中國の「今」を映した薄熙来裁判
- 2013年 8月 29日
- 時代をみる
- 中国田畑光永薄熙来
管見中国(45)
薄熙来裁判が終わった。判決はこの後、「日を選んで」下されるそうだが、さまざまな意味で中国の「今」を感じさせる裁判だった。日本でも報道によってたくさんの情報が伝えられたが、とりあえずメモ風にこの裁判の要点を記しておくと、
1、当初、22,23日の2日間の予定だった審理が26日までの5日間と大幅に延びた。これはこの時期に裁判を設定した政権の目論見が狂ったことを示して いる。どう狂ったのか、はっきりは分からないが、たとえば薄熙来が予想以上に饒舌であったことなどはたんに計算外としても、彼がすべての容疑を否認したこ とはおそらく、あらかじめ決めた判決内容を再検討する必要を生む目論見違いではなかったか。
2、注目の裁判をどういう形で一般国民に知らせるか について、裁判所がツイッターで審理の内容を流すという新例を開いた裁判であった。テレビ中継ほどの迫真性はなく、また普段から活字に接していない人間に は届きにくいが、それだけ制御された形の情報公開を可能にしたわけで、世論を操作したい政権には有効な方法であったろう。
3、党中央政治局員 (20人強)にまで登りつめ、あわよくばさらにトップ数人(現在は7人)の同常務委員にまで入ろうかという幹部が収賄、横領、職権乱用に問われたのだか ら、犯罪は犯罪としても、裁判に政治性がつきまとうことは避けられない。しかし、それにしては裁判に緊張感がなかった。勿論、テレビで見たわけではないか ら、やり取りの文字づらの印象だが、かつての四人組裁判(1980~81年)とは比べるまでもないが、その後の陳希同(北京市委書記)裁判(1995 年)、陳良宇(上海市委書記)裁判(2008年)に感じられたほどの緊張感もなかった。
さて、話の順序として薄熙来にかけられた被疑事実の内容を要約しておくと―
まず収賄。1993年から大連市長となった薄熙来は、文革中、北京の工場で働いていた時に知り合った唐肖林という人物を大連市が香港に設立した「大連国際 公司」で働かせていたが、唐は近くの深圳市にある大連市の事務所がろくに機能していなかったのを見て、事務所に隣接する土地の所有者と合弁で「求是大廈」 というビルを建設して1600万元(約2.6億円)を儲けた。その件で薄熙来に計画を認可してもらったり、深圳市長に口をきいてもらったので、現金8万米 ドルを含む111万元(約1800万円)を支払った。また薄熙来は大連市長、遼寧省長、商業部長(閣僚)、重慶市書記時代を通じて、徐明という出入りの事 業家にさまざまの便宜を供与して巨額の賄賂を受け取った。唐、徐からの収賄総額は2180万元(約3.5億円)に上る。特に唐はフランス・ニースの別荘を 薄一家のために購入し、また薄の妻と息子(薄瓜瓜)が外国に出かける際には航空券、ホテル代などを負担したという。
次に横領。薄の大連市長時 代、大連市は上部の遼寧省の秘密施設の改装を命じられ、その工事代金として省から秘密に支払われた500万元(約8000万円)を王正剛という当時の市の 担当局長と共謀して、薄熙来の妻、谷開来(後述の英国人殺害で12年8月に執行猶予つき死刑判決)が経営する弁護士事務所に振り込んで横領したとされる。
そして職権乱用。重慶時代に薄が「打黒」と称してやくざ撲滅に力を入れたり、企業家の不正蓄財を暴く過程では、遼寧省から引き抜いた王力軍を公安局長から さらに副市長に取り立てて重用した。しかし、2011年11月に谷開来が英国人、ニール・ヘイウッドを殺害した件では、薄は王に激怒、12年1月末に王を 殴打した。王は命の危険を感じて同2月6日に成都の米総領事館に駆け込んで庇護を求めた(王はすでに12年9月に懲役15年の判決を受け服役中)。
この件で薄は王が行方不明の間、病気療養中と虚偽の発表を行ったなどの行為が市長としての職権を乱用したとされた。
裁判では王力軍受刑者が証人として出廷、また妻の谷開来受刑者の証言内容はビデオで映しだされた。そのほか、多くの関係者の証言が検察側から法廷に持ち出 されたが、薄はことごとく「自分は知らない、自分はかかわりがない」と容疑を否認、合わせてすべての証言者の人格を非難、攻撃した。服役中の妻に対しては 「頭がおかしくなった」とまで言った。唯一、王力軍の米成都総領事館への駆け込み事件については、「自分にも間違いがあった。責任を感じる」と言ったが、 それは政治的結果に対する責任であって、職権乱用についてはやはり否認した。
