テント日誌10月9日 経産省前テントひろば760日目~むかし話に花も咲き
- 2013年 10月 10日
- 交流の広場, 評論・紹介・意見
- 経産省前テントひろば
テントにと泊ってもいいと言う人が二人程見えて何となく雰囲気が和んだ。今回は一人だけ泊って頂いたのだが、福島から避難している方で今後も継続していただけそうである。もう一人はいつから泊り込みに加わるか決めてもらうことになるのだろう。こういう、淡々と日々が過ぎて行くだけのように見えるだけの局面で、泊りこみの人が増えるのは嬉しいことだ。テントの日常には特別なことはない。だから、こうした中ではちょっとした人の出入りは愉しい事だし、一番の力になるものだ。
最近は小泉元首相の脱原発発言が何かと話題になるが、テントにも差し入れをしていただいたことのある、播磨屋本店の世直し宣伝隊のトラックに次のような言葉を見た時は驚いた。「真性のバカか安倍晋三 原発汚染水たった7年でどう始末する」と大きなトラックの横に書き連ねてある。もう一台には「オリンピックどころか 浮かれていると恐るべき天罰が下るぞ」とある。この宣伝隊は右寄りというか、古典的右翼の方の連中だが、誰であれ脱原発の声はいいことだ。
日本の権力は表向きの議論は避けて、裏で陰湿な脱原発運動への嫌がらせや排除を行う。メディアや学会などの買収工作、個人への裏で攻撃などそれは陰湿である。また、原発再稼動の準備を進める。秋の国会で上呈される特定秘密保護法はこうした日本の伝統的な権力のやり方に法律的な保証を与えるものだ。名目的な法治国家の下で実態的には非法治国家のやり方をする日本の権力の伝統を考えるとき、これがとんでもない法律であることは自明である。だが、日本の権力の弱みは公の場での議論であり、そこでの主張である。そこでの正当性の主張である。これを思えば、誰であれ公の場に向かって声をあげることが大事だし、それは権力に対する圧力になっているのだ。
テント前に座りながら瞑想に耽っていたら蜜柑を頂いた。今年、最初の早生の青切り蜜柑だが美味しかった。そう言えば、雨が少なくて蜜柑が心配だと義姉は言っていたが、その後の雨で大丈夫だったのだろうか(?)差し入れをしてくれた女性と何時も流暢な声で宣伝活動をしているSさんと話がはずんだ。初めて田植えをしたのだが、大変だったというのが話のきっかけだったが、Sさんは僕より年配だが、学校の田んぼで田植えをしたとのことだった。初めての田植えは足が取られて大変だった、と愉しそうな二人の会話を聞いていたのだが、僕も子供のころの田植えの話をした。蛭に血を吸われて足の痒かったことや、ホタルも一杯いた光景などだ。話し出せばとまらなくなることが分かっているから少しだけにしたが、こういう話をするときの楽しさってなんだろう、
この女性は出身が九州の大牟田で子供《小四》のころ三井三池闘争やその後の爆発事故のことを体験したとも話してくれた。僕がちょうど大学に入学して安保闘争に夢中だったころだ。その後に谷川雁が主導していた筑豊の中間市にある大正炭鉱の争議に支援に行ったこともある。そして、水俣病のこともはなした。水俣病が発見されたのは1959年であり、有機水銀説は指摘されていたのにその工場母体である日本チュソはそれを否定し、それを擁護する御用学者の動きもあってそれが、特定されるのは1968年である。の十年間に被害は拡大した。この過程、会社の対応、政府や御用学者の暗躍などを見ていると、原発事故後の東電や政府の対応が何ら変わっていないことがすぐに分かる。僕はこの過程を学び直して原発汚染の問題ことを考える糧にしたいと思っている。ここには多くの教訓が隠されている。
1960年からの日本経済の高度成長には科学や科学技術の産業化や社会化があった。僕らはこの高度成長経済が農業と農業社会の解体や工業過程の変化としてあったことを、内的風景をも含めて見て育ってきた。だが、その結果がどこにいきつくのか、何をもたらすのかよくわからないままに今日に至っているのだと思う。確かにいくつかの疑念や疑問があったにしても、根本的なところまでは掘り下げないできた。原発事故はそれを僕らに突きつけたのではないか。
科学や科学技術の産業化や社会化は不可避的な展開であり、それは究極的には善や進歩に帰結するということを信じさせられてきたのではないか。それには境界があり、引き返し点もあるというように対象的(反省的)になることを促されてきたのは最近のことではないのか。僕はそうである。僕は科学や科学技術に自然を先験的に対置しょうとは思わない。自然は変えられるし、歴史を介在して自然は変化もしてきた。しかし、自然は無限に変えられるものではないし、変えることが自然の再生を不可能にする地点や事もあるのではないか。こういう問題はまた、これは現在が閉塞的で閉ざされてあり、視界が開けないという事態とも深く関わるのだと思う。よく語られる成長という言葉の根源にはこれがあるが、これへの疑問も関連する。原発問題は僕らにそれを自覚し、そこを破る契機になったのだとおもうが、道は端緒の域を脱していない。
この週末は大きな行動がある。全国的に行動が予定されているようだが、10月13日原発ゼロ★統一行動、13時日比谷公会堂集会、14時巨大デモ、17時―19時国会周辺抗議行動。主催;首都圏反原連。共催:さよなら原発1000万人アクション、原発をなくす全国連絡会。協力;経産省前テントひろば。
10月11日(金)の官邸前抗議行動は再稼動阻止全国ネットワークの主催で行われる。18時30分~20時。テントひろばも参加。この日は首都圏反原連は休みだが、他の団体が代わって抗議行動を行う。 (M/O)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion4641:131010〕
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