小林桂樹追悼
- 2010年 9月 24日
- 評論・紹介・意見
- 半澤健市小林桂樹真の演技者追悼
小林桂樹が逝った。10年9月16日のことである。
1923年生まれ。享年86歳であった。生涯に260本の作品に出演したという。
《『ホープさん』から社長秘書へ》
小林は始め映画批評家になりたかった。それが1942年に『微笑の国』(日活・古賀聖人監督)という作品で映画俳優となった。戦中に出演した作品はほかに次の6本がある。(注①)
『将軍と参謀と兵』、『第五列の恐怖』、『マライの虎』、『重慶から来た男』、『シンガポール総攻撃』、『菊池千本槍 シドニー特別攻撃隊』。最後の特攻隊映画では主役だった。
戦後は脇役を経て『ホープさん』(山本嘉次郎・51年)、『ラッキーさん』(市川崑・52年)で主役となり人気を得た。その後もサラリーマン映画に数多く出演している。しかし東宝サラリーマン映画の中核は「社長シリーズ」であった。ベテラン俳優河村黎吉(かわむら・れいきち)が社長を演ずる『三等重役』(52年)がその起源である。サラリーマン作家源氏鶏太(げんじ・けいた)作品の映画化であった。56年に『へそくり社長』が続編として出る。前作では人事課長だった森繁久彌が社長に扮し―この間に河村が死去―ている、加東大介、三木のり平、小林桂樹らが森繁を支える陣容が整っていった。その後、社長シリーズは意匠を変えながら数多く製作された。
《社長シリーズは時代の反映》
作家の長部日出雄は社長シリーズの出現をこう考察している。
▼総じて社長シリーズは高度成長の波に乗って前途に明るさを感じはじめたサラリーマンの浮かれ気分を象徴し、まだ満たされない遊興願望、出張(=旅行)願望などを代行する役割を果たしていたといえよう。したがってサラリーマンが現実にそれらの願望を果たせるようになった六〇年代の後半には、役目を終えて、消滅の運命を辿ることになる。(注②)
長谷部のいう消費願望に加えて、私は社長シリーズがサラリーマンの勝利願望をも代行していたと考える。このシリーズでの企業競争は同業他社との戦いである。通例、危機一髪の場面で、絶妙な「人間関係の活用」と「僥倖」が森繁側に勝利をもたらす。サラリーマン観客は、現実はそんなに甘くないのを承知の上で、自分の会社に引きつけて競争の勝利を喜んだのである。未来が明るく見えた時代であった。「坂の上の雲」の企業版であった。
それが「消滅の運命を辿」ったのは、高度成長が企業の巨大化・官僚化をもたらしたからである。企業経営は「人間関係と僥倖」に依存する季節を終えていた。三木のり平の営業課長は「パーッとやりましょう」といって料亭でのドンチャン騒ぎに持ち込む。それで営業に勝利する。イノベーションの時代が、そういう営業を無力にしたのである。「社長シリーズ」は、その後次第に「クレージー・キャッツ」や「ドリフターズ」が演ずる「無責任シリーズ」へ方向転換する。リアリティーをなくしてナンセンス喜劇へ変貌する。
《社長秘書でないサラリーマン》
社長シリーズで小林桂樹は、社長秘書として加東大介や三木のり平を真面目な仕事へ引き戻す役回りであった。社長の家庭内トラブル―恐妻家のくせにバーのマダムとの浮気を図る―に辟易しながら、時には美人OLを射止める幸運な役を演じていた。
小林はそういう役割を真面目にこなした。この系列は小林の成果として伝えられるべきであろう。しかしそれだけで満足しなかったのであろう。シリアスな役にも挑戦した。それは何であったか。
志村喬における黒澤明、笠智衆における小津安二郎に匹敵するコンビの結成によって小林桂樹は一つの自己証明を実現した。その監督を堀川弘通(ほりかわ・ひろみち)という。
堀川は、黒澤明の一番弟子として『七人の侍』(54年)のチーフ助監督を務めたあと、『あすなろ物語』(55年)でデビューした。
『裸の大将』(58年)と『黒い画集―あるサラリーマンの証言』(60年)は堀川・小林コンビの大きな達成であった。作品は、それぞれの年に「キネマ旬報ベストテン」の第9位と第2位にランクされた。社長シリーズが高度成長の応援歌であるのに対して、この2本は別の視点で作られている。その視点は高度成長とその背後にある戦後への批判であった。
《堀川弘通・小林桂樹コンビ》
『裸の大将』は、山下清という特異な画家のロードムービーであった。小林は見事に画家に変身した。作中で堀川は戦後の総括を忘れて経済発展に価値を認める人々をやんわりと批判した。この作品のラストに出てくるシュールな画面を見るだけでも価値がある。
『黒い画集―あるサラリーマンの証言』は、松本清張の小説が原作である。小林の扮する大手繊維会社の課長が、浮気の発覚を恐れて法廷で偽証をする。ここから彼の人生が狂い出す。この作品のオフィス場面を観たときに、私は自分の勤務するオフィスが再現されたのかと錯覚した。現実感をもったリアリズムである。準備のために丸の内のビジネス街を丹念に観察したという。そしてラストシーンの警視庁前の静寂。そこから失意の主人公が歩き出す。それは観客を粛然とさせる力があった。小林は「社長シリーズ」における自分の役割に復讐するかのように演じた。私にはそう見えた。
この見方が主観的すぎると感じる読者は、この作品を是非観て欲しい。堀川は小林を語って、「きわめて平凡な人間の姿から非凡な演技がほとばしり出るかけがえのない俳優」と言った。抑制された表現のなかに強いオマージュがある。
《真の演技者へ送る言葉として》
小林がシリアスな作品で示した名演技はほかにも沢山ある。『江分利満氏の優雅な生活』(岡本喜八・63年)は、高度成長初期のビジネス界が舞台である。作家山口瞳の同名作品の映画化である。主人公は35歳の戦中派である。戦後20年を経た社会に対する主人公の怒りと悲しみと韜晦があった。ここでも小林は戦中・戦後の経験を滲み出すように演じた。
『新しい背広』(筧正典・57年)における爽やかなサラリーマンの表現。『愛する』(熊井啓・97年=浦山桐郎による69年『私の捨てた女』のリメーク)における老いたハンセン病患者。強い存在感を示した名演であった。
私は胸中にある小林のことだけを書いた。自分だけの追悼である。
注① 出演作についての情報は主に「キネマ旬報映画データベース」サイトによる。
注② 長部日出雄「大衆映画の世界」、『講座日本映画6 日本映画の模索』、岩波書店、1987年
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