こうして裁判では、薄は取り調べ段階で自身が認めた証言まで否認し たのだが、その態度変更については、「容疑を認めれば、党籍保留となり、政治生命が絶たれないと思ったからだ」と、取引に応じたことを示唆して、しかし、 権力側が党籍をはく奪したので、態度を変えたということで正当化した。
結局、薄が検察側と全面対決する形で審理は終わった。最後に検察側は「収賄、横領は巨額に上り、職権乱用の影響も大きい。厳罰にあたいする」と述べて、筋書きを裏切った薄に対する恨みごとのような捨て台詞を締めくくりとすることになった。
最初にこの裁判の要点を記した時に、3、として「緊張感がなかった」と言ったが、それは、大物政治家と検察の全面対決には間違いないにしても、明らかにさ れる容疑事実が現在の常識ではいかにもありそうなことばかりであったからだ。確かに出てくる金額は大きい。しかし、つい7月8日、北京の法廷でやはり収 賄、職権乱用で裁かれ、執行猶予つき死刑の判決を受けた劉志軍元鉄道相が受け取ったとされた金額は6460万元(約10億5000万円)であった。これほ ど巨額の汚職でも死刑にならないとすれば、薄熙来が恐れ入らないばかりか、いまだに権力者のように尊大な態度で元部下や贈賄側、妻までを罵倒するのも別に 驚くにはあたらないのかもしれない。ひょっとすると彼は政治の風向きでは再起もありうると思っているのかもしれない。
前に挙げた1995年の陳希同裁判にしろ、つい2008年の陳良宇裁判にしろ、首脳級の幹部が不正を裁かれるというだけで、「大変なこと」であったが、今やその「大変さ」も大分格が下がったということであろう。
ただ私としては、中国のメディアはとくに取り上げていないが、2つの点が中国の「今」を映すものとして印象に残った。
その第1は薄熙来が横領に問われた500万元という金の素性である。この金は遼寧省が省の「秘密施設」の改装費として工事を請け負った大連市に払ったもの である。その性格からありのままに帳簿に載せることははばかられると王正剛が市長である薄に相談したところから、横領話はスタートする。横領は勿論、犯罪 であるが、その前に「省」の「秘密施設」とはいったい何なのか。それをだれも問題にしないで、裁判で堂々とこの言葉が飛び交うところが「今」であると思 う。
省の秘密施設と言っても別に軍事施設ではない。高級幹部の保養施設、もっとありていに言えば享楽施設のはずだ。そのことは誰しも分かり切っ ているから、とくに言い換えたり、曖昧にしたりすることなしに普通名詞として公判廷に登場したのであろう。これをしも、中国国民は度量が大きいと言うので あろうか。
第2は薄夫人が徐明からフランスの別荘を寄贈されたことについての発言である。夫人は谷景生という国共内戦を戦った将軍の娘で、夫と 同じく太子党であるが、なぜ別荘をもらったのかについて、「息子が将来、外国で勉強するときに、その別荘を人に貸せば安定した収入が得られる」と言ったの だ。
国の首脳の1人、場合によってはトップをも狙おうという位置につけている人物の家族も、成り行きによっては外国で収入の道を探すことになると胸の中で感じているのを、この発言ははからずも示している。
「裸官」という言葉がすでに市民権を得ているように、家族を国外に住まわせて、国内に自分だけが残って仕事をしている官僚が増えている。最近の汚職は金額 が先の劉志軍は極端な例としても、ますます大きくなっているのは、汚職の目的が中国で広い家に住んで贅沢をしたいというレベルを超えて、一族郎党こぞって 外国で暮らせるだけのものをつかんで高跳び、という青写真が多くの幹部をとらえているからではないか。とすれば、こちらは中国国民の度量にも限界があるこ とを既得権益層は感じ取っていることを示している。
というわけで、はからずも中国国民の度量の大きさを考えさせられた薄熙来裁判であった。
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