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