尖閣問題―中国の方針変更に日本は応えるべし
- 2013年 10月 16日
- 評論・紹介・意見
- 日中関係田畑光永
暴論珍説メモ(127)
このところ日中関係はかなりの程度に落ち着きを取り戻してきた。中国の国家旅遊局が10月8日に発表した数字では、1日の国慶節に続く「黄金週」に日本へ出かけた中国人観光客は3万8600人、昨年同時期の2.3倍に達したという。
また9月の中国における日本車の販売数量はホンダが7万4000台で昨年比2.2倍となったのをはじめ、日産83.4%増、トヨタ63.5%増、マツダ34.4%増と、あの反日の嵐が吹き荒れた1年前の9月から、いずれも売り上げを回復させている。
こうした「解凍化」の流れの中で、ひときわ目を惹いたのが9月24日に来日した中国の経済人11人であった。一行は政府系金融グループ「中信集団」の常振明董事長、政府系ファンド「中国投資」の高西慶総経理をはじめ、金融、不動産、製造業、メディアの代表的企業のトップたちで、来日翌日には早速、菅官房長官を訪ね、挨拶と意見交換を行ったが、この席では一行の「来日については、習近平主席の了解を得ている」ことを明らかにしたとも、一部の報道で伝えられた。また経団連の米倉会長との会談では中国から日本への投資が話題になったとも言われる。
昨年9月、野田内閣が尖閣諸島のうちの3島(魚釣島、南小島、北小島)を買い上げると決めたことから、中国側はから下まで日本との交流を中止しただけでなく、各地の反日暴動が店舗や工場の打ちこわしなど暴れるに任せるといった常軌を逸する行動に出た。
さすがにこうした動きは長続きはしなかったが、両国間の緊張した状態はその後も変わらず、さらに尖閣諸島周辺には中国の海洋関係の公船が3日にあげずに接近し、領海内で海上保安庁の巡視船と並走するという緊張した場面は今も続いている。
それがここへ来て、上にのべたような「解凍化」が始まったわけであるが、これはたんに時間が経ったからというのでなく、おそらく中国政府の方針としての態度変更であると思われる。
二つの外相演説
それが端的に表れたのが、去年と今年の国連総会における中国外相の演説である。去年の9月28日、国連総会の演壇に立った楊潔篪外相は、釣魚島は昔から中国の領土であり、それを日本が1895年に盗み取ったと述べた後、こう続けた。
「第二次大戦終了後、『カイロ宣言』、『ポツダム宣言』などの国際的文献によって、釣魚島などは日本によって侵略されたその他の中国領土とともに中国へ返された。日本政府のいわゆる“島の買い上げ”などの一方的行動は中国の主権を厳重に侵犯するものであり、世界の反ファシズム戦争の勝利の成果を公然と否定するものであり、戦後の国際秩序と『国連憲章』の趣旨と原則に対する重大な挑戦である」
明らかなようにこの主張は矛盾に満ちている。戦後の日本は北緯30度以南の南西諸島に対する主権を連合軍最高司令部の命令で奪われ(その後、一部奄美群島は返還されたが)、それをどう処理するかは中華民国を含む連合国にゆだねられた。日本は抵抗できる立場ではなかった。しかし、連合国は特段の決定を行わないまま、サンフランシスコ講和条約でそれを米国の統治にゆだね、そして米国が1972年に日本にそのまま返還したのである。日本はその間、自らが受諾したポツダム宣言に抵抗したことはない。
あの島々が現在、日本領であることが「反ファシズム戦争の勝利の成果を公然と否定するもの」であるならば、それをしたのは米国であり、「国際秩序と国連憲章に対して挑戦」しているのも米国ということになる。
1951年に結ばれたサンフランシスコ平和条約であの島々を米国の統治にゆだねたことについて、中国はかねて自分の参加していない場所で決められたことは認めないという態度を明らかにしている。それはいいが、サンフランシスコ講和会議に中国代表を呼ばなかったのは米英両国の話合いの結果であり、日本には参加国を決める権利はなかった。文句をいうなら米英両国に言ってもらうしかないのである。
