12/7世界資本主義フォーラムのご案内とレジュメ(櫻井毅)
- 2013年 11月 17日
- スタディルーム
- 世界資本主義フォーラム矢沢国光
講師:櫻井 毅(武蔵大学名誉教授)
テーマ:「岩田弘の世界資本主義論とその内的叙述としての経済理論」
日 時:2013年12月7日(土)14:00~17:00
入場無料
会 場:立正大学 大崎キャンパス 5号館 51B 教室
品川区大崎4‐2‐16 (JR五反田駅から徒歩7分)
会場案内(http://www.ris.ac.jp/access/index.html )
岩田弘の世界資本主義論とその内的叙述としての経済理論
櫻井毅
一、はじめに
岩田弘が独自に世界資本主義論の構想を明らかにしたのは、かなり以前の大学院時代の
ことである。はじめは鈴木理論という名称の下、鈴木鴻一郎教授の陰に隠れていた。宇野
理論の主要な後継者の一人と目されていた鈴木鴻一郎が新たに鈴木理論に踏み出した最初
の編書『経済学原理論上下』(東京大学出版会)は、当時の大学院鈴木ゼミの博士課程の院
生八名による分担執筆の原稿に鈴木が手を入れるという形で上巻が1960 年、下巻がかなり
遅れて一九六二年に刊行された。上巻は岩田の方法論と鈴木独自の考えが混在していた。
しかしその大綱を示す「序論」草稿は最後に岩田が実質的に執筆した。下巻では岩田自身
の方法がより全面的に出て、多くの原稿が事実上没になり、のち自ら認めているように叙
述表現も岩田自身の言葉によるところが多くなった。やがて大学院を終えて立正大学に就
職した岩田は宇野理論の批判者として岩田弘自身の名前でその全貌を現わすに至る。
『世界資本主義』(未来社)と名付けられた彼の著書が刊行されたのは一九六四年であっ
た。それまでに書いた論文を集めた論文集の体裁をとっていたが、意図は鮮明であった。
書名の「世界資本主義」という言い方自体は一九三〇年代、コミンテルンによって「資本
主義の全般的危機」が叫ばれた当時、しきりに用いられていた。だからまだ耳慣れない言
葉ではなかった。だが当時のその言い方は世界の資本主義とか世界的資本主義という以上
の内容をもつものではなかった。それに対して岩田のその「世界資本主義」という言葉に
込められた含意は極めて意図的なものであり、宇野弘蔵の経済学方法論を根底から批判す
るものであった。それはマルクス経済学者とりわけ宇野シューレと呼ばれる人々に強い印
象を与えるとともに、激しい反撥を招くことになった。宇野登場以前のマルクス経済学の
混沌たる状況に戻すものではないかとさえ疑われたのである。
その驚きは岩田がもともと東京大学の大学院で宇野弘蔵教授の下で学んだ学生だったか
らである。彼は終戦の年の三月三重県立の神戸中学校を卒業し、その後、中国から帰国し
た父親と家族で開拓農民として働いたのち、官立の名古屋経済専門学校(のち新制名古屋
大学経済学部に併合)に入学した。そこで同じ敷地内にあった名古屋大学経済学部の宇野
弘蔵の出張講義をたまたま傍聴する機会を得て、彼の理論に早くから接していたのである。
岩田は従来のマルクス経済学の理解の域を超えた宇野の新鮮な発想に刺激を受けたようだ。
1950 年名古屋大学経済学部(旧制)に進学するが、いわゆる大須騒擾事件に参加して逮捕、
起訴され、獄中で猛烈に勉強したと伝えられている。やがて1953 年大学を卒業した岩田は
上京して翌年東京大学の新制の大学院に入り再び宇野と出会う。彼は同じ大学院生の誰よ
りも早くから宇野の薫陶を受けていた学生だったのである。
岩田は大学院の宇野演習で本格的に宇野理論を学びつつ自らの体系を作り上げてゆく。
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そこでは当然、出発点は宇野の理論でありその思考方法である。岩田がつよく影響を受け
たのは宇野のいう商品経済の外面性であり部分性であった。そしてその厳密な論理の進め
方であった。それらの点は岩田理論にあっても継承されている。だからその点では岩田は
宇野批判者というより宇野の鬼っ子にすぎないとも言った方がいいかもしれない。
ただ彼は宇野のその方法をさらに推し進めた。その過程で中野正との交渉が発想の刺激
になった可能性がある。1958 年に『価値形態論』(日本評論新社)を出版して評判の高かっ
た法政大学教授の中野正を鈴木が東大の大学院の非常勤講師として招いたのである。その
ゼミに熱心に出席していた院生に岩田や降旗節雄や公文俊平などがいた。中野は宇野の強
い影響下に価値形態論を詳細に展開してみせたが、方法論的には宇野の三段階論になじめ
ないものを感じていた。彼はヘーゲルの論理学を材料に『資本論』に問題を提起していた。
彼は『資本論』の弁証法が「特殊歴史的な資本制社会の、(ⅰ)特種的な質量規定性の生成、
(ⅱ)その独自の根拠からあらわれてその確立に至る本質の成熟、(ⅲ)社会的生産を担当
する主体的な資本一般が分化して自己を特殊・個別化する諸範疇を展開しつつ、自己の根
拠に対応した資本制社会の『内的編成』を完了し、全体としてその特殊歴史的な社会的生
産様式を完結してゆく発展の論理として、あらわれてくる。いいかえると、この自立的な
社会的生産の特種様式を、一つの特殊の歴史的形成体として、体系的に概念化する論理と
