テント日誌10月13日 経産省前テントひろば764日目~テント留守番から
- 2013年 10月 15日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
10時過ぎテントに着いたらもう数人の人たちが座りこんでいました。日比谷公会堂の集に行くため早めにいらしたという。
テントの端には希望の牧場の吉沢さんが悲劇の牛たちや壊れた原発の写真数枚を並べ深刻な顔で座っていました。
私は並べてあった「見捨てられた命のあることを知っていますか?」のリーフレットを10枚ほど頂き、帯に“牛たちと運命をともにする!”と書かれた本「原発一揆」を買いました。リーフレットは近々会う友達に渡すつもりです。
公会堂の前では11時から整理券を配ったそうですが、整理券をもらえなかった方などが来て下さり午後のテントはにぎやかでした。
2時半ごろ農林省のほうからやってくるデモ隊に総立ちで手を振りました。
デモの人たちからもテント応援のエールを頂いて嬉しかったです。
今日はテントを訪れるのが初めてと言う人や遠くからの来訪者も居て力強かったです。夕方来て下さった方の言葉がチョット気になりました。
ネットで脱原発と書いたらそれは違う反原発だとお叱りを受けたと言うことです。そしてどうなのでしょう?との問いに言葉の違いだけではないでしょうか?
原発をなくしたい思いは変わらないのでは?
原発が出来る前から反対していた人たちは反原発と言うのではないでしょうか? などあいまいな返事しか出来ませんでしたが…
とにかく大勢の人たちが来て下さったのは力強いですね。
(I.K)
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10月13日原発ゼロ★統一行動で賑わう霞ヶ関
10.13NO NUKES DAYの日曜日、好天に恵まれて4万人が霞が関に集い、福島を忘れるな!!再稼働を許すな!!全国民の想いをひとつに」した。
第1部日比谷公会堂集会では、肥田舜太郎さんの原発を無くしてから死んでもらいたいが、大江健三郎さんのユーモアが、満員の聴衆を感銘させた。
第2部では、日比谷公園内で暑い日差しを受けながら長時間待たされた後、タンポポ舎・テント・再稼働阻止ネット他多数市民450名近くの梯団でゆっくり霞門を出て、何度もデモ隊を止める警備警察に抗議しながら、霞ヶ関を練り歩いた。もちろん、東電前では東電解体を、資源エネルギー庁前では原発推進政策を、立ち止まって糾弾した。デモコースは、新橋駅に近づきながらSL広場など人の波に達せず、日比谷公園西幸門に戻る終着点がデモコースを横切って後発デモ隊と交差する、など課題を残した。が、4万人の人が霞ヶ関を埋め尽くすことができた。
第3部では、夕暮れを迎えた国会前に集まった参加者が原発立地現地からのアピールを聞き、再稼働阻止の闘いへの決意を新たにした。経産省前テントひろばは、お茶やお汁粉を出して「峠の茶屋」を務め、一方日比谷公園から国会・官邸に向かう人たちに「10.27三宅洋平トークイベント(いのちをつなぐ、世界をつなぐ、未来をつなぐ)」(テントひろば応援団主催)のチラシを配布した。
第3部終了後も、テントひろばには全国からの参加者が立ち寄って旧交を温め、それぞれ近くの飲み屋で交流した。夜更けになってもテントはいつになく賑わい、宮城から来た若者2人がいっしょに泊番を務めてくれた。「原発ホワイトアウト」(若杉冽、講談社)で描かれ「国際原子力ロビーの犯罪」(コリン・コバヤシ、以文社)で明らかにされた原子力マフィア(原子力ロビー、原子力ムラ)の汚いひどいやり口に対抗して、私達は闘い続けねばならない。(K.M)
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