中国はそれ以前にもこういった主張を明らかにしてはいたが、新聞の社説や雑誌の論文で言うのと国連総会という公式の場で政府を代表する外相が発言するのでは重みが違う。私は昨年、この楊潔篪演説を見て、中国政府もいよいよおかしくなったなという感を免れえなかった。おかしくなったというのは、野田内閣が島の購入を決めたことに対して、伝えられるように当時の胡錦濤総書記が「メンツをつぶされた」と怒ったとしても、だからと言って国際的に通用しない身勝手な論理を外相が国連総会でぶち上げることに、内部からブレーキがかからない状態になってしまったということである。
蛇足を言えば、事情をよくわきまえていた周恩来、鄧小平といった人々は「釣魚島を返せ」とは一言も言わなかったのである。
そこで今年の国連総会を注目していた。尖閣の現状は昨年来、特に変化はない。したがって、中国も主張を変える理由はないはずであった。
しかし、9月27日の王毅外相の演説は変った。「日本」も「釣魚島」も登場せず、次のような一般論がのべられただけであった。
「中国といくつかの国との間に存在する領土主権および海洋権益の争いについては、われわれは当事国との直接交渉を通じて妥当に処理することを心から希望している。しばらくは解決できない問題はとりあえず棚上げしておけばよい。われわれは言ったとおりに行動する。同時に中國はいかなる場合も国家の主権と領土を守り、中国の正当かつ合法的な権益を断固として守るものである」
変化は明らかである。事実をごまかしつつ、日本悪者論を振りまいて、米英など旧連合国を味方につけようという魂胆見え見えの楊潔篪演説を、中国は自ら撤回したと言っていい。ああいう国柄だから、表向き方針を変えましたとは言わないが、相手をする側は変えたことは正当に受け止めるべきである。
ともあれ交渉を
では、日本はどうすべきか。とにかくあの島々をめぐる問題を議題として堂々と両国政府の代表が意見を闘わすべきである。
昨年9月の常軌を逸した中国側の反発について丹羽前駐中国大使はある講演後の質疑応答で、中国側はあの島々を東京都が買うのと、国が買うのとの違いについての日本側の説明には全く耳を貸さず、「石原と野田の陰謀だ。その証拠には国が買うとなったら、石原は急に黙ってしまったではないか」の一点張りだった、と言っておられたが、そういうことも含めて、明治から今日までのあの島々についてのあらゆることをぶつけ合ったらいい。
その際、大事なことは経済的利害が絡むような通常の外交交渉とは違うのだから、交渉経過を秘密にしないで、相手の言い分を双方ともに自国民に正しく伝えることだ。「領土紛争は話し合いでは解決できない、解決するなら武力を使うしかない、だからとにかく対立を封じ込めておくべきだ」といった議論があるが、これはよい処理方法とは言えない。なぜなら、仮に現状で「とりあえず棚上げ」で合意したとしても、それでは双方の国民は相手を「ヒトのものを横取りしようとする強盗のようなやつだ」と思ったままだ。
そうではなくて、たとえば1895年の日本政府の閣議決定をそれぞれがどう見ているか、事実はどうだったのか。あるいは戦後、長い間、中国はあの島々をどう扱ってきたのか。どういう経過で30年近く日本の主権の外にあったあの島々が日本に還ることになったのか、などについて、もうすこし両国民に共通認識が生まれれば、さまざまな処理方法も浮かんでくるのではないか。
「尖閣諸島は歴史的にも、法的にも、わが国固有の領土であって、領有権問題は存在しない」というのは、別に万古不易の真理ではない。これは1971年6月、沖縄返還協定調印の直前になって、中華民国政府の顔を立てるために、米国が「尖閣諸島の施政権は日本に返すが、領有権については特定の立場をとらない」という態度を打ち出した(今もそれが続いている)ことが、日本の国会で問題になった際、時の愛知揆一外相が野党を安心させるために言い出した答弁が引き継がれてきただけのものである。
それを振りかざして、話し合いに応ずるのは譲歩だ、敗北だと自らを縛るのは、現状にしがみつく官僚の発想であって、その殻を打ち破るのが政治家である。
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