してあらわれてくる」(『価値形態論』392―3 頁)と述べ、さらに「マルクスが生成の論理
としての弁証法の妥当する本来の領域を、種として生成・消滅する特種の歴史的な形成体
にもとめ、とくに、それを現在の経験的対象である資本制社会の形成(生成・成熟・終結)
の論理に限定した仕方にかんれんしていると解さなければならない」(同上、393 頁)と記
している。つまり中野が『資本論』に資本主義の歴史的形成そのものの論理の確立をみて
いることは、岩田の思考に一つの方向性を与えているように思われるのである。ただ岩田
本人は中野からの直接的影響は否定しているので、委細は不明である。ただ当時そのよう
なことが院生の中で噂されていたことは事実だ。
ともあれ岩田はなぜか宇野の方法論の批判に性急であった。岩田は、とりあえず宇野の
経済学体系を次のように整理する。「宇野のいわゆる三段階説、すなわち経済学の研究段階
は、純粋の資本主義社会を想定し、その内部構造をあたかも永遠にくりかえすかのごとく
法則的に解明する原理論と、資本主義の世界史的な発展段階をそれぞれの段階に支配的な
資本の形態を中心にしてタイプ的に解明する段階論と、各国資本主義または資本主義諸国
相互間の関係を具体的に分析する現状分析論の三つに区別しなければならないという主張」
(岩田『世界資本主義』7頁)であると。そしてその上で、宇野の純粋資本主義社会の設
定を観念論として否定し、さらにその段階論を典型国のタイプ論にすぎないと退け、現状
分析と宇野に名付けられた各国分析やその単なる集合ではない世界資本主義論を提唱し、
資本主義の経済理論=経済学原理は、その世界資本主義の内面的な叙述以外のものではあ
りえないと主張したのである。それはそれまで資本主義の歴史的な純粋化発展傾向に即し
て抽象された純粋資本主義の想定とその模写としての経済学原理という把握、そして世界
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的な資本主義の発展過程を三つの段階に分けてそのそれぞれの段階の資本主義の発展を典
型的に示す国を取り出して類型とし、さらに自由主義段階を基準として重商主義段階と帝
国主義段階における非資本主義的関係と資本主義との関連を問う中間理論として段階論を
位置づけ、現状の分析に資するという、従前の理論と現状の区別もない混乱したマルクス
経済学に大きな前進を果たしたと考えられる宇野の方法論の提起に、大いに関心をゆすぶ
られ共感を抱いていたものにとって、岩田の問題提起はゆゆしい異論の出現であった。こ
こから宇野シューレの分裂とか解体という言葉がやがてその内部から出てくるようになっ
た経過についてはいまさら説明するまでもないであろう。
岩田は宇野が経済学を三段階に整理したことはまさに画期的な成果で、「世界的な業績を
果たした」(「宇野三段階論の諸問題」、『宇野弘蔵をどうとらえるか』所収、95 頁)と一面
で高く評価していたが、同時に他面で彼は、それは確かに経済学の対象を混同して明確に
とらえていないものに対しては、「書物」の上では「批判の武器」(同上)になりえたとし
ても、ポジティヴに資本主義自体を対象にした分析にはなりえない、とその限界を指摘し
ている。三つの段階を分離した上で相互関連関係をポジティヴに明らかにしてこそ自立的
で世界的な資本主義の歴史的発展過程の分析が可能になる筈だというのである。
岩田がその世界資本主義論をもって登場してからかなりの時間が経過している。世界資
本主義の歩み自身もその間かなり変化してきている。それだけに宇野の方法論を批判する
岩田の主張について改めて吟味する必要はまだ残っていると考えられる。とりわけここで
はその世界資本主義論とその内面化論といわれる岩田の経済学原理との関係とその意義づ
けについて初発にさかのぼって検討しておきたい。
二、岩田弘氏の世界資本主義論
岩田はすでに指摘したように、宇野の三段階の方法論が出てくるまで、内外のマルクス
経済学は宇野が区別した経済の領域を自覚的に区別できずに「ごちゃごちゃにしていた」
(『宇野弘蔵をどうとらえるか』94 頁)ことを指摘し、「日本のマルクス経済学の方法論的
水準を世界の最先端のところに・・・もっていった」(同上)宇野を「一種の分水嶺」(同
上)として宇野以前と以後では経済学が全く違っていることを認めている。そして宇野の
段階論が事実上世界史的視野をもって資本主義の歴史的展開を論じていることを評価し、
またその政策論も世界的な対外政策を論じていることにも評価を加えている。しかし他方
で、彼は、宇野が資本主義経済と非資本主義経済との関係、あるいは資本主義経済と政治
的国家との相互関係などを、資本主義の歴史的発展段階に即して、自由主義段階を基準と
して、資本主義経済と非資本主義的外部との対応関係から特徴的タイプを検出するような
方法をとっていることを批判し、資本主義はそういう外部的な関係を商品交換関係を通じ
て内部的関係に翻訳するのであり、それは世界資本主義の自立的な必然的な歴史的展開と
して一貫して理解しなければならないとしたのである。
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岩田は、宇野が資本主義の世界性をはっきり認識しながら、実際には資本主義の世界性
を各国資本主義の単なる寄せ集めとし、歴史的過程をいくつかの段階に分けてそこに段階
