在華日系企業と日本人の運命について ――チベット高原の一隅にて(93)――
- 2010年 10月 7日
- 評論・紹介・意見
- 対中国関係尖閣問題阿部治平
対中外交について、いささかの焦燥感に駆られて書きます。
仙谷官房長官は、9月13日に記者会見で、船長を除く乗組員14人と漁船を帰還させれば「違った状況が開けてくるのではないか」といった。だが、中国政府は態度を硬化させ、日本政府の措置にはおかまいなしに船長の釈放を要求した。そこで29日の彼の記者会見では、「(漁船員の)領事面接の便宜取り計らいや14人の世話などを通した(中国本国への)報告で中国側も理解してくれるだろうと判断していた」と釈明した。
さらに、同事件で中国が強硬な態度をエスカレートさせてきたことについて「20年前ならいざ知らず、中国は司法権の独立、政治・行政と司法の関係が近代化されずいぶん変ってきていると認識していたが、あまりお変わりになっていなかった」と発言した(2010.09.29日本各紙ネットニュース)。
10月2日、民主党の枝野幸雄幹事長代理は漁船拿捕事件に関連して「中国とは法治主義が通らないという前提で付き合わないといけない。そういう国と経済的パートナーシップを組む企業はお人よしだ。カントリーリスクを含め、自己責任でやってもらわなければ困る」といったという(2010.10.3同上)。
2人が国政に直接携わらないものの発言ならばともかく、仙谷は日本の政府のカナメにすわり、枝野は与党の指導者である。ここには重大な問題がある。
第一、仙谷の発言は対中交渉の過程で彼が得ていた情報が少ないか、内容のないいい加減なものであったことを如実に示している。中国政府が尖閣漁民拿捕事件で周知の攻勢に出たのは、いうまでもなく自国の領土であると主張し、なおかつ領土問題を「棚上げ」にしてきた海域で日本政府が漁民を拿捕するという挙に出たからである。
中国外交部は何かに駆られたかのように、駐華日本大使を4回も、最後には夜中に呼び出し、日本人の拘束も含めて報復処置を連発した。これは、ただちに乗組員全員と漁船を釈放・解放すれば中国も対応を変えるというシグナルのはずだったが、日本政府首脳にはこれがわからなかった。
同時にこの事態は中国指導者集団に緊急に事件を解決しなければならないか、強硬な対日姿勢をとらざるを得ない、なにか緊迫した内部事情があったことを十分にうかがわせるものである。私は外務省の中国担当や駐華日本大使館員やその経験者、鋭敏の北京ウォッチャーには中国の出方の背景に何があるか、これに対応できる豊富な情報や人脈が蓄積されていると信じる。仙谷はそれに関心がなかったか無縁の位置にいた。日本大使もまたこの蓄積された情報と人脈を利用しようとはしなかったらしい。
このため中国人船長を逮捕起訴すればどんな事態になるかを考えず、無自覚、無防備のまま国内法で司法手続きに入り周知の結果を招いた。重大な過失である。
第二、仙谷は拿捕した中国漁船員に礼を尽くせば「中国側も理解してくれるだろうと判断していた」という。希望的観測がはずれたことを披露したのだが、政府首脳が脳みその中身までさらけ出してどうするのか? こうした場合、思い違いは黙っているものではないのか。
だが、仙谷の根拠のない期待感はどこから来たかは検討しなければならない。彼が必要な情報を掌握していなかったのはもちろんだが、深層心理に中国に対してはインド半島や東南アジア諸民族とは異なる親近感があるからではないかと思う。「同文同種」という、思えば奇想天外な、日本人の多くがもつ対中国観と共通する感情である。それは漢字使用や有害無益な「漢文」教育から来たものかもしれないが、まったくまちがっている。
仙谷には、中国人が日本人とは異なった言語を話し、異なった発想方法を持ち、異なった領土観を持っていることがわからないらしい。むしろ中国人は全体としていえば、日本人に対しいささかの親近感もない、激しい敵対感情をもつ民族である。じじつ彼らの愛国教育とはすなわち反日教育である。
第三、この2人は拿捕事件が起こるまで、中国が三権分立、司法の独立傾向を強めているかのごとき認識を持っていた。いったい何を根拠にそんな考えを持ったのだろう。そんな期待可能性は一切ない。
中国は一党「専政」国家であることを世界に公表している。憲法に中国共産党の指導を明記し、その原則で法が施行されている。鄧小平時代は「4つの原則」があり、以来まったく変らない。三権はすべて中共の指導下にあるから、司法の独立たとえば党中央の政策に反する裁判所の判決はありえない。
しかも中国は一党支配のもとでの「(人治に対する)法治」を標榜しその努力をしている。この点で弁護士上がりの枝野の「中国とは法治主義が通らないという前提で付き合わないといけない」という発言はいまさらの悪態であり、不正確である。正確には中国には「法の支配」が存在しないというべきであり、それははじめから中国の国是である。
第四に政府与党要人がこうして自分の無知をさらけ出し、手の内を明らさまにした挙句、中国は「悪しき隣人」とか、「中国とパートナーシップを組む企業は・・・カントリーリスクを含め、自己責任でやれ」などというのは正気の沙汰とは思えない。中国と日本とはそれぞれ貿易は往復で25兆円前後(対アメリカは14兆円)、依存度にしても20%を超えている。どんなに嫌でも互いに相手を必要としている関係だ。与党要人が「悪しき隣人」などと罵言をはいていいのか?
知的財産権にせよ労働関係にせよ、中国の政策が変ったとき(この可能性は絶えずある)、自国政府の援助を期待できないとすれば、中国から撤退するほかない日系企業が多数生まれる。それでどうして欧米に伍し「中国14億のお客さま」を相手にしてゆけるか。日中間の「友好外交」はたてまえにすぎず、「戦略的互恵関係」が脆弱なものであることは中国漁船拿捕事件からも明らかであろう。
枝野の理屈だと私のような個人契約によって中国の公的機関で仕事をしている人間も「お人よし」で日本政府は保護しないことになるが、そういうことなのか。
日本人としてひどく惨めな思いをしたのは、アメリカの国務長官に尖閣列島は日米安保の対象範囲といってもらったことである。アメリカは「浮世の義理」でそういったかもしれないが、過去を振り返れば本気で日本の利益を守る気などないことは明らかだ。中国当局もこれを冷笑したであろう。アメリカは必要とあれば日本など忖度せず、自国の利益のためにいつでも中国と妥協する。中国もまたアメリカと結ぶ。いい例が1972年の日本の頭越しに行われた米中和解、キッシンジャー外交である。
中国のメディアには「中国崛起(中国は興隆する)」という見出しが絶えず現れる。外国に侮られない国家になるということである。この場合最大の外国はアメリカである。こちらでは日本はアメリカの従属国と見られている。日本が真の独立国家として外交を展開しない限り、今後中国は今まで以上に日本国家に対して大国として振舞うだろう。在華企業、在華日本人もそのあおりを食らうことは目に見えている。その認識と覚悟が日本政府とりわけ外交担当者にあるだろうか。
日本ではメディアや野党・与党の一部、評論家たちが「腰抜け」とか「軟弱」外交といった批判の仕方をしている。中国に対する「毅然とした態度」「断固とした姿勢」などという言葉が何をさすのか、最終的には戦闘も辞さずということか、そうならそうというべきだ。
具体的に何をやり何をやってはいけないか、なぜこうなったか、これを明らかにしなければ国民にいたずらに反中国感情をいだかせるだけである。それは百害あって一利もないいいかただと思う。
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