の特徴を代表する典型国を宛ててタイプ的に分類しているにすぎないのではないか、と批
判し、それに対して世界資本主義をアールハイトでなくトタリテートとして理解する場合
には、全体性をもった資本主義、つまり世界資本主義が自分自身で発展していくと考えざ
るを得ないし、そうすれば資本主義の発展の特徴をタイプ的に検出するだけでは済まなく
なり、宇野のいう段階から段階に移行する必然性の解明も必要になってくると主張したの
である。そしてまた、宇野が自由主義段階の典型国としてイギリスをとるといった場合の
意味が、イギリス一国だけをとるということになってしまって、当時のイギリスを主軸と
する資本主義の世界的な構造が見えてこないということになり、ドイツやアメリカが当時
イギリスとどういう関係にあったのかも分からないではないか、と問われることになるわ
けである。明らかに問題は世界資本主義が各国民資本主義を構成部分とする世界的な有機
的全体性としてしか解明できないということになる、と岩田は宣言する。そうなるといわ
ゆる帝国主義段階の扱いも変わってくる。「それは自由主義段階のそういう世界的な運動体
系の爛熟・解体過程として解明されなければならない」(『宇野弘蔵をいかにとらえるか』
103 頁)と考える岩田は、当然それが各段階のタイプの比較でなく、いわばタイプからタイ
プへの移行の世界的必然性を明らかにするという方向に向かう。さらに岩田は次のように
言う。―「それを内容的に言えば、特定中心国を軸とする資本主義の世界構造の各段階に
おける特質の解明と、一つの世界構造から他の世界構造への推移の必然性の解明、あるい
は言いかえると、資本主義の経済的世界体制の段階的推移の必然性の解明が、真の意味で
の段階論だということ」(同上p.104)であると。これは言ってみれば宇野のいう自由主義
段階から帝国主義段階への移行の必然性を説かなければならないということだ。岩田はい
わゆる帝国主義段階になっても、資本主義が世界市場を一般的な生存基盤としたうえで、
特定の国の特定の産業部門の内的関連をそこでの生産基軸とする世界編成としている限り、
すべての外的関連を内的関連に内面化する機能は失っていないのであり、爛熟期の資本主
義の特徴づけは、宇野の言うように資本主義の純粋化の歴史的傾向が「逆転」したという
ことではなくて、その段階になると生産力と生産関係の矛盾が資本主義的生産様式の範囲
内では解決しえない限界に達したということであり、しかもそれは、「あらたな生産力の形
成という方法によらないで、生産力と生産関係の矛盾を解決し、その全体的編成を実現し
ていくあらたな形態」(『経済学原理論』下p.455)、つまり株式会社による巨大な固定資本
の形成と維持温存という問題になるというのである。このことは理論の内面化の問題と深
くかかわるのでのちにもう一度触れることにする。
ともかく岩田にとって世界資本主義論の展開は、世界資本主義の生成、成長の過程を経
て、爛熟、解体の過程としても解明することになる。そのことは、岩田によれば、「資本主
義が自分の世界的な矛盾や不均衡を経済法則的に処理できなくなるということを意味して
いる」(同上p.120)。それは資本主義自体の限界であるように見えるがどうもそうではない。
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岩田によれば、それは「帝国主義対立へと転化し、世界戦争を必然にする」(同上)という
だけである。岩田はそれを世界資本主義の自立的な運動機構―つまり景気循環機構が崩壊
することが具体的な現われだとする。資本主義が自らの矛盾を経済的な価値法則によって
解決できないから帝国主義的対立になり世界戦争になる。世界戦争はやがてそれを通して
世界体制の危機から次の世界体制の推移に及ぶ。ただそれが資本主義自体の終焉を含むも
のなのか、そうでないのか、岩田の言明でははっきりしない。それは資本主義の爛熟とい
う発展過程を指すようだが、しかし同時にそれは資本主義の歴史的結末の暗喩でもあるよ
うだ。
岩田はかつて次のように語っていた。――「資本主義の世界経済の安定的な維持のため
には資本主義諸国の国内政治体制の安定とそれにもとづくその国際的協調体制の維持が絶
対に不可欠な条件となりつつあるまさにそのときに、動揺と流動化がはじまっているとい
うことである。こうした動揺と流動化から資本主義諸国の国内政治体制や国際協調体制の
どこかに破たんが生ずるとすれば、それはただちに、国際信用不安をよびおこし、ドルの
対外金兌換の停止やその他の諸通貨の交換性の停止を引き起こして国際通貨体制を崩壊さ
せ、資本主義の世界経済の公然たる分断と、その結果としての貿易と生産の収縮をもたら
すことにならざるをえないのである。そしてこれこそが、言うまでもなく、世界資本主義
としての資本主義のせまり来りつつある経済危機にほかならないが、しかし、この場合注
意しなければならぬ点は、この経済的危機は、単純に、アメリカを中心とする統一的な世
界経済のいくつかのブロック経済への分断を意味するものではないということであ
る。・・・この経済的危機は、たちいっていえば、すでに存在しているこうしたいくつかの
通貨貿易ブロックのアメリカを中心とする国際協調体制が崩壊し、それらの相互関係が公
然たる分断としたがってまた敵対的な闘争の関係に転嫁し、それによって敵対的な闘争の
関係に転嫁し、それによって世界経済の収縮を引き起こさざるを得ない、という点にある
のである。/世界資本主義のこうした経済的危機は、ただちに、まず第一番に、資本主義
諸国の国内政治体制の危機をひきおこさざるをえないであろう。・・・経済的危機は、・・・
人民大衆にたいする資本主義的国家権力の政治的、社会的操作を麻痺させ、その国内政治
体制の基礎を揺るがさざるをえないからである。そしていうまでもなくこれが、せまりき
たりつつある世界資本主義の政治的危機―革命的危機にほかならない」(『世界資本主義』
p.382-383)と。
世界通貨体制の危機を1971 年8 月のニクソン・ショックに始まるドル体制の崩壊にみた
岩田は、その延長線上に世界資本主義の危機論を以上のように描いてみせたのであった。
だが世界経済の展開とその後の推移は岩田の予想とは違っていた。その点を岩田は新版の
『世界資本主義Ⅰ』の末尾の注で自己批判している。ただそれは第1次世界大戦後の歴史
的経験に彼が依存し過ぎたためとしているにすぎない。しかしそれは単なる見通しの誤り
で済む問題ではない。実際その現実の過程は多くの予想とも違った道を描き、ソヴィエト
社会主義連邦の崩壊と東欧諸国の社会主義国からの離脱と合わせて、社会主義市場経済を
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標榜しながら巨大な世界の工場と化した中国資本主義の出現によって、世界資本主義はか
つての社会主義圏をも包含したグローヴァル資本主義として大きな変貌を遂げるにいたっ
た。世界資本主義論は世界資本主義の展開が続く限り終わらない。しかも世界資本主義の
内面化論としての経済学原理を考える場合、それは難しい課題を残す。経済学原理として
の世界資本主義に終わりがあるのか、ないのか、ないとしたらその内的叙述としての経済
学原理に終末はあるのか。岩田にとって世界資本主義の行く手をどう見切るかが大きな問
題とならざるをえない。世界資本主義は今や世界の工場と化した中国資本主義の存在を抜
きにしては論じられない。それどころか中国資本主義は不安定な要因を含みながらも、ア
メリカと競合しつつ世界資本主義を主導する覇権的な中心国になりつつある。岩田がその
問題に気づいていたことに疑いはない。しかし岩田はその途中で突然逝った。岩田は他方
で経済学原理を世界資本主義の自己組織学としての経済学原理論として説く準備も進めて
いた。その「経済的組織原理」という考えからは世界資本主義の内面化論とは少し違う方
向性がでてくるかもしれない。詳細は不明であり、いずれにせよ彼のより進んだ方法論の
構想は未完のまま残されたといっていいであろう。
三、純粋資本主義論とその系譜
岩田は宇野の理論の根幹である純粋資本主義という想定が「19世紀中葉のイギリスの
資本主義社会への純粋化傾向にのっとるものであるにせよ、不純な要因を内面化するので
はなく、捨てるという抽象――自然科学的・機械的抽象に依拠するかぎり、なお仮設的要
因を残すものといわねばならない」(『宇野弘蔵をどうとらえるか』113 頁)と述べ、不純な
要因を捨象して原理論を作る方法が「原理論を一種の仮説的モデル」(同上)とするもので
あるとしてその観念性を批判したのである。
しかし岩田の批判する宇野やマルクスの純粋資本主義の想定を問題にする前に、経済学
の歴史の中で純粋資本主義という想定それ自体について振り返ってみておく必要がある。
そこには古典経済学以来蓄積された伝統的系譜があるからである。
① 古典経済学
「政治算術」をもって経済学を創始したといわれるペティにしても、イギリス、フランス、
オランダなど異なる国の経済力の比較を試みるからには当然国の外囲を設けてその中で経
済的諸指標の比較をしなければならなかったであろう。ただ材料はまだ限られていた。「政
治算術」の系譜を継ぐ次代のカンティヨンは経済学の理論的中身を概念構成を通じて追求
するが、前提されているのは限られた一国の内部であったろう。ケネーに至ってはそれは
「フィクションでなく現実である」と意図的に表現されたほどであるし、チュルゴ―にと
ってもその理論の中に当然予想されていたはずだ。その後登場するスミスは諸国間の国際
的関係は当然問題にするものの、彼の関心は資本主義経済の一般的な分析であって、まさ
に「諸国民の富」を規定する経済的原理の追求こそが問題であった。そしてそのような遺
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産の蓄積の上にリカードの経済学があるといってよい。リカードは厳格に外囲を画した一
国を想定してその中で資本主義の経済学的原理を明らかにすべく務めた。彼は地代を最劣
等地においてはゼロにする差額地代論を展開することにより初めて土地の影響力から解放
された資本と賃労働関係を軸とする資本主義的商品市場とその資本主義の蓄積機構を労働
価値論の全面的な展開の中で明らかにし、古典経済学の理論体系をほぼ完成させたのであ
る。これは画期的なことで科学的経済学はここに初めて出発点を得たといって過言でない。
彼はその有名な比較生産費説でポルトガルとイングランドのワインと毛織物の生産におけ
る生産力の差から生じる単位生産費の国際比較を行い、ポルトガルでワインを生産し、イ
ングランドで毛織物の生産を行うことが両国にとって一番有利であることを明らかにして
いるが、これこそイングランドにおいて不効率でもワイン生産をイングランドにもちこむ
ことで、あらゆるものの生産をイングランド一国に押し込めて内面化することを想定する
ことにより、イングランドをいわば純粋の資本主義国として自立化させる方法を暗示した
ものと理解することができる。宇野や岩田がのちに名付けることになる内面化の論理の想
定がそこに暗示されているといってもよいであろう。古典経済学の到達点はまさにそこに
ある。
② マルクスの純粋資本主義的理解
マルクスが自らの『資本論』体系を純粋資本主義の理論体系として理解していたかどう
かには疑問もあるが、おおよそそのようなものと考えていたというのはごく一般的な常識
的理解であったと言っていいだろう。すでに河上肇は『社会問題研究』のなかで、資本主
義が現実には非資本主義的領域との関係なしには存在しえないにもかかわらず、「純粋な資
本主義」という「仮定」が資本主義の「本質」解明のためには必要であると論じている(『社
会問題研究』51 冊、20 頁)。また.A.L ハリスは「純粋資本主義と中間階級の消滅」(A.L.Harris,
Pure Capitalism and disappearance of the middle class, Journal of Political Economy,
1939,No.3)という論文で、マルクスは純粋資本主義という言葉こそ用いなかったが、事実
上、その純粋資本主義の想定によって『資本論』における方法を一貫させている、と述べ
ている。そしてハリスは純粋資本主義という言葉を初めて用いたのはH.グロスマンではな
いかと推測している。現在でもそのへんの事情は変わらないと言っていいであろう。例え
ば、ハイルブロナーは次のように述べている。――「マルクスは想像しうるもっとも厳密
な意味での、もっとも純粋な形の資本主義を設定し、この純化された抽象的制度、実生活
のあらゆる明白な欠陥が除去された想像上の資本主義の枠のなかで、彼のめざす獲物を追
求したのである」(R.Heilbroner, Worldly Philosophers,4th.ed.1972p.150)と。
だからその規定を常識を超えて厳密に行おうとするならば、問題はその規定をどのよう
に定義するかということになる。
マルクス自身は『資本論』の中でもその他の個所でもこの問題について様々な言及を行
っている。いくつかあげてみよう。
A,「経済的諸形態の分析では、顕微鏡も科学試薬も役に立たない。抽象力この両方の役
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割をしなければならない。・・・物理学者は、自然過程を観察するに際しては、それが最も
内容の充実した形態で、しかも攪乱的な影響によって不純にされることがもっとも少ない
状態で観察するか、またもし可能であれば、現実の純粋な進行を保証するような条件の下
で実験を行う。この著作で私が研究しなければならないのは、資本家的生産様式であり、
これに対応する生産関係と交易関係である。その典型的な場所は、今日までのところイギ
リスである。これこそイギリスが私の理論的展開の主要な例解として役立つことの理由で
ある」(『資本論』初版序文、『マルクス=エンゲルス全集』Ⅰ,8-9 頁)。これは『資本論』
の初版の序文からの引用であまりにも有名な個所である。宇野に批判的なマルクス経済学
研究家もこの叙述はしばしば引用している。複雑な諸条件の中から必要な要因を選ばれた
条件の下でだけ観察する試みとして肯定的に理解されている。ただ自然科学的な方法に近
いものと思われるが、諸条件の捨象の仕方が疑問であり、社会科学にふさわしい方法かど
うかが問題になる。
後で再び問題にするが、宇野はマルクスのこのような捨象の方法が決してウェーバー的
な「理念型」として主観的に構成されたものでなく、歴史的純化傾向を抽象の根拠におく
客観的で唯物論的なものと主張する。岩田は不純ものを捨象して純化するという方法は、
自然科学と同じ仮設的性格をもつということになり資本主義の完全な認識には至りえない
という。自然科学は仮設=実験=仮設の過程をたどるもので、どうしても物自体とそれに
ついての認識が区別される。それにたいしてヘーゲル的弁証法は、「真理への接近でなく真
理そのものの叙述ないし模写を主張する」(『宇野弘蔵をどうとらえるか』112 頁)と述べ、
不純な条件の捨象による純粋資本主義の想定を否定していると考えられる。
B,「理論においては資本家的生産様式の諸法則は純粋に展開されるということが前提さ
れる。現実においては常にただ近似のみが存在する。しかしこの近似は、資本家的生産様
四季が発展すればするほど、そして従来の経済的残滓による資本家的生産様式の不純化と
混合とが除去されればされるほど、ますます大きくなる」(『資本論』Ⅲ、『マル=エン全集』
25a、221 頁)。これは資本主義の経済法則の解明には純粋資本主義の想定が不可避であり、
またその想定は不純な要因が資本主義の発展に従って除去されることを指摘したものとし
て、宇野をはじめ多くの論者にマルクスの標準的な主張として肯定的に引用されている。
C,「資本家的生産の本質的諸関係の考察にあたっては、商品世界全体、物質的生産――
物質的富の生産――のすべての部面が、形式的または実質的に資本家的生産様式に支配さ
れていると想定することができる。なぜならこうしたことは概して絶えず起こっているこ
とであり、原理的な到達点であって、この場合にだけ労働の生産力は最高点にまで発展す
るのである。このような前提は極限をあらわしており、したがってそれは厳密な正確さで
近付いて行くのであるが、その前提の下では商品の生産に従事するすべての労働者は賃労
働者であり、生産手段はこれらすべての部面において資本として労働者に対立している」
(『剰余価値学説史』Ⅰ,『マル=エン全集』26-1、521 頁)。これは従来あまり引用され
ていない文章であるが、純粋資本主義の想定の必要性を説いているだけでなく、その形に
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近付く傾向があることも指摘しているように読むことができる。ただ問題はそのような傾
向が絶えず起こっているという指摘の意味が不明瞭であるだけでなく、その状況が実は資
本主義の生産力の極点であって、マルクスの意識では、蓄積論の最後にあったように総資
本と総労働との全面的な対立の最終的な極点で資本主義の「最後を告げる鐘」の時期と重
なる時期であるとも解されるのであって、含意は必ずしもはっきりしない。
もう少し簡単に述べている個所もある。マルクスがフランス語版『資本論』に新たに付
け加えた注の文章である。すなわち、「研究の対象を攪乱的な付随的事情に煩わされること
なくその純粋のかたちで理解するために、われわれは、ここでは全商品世界を一国とみな
さなければならず、また資本主義的生産がすでにどこまでも確立されていて、すべての産
業部門を支配しているものと前提しなければならない」(『資本論』Ⅰ、『マル=エン全集』
23b、756ー57 頁)と。マルクスが述べている内容は間然としていて補足するところはない。
これまでの引用を見る限り、全体としてマルクスが資本主義の純粋な形を前提して、そ
の内部でその経済法則を明らかにしようとしていると解することができる。しかしマルク
スの考えはそれですべてではない。次にそれを見よう。
③ マルクスの歴史=論理説的理解
マルクスは一方で、純粋資本主義の想定を前提に『資本論』を展開しながら、他方で、『資
本論』が資本主義の歴史展開の叙述でもあると考えている。それはマルクスによって唯物
論に転倒されたヘーゲルの弁証法的な理解を反映している。これこそ宇野以前のマルクス
『資本論』解釈の一般的なスタイルであったものだ。その典拠となっているところを引用
しておこう。そして最後にエンゲルスの言葉も合わせて引用しておく。
A「『このような研究(マルクスの『資本論』のこと)の科学的価値は、ある一つの与え
られた社会的有機体の発生、存在、発展、死滅を規制し、また他のより高次の有機体とそ
れとの交代を規制する特殊な諸法則を解明することにある。そしてこのような価値を、マ
ルクスの著書は実際にもっているのである』(カウフマン)――私が現実的方法と呼ぶもの
を、このように的確に、そして私個人によるこの方法の適用に関する限りでは、カウフマ
ンはこのように好意的に述べているのであるが、これによって彼が述べたのは、弁証法的
方法以外の何物であろうか」(『資本論』Ⅰ、第2版後記、『マル=エン全集』23a、22 頁)。
マルクスはこの「後記」の中でカウフマンからかなり長い引用をして、その書評が自らの
弁証法的方法を的確に描いてくれたと感謝さえ加えている。しかしその方法は『資本論』
を資本主義の生成、発展、消滅を論証するものとされているのであって、必ずしも資本主
義の経済の法則的解明という意図とは合致するものではない。
B「生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本の資本主義的な外皮とは調和で
きなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本家的私有の最後を告げる鐘が
鳴る。収奪者が収奪される」(『資本論』Ⅰ、『マル=エン全集』23b、995 頁)。これはあ
まりにも有名なマルクスの章句であり、『資本論』の中でも一般に最も露出度の高い文章で
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ある。確かにここにはマルクスの社会主義者としての思想と感情の表出はあるが、『資本論』
全体を通じる論理的厳密さと比べてあまりにも異質である。これはそれまで説いてきた経
済の論理の帰結とされているものではあるが、その根拠は資本の集中と団結した労働者と
の全面的対決によって根拠づけられている。しかし収奪という言葉が用いられている点を
見ても資本主義的な経済法則の論理的帰結として論じられているようには見えない。ただ、
ここ『資本論』の中で資本主義の歴史的運命がこのように語られていることに注意する必
要がある。
C(エンゲルス)「論理的な扱いは、実はただ歴史的形態と攪乱的偶然性を取り去っただ
けの歴史的な扱いにほかならない。この歴史の始まるところから同じように思想の道程も
始まらなければならず、この道程のその後の進行は、抽象的で理論的に一貫した状態での
歴史的経過の映像にほかならないであろう。けれども、この映像は、修正された映像であ
り、それぞれが完全に成熟し典型的に発展したところで観察されうることにより、現実の
歴史的経過そのものが暗示する諸法則にしたがって修正されたものである」(エンゲルス、
マルクスの『経済学批判』への書評、『マル=エン全集』13、477 頁)。これもあまりにも
有名なエンゲルスの言葉であるが、その全体を読むと、一般に理解されているような歴史
的過程からその歴史性と攪乱的要因を除けばそのまま論理的な叙述になるというほどエン
ゲルスの言葉は簡単なものではなさそうだ。含蓄が潜む。ともあれマルクス自身の方法は
簡単のように見えても、一義的にはとらえきれない複雑さをもつということである。
④ 宇野の純粋資本主義論
宇野の純粋資本主義の想定は、十六,七世紀以降の二百年余にわたる資本主義の歴史的
発展過程を資本主義の純粋化傾向としてとらえ、その傾向を極限まで思惟によって延長し
て構成されたものをもって、純粋資本主義社会の想定の根拠であるとする。そしてその対
象を模写することでさらに対象を模写する方法まで与えられるという。それはその純粋資
本主義を模して叙術される経済学原理がウェーバーの主張するような恣意的操作による観
念的な理想型とみなされることを拒否して唯物論的根拠があるものとして主張されている
ことを示している。宇野は自らの経済学原理が「特殊歴史的な関係自身も、個々の個人に
よっては已に単に『吾々が個々の場合に当該事象に付与する特殊な文化意義から生ずると
ころの認識関心の方向によって制約される』というようなものではない。かかる認識関心
そのものが、已に社会的に、客観的に決定されたものとして与えられるのである」(「社会
科学の客観性」『宇野弘蔵著作集』十、370 頁)と述べて、ウェーバーの理想型との違いを
明らかにしている。なお宇野は自らの「段階論」の段階規定についてはウェーバーの理想
型によるモデル設定との類似を否定してはいない。
A「資本主義の発展の傾向に即して純粋化されたとき、始めて現実の資本主義に基づく
理論的想定がなされるのである。理論的に想定される純粋の資本主義社会は、スミス、リ
カルドにあっては勿論のこと、マルクスの時代にも決して現実にあったわけではない。マ
12
ルクスにとっては資本主義の発展が、現実的にも、スミス、リカルドの時代よりも、この
理論的に想定せられなければならない純粋の資本主義社会に一層近づいてきており、さら
にまたますます近づいてゆくものとして、かかる想定が許されたのであった。そしてそれ
はたしかに経済学の理論の体系化を達成せしめるものとなったのである」(宇野『経済学方
法論』、『宇野著作集』九,21 頁)。
B「かつて経済学の原理論は、単に対象を模写するだけでなく、方法自身をも模写する
ものであるといったことがあるが、それは対象の模写が同時に方法の模写であることを意
味するものに他ならない。それは・・・原理論の対象をなす純粋の資本主義なるものは、
単に現実の資本主義社会から主観的に抽象して規定されるものではなく、資本主義の発展
そのものが客観的に純化作用を有しているものとして想定されるものだからである。方法
自身が客観的に対象とともに与えられるのであって、対象に対して何らかの主観的な立場
によって立ち向かうわけではない」(同上、164頁)。
C「経済学者が二百年以上もくりかえし考えてきて概念が成立してきたのだから、それ
をわれわれがあとから方法的に考えれば、方法自身も模写するということが明らかになる。
歴史的発展とともに抽象化が確実になっている」(『経済学を語る』142 頁)
D「十九世紀のイギリス資本主義だけみる(のでなくて―引用者)、ぼくは必ず必らず『純
粋化傾向』といっているが、それは十七世紀などのいわゆる重商主義段階からの商品経済
の発展過程を、歴史的にみると、頭の中だけの抽象でないことが明らかになる。またマル
クスがときどき『資本論』の中で失敗したのは、そういう抽象を機械的に行なっているこ
とによるといえるのではないかと思う。つまり自然科学的実験に似た作業の抽象では抽象
の基準が対象になくなるわけだ」(同上、147 頁)。
E「何等かの主観的立場による指導的概念によって対象を処理するというのではなく、
資本主義社会自身が形成しつつある純粋の諸関係を理論的に構成すればよいことになる。
この点はまさに歴史の基礎科学としての経済学に特有のものではあるまいか」(『資本論と
社会主義』24-5 頁)。
以上、「経済学の発展の道すじを示している」(『経済学を語る』142 頁__________)という宇野の純
粋資本主義の想定の核心部分と考えられるところをいくつか引用してきた。次にその主張
に対する批判を見ておこう。
⑤ 岩田以外の宇野の純粋資本主義論への批判者たち
A
宇野がその方法論をもって学界に登場してから多くの批判が浴びせられてきた。初
期に出てきた批判は、例えば見田石介に見ることができる。見田は「科学や理論は、現実
の世界からその対象領域を純粋に抽象することなしにはありえない」(『宇野理論とマルク
ス主義経済学』青木書店、1968,26 頁)のであるが、宇野は「事実にすこしも拘束されな
いまったく主観的な構成物」(「宇野弘蔵氏の学説の基本的性格」見田他編『マルクス主義
経済学の擁護』新日本出版社、1971,40 頁)として純粋資本主義社会を想定することを批
13
判するのである。そして「科学が純粋に対象を考えるのは、現実を理論的につかもうとす
れば、そのように現実の一面を抽象しないではやれないからすることで、現実そのものが
純化の傾向をもとうが、不純化の傾向をもとうが、そのことにはかかわりなしにおこなわ
れることである」(同上、27-8 頁)。宇野が主観的、恣意的モデル設定にならないために純
粋化の歴史的傾向に客観性を求めた意味を、見田がまったく理解していないのは驚くべき
である。
B
遅れて宇野批判家として登場する重田澄男は全面宇野批判からなる『マルクス経済
学方法論』(有斐閣、1975 年)において、様々な観点から宇野方法論の批判を試みているが、
彼によれば、マルクスの言う近似は「不純化の除去」による諸法則の純粋の展開を述べて
いるだけで、宇野のような純粋資本主義の想定は必要ないばかりか誤っているというので
ある。重田は、宇野は何を基準として純化作用を認識できるのか。純粋化傾向が客観的に
原理論を構築してゆく場合のモデルになるとなぜ言えるのか、と追及する。宇野の純粋資
本主義の想定こそ原理論からの類推にすぎず、逆に原理論こそ純粋資本主義の帰結でしか
ない。両者は同じこしらえも似にすぎないという。(同上)。
C
宇野の認識論の欠落という問題については、黒田寛一が早くから宇野を批判してい
た。彼の『宇野経済学方法論批判』(現代思想社、1962 年)は表題のように全編が宇野批判
である。黒田は宇野の純粋資本主義というような「抽象の物質的根拠については、ただ結
果的にのみ、つまり認識成果として開示された存在論からの推論を通じて媒介的にのみ措
定されうるのであって、対象的認識において無媒介的に、直接的に前提されうるものでは
ないのである、にもかかわらず、この媒介的に措定されうるもの(存在論的解明)が、あ
たかも直接的な前提としての前提(客観的法則性)であるかのように、あらかじめ前提的
に措定され(=裏返しのヘーゲル主義)、かつ無条件的な前提たらしめられている(唯物主
義)からにほかならない」(『宇野経済学方法論批判・増補新版』78 頁)と述べ、宇野のい
わゆる哲学的客観主義を否定し、プロレタリアートの実践的・主体的な立場を強調して宇
野の認識論の欠落を批判するのである。確かに純粋化の歴史的傾向を客観的に認識すると
いうのは難しい。それは何等かの予見に従いつつ主観的に行われるしかないからである。
興味深いことに、前記の著書の増補新版(こぶし書房、1993 年)の中で黒田はこの件につ
いて宇野に出した質問の返事の葉書(1956.6.18.付)の写真版をその中に掲載している。そ
こには宇野の次のような返事がある。――すなわち「経済学の理論が…客観的事実の反映
である点、しかも方法自身でもそうであるということが大切なのです。それを認識するた
めに主体の主観がなければならぬことは言うまでもないですが方法自身も反映ということ
になれば問題はそれ以上にはないと思っています」(『宇野経済学方法論批判』増補改訂版
所載410 頁)。宇野の回答はそこまでであった。
D
あと佐藤金三郎の批判などがある。イデオロギー的批判は取り上げない。佐藤は宇
野の純粋資本主義の想定が対象の歴史的発展とは一致せず、他方で、宇野は方法模写説を
主張すれば純粋資本主義の想定と矛盾してしまうと宇野を批判している。しかしこれは宇
14
野の説明を全く理解していないことを示しており、一橋大学で一時非常勤講師として経済
原論の講義をしていた宇野の薫陶を多少とも受けた佐藤にしては、意図的に誤解して批判
しているとしか見えないのである。
E
純粋資本主義論の系譜をたどってきたが、最後に残った問題について考えてみよう。
黒田が指摘し、重田も追従している認識の問題はなかなか解決が難しい。宇野は資本主義
の純粋化傾向は十六,七世紀から続く歴史的傾向であり、唯物論的根拠としてその推論を保
証するもののはずであった。しかしそれを認識するのは人間であって、何らかの思想的立
場に立って主観的に認識する以外にはありえない。安易に歴史が証明しているなどとは言
えない。先に引用したように、宇野は認識の主観性を認めながら方法自身も模写であると
いうことで問題を切り抜けようとしている。宇野は問題に気付いているはずである。だか
ら問題は「それ以上にはないと思っています」と言って済ますのである。黒田を含めて何
人かの『プロレタリア科学』派に属する、あるいはそれ近い哲学者が、その認識を保証す
るのがプロレタリアートの階級意識であり、宇野にそれが欠けていることが決定的である
と批判しているが、もとよりそれで問題が解決するわけではない。
私はここに宇野がしばしば指摘していた二百年以上にわたる経済学史の営為の積み重ね
の問題を論点として追加したいと思う。宇野の純粋資本主義の構想の根拠には確かに歴史
的な純化傾向がもっとも強く語られている。しかし宇野はしばしば同時に、純粋資本主義
の理念が資本主義の経済学の営為の中で次第に確定化してきたことを語っている。つまり
歴史が純化をいわば歴史的文献という形の中で次第に明らかにしてきたというべきなので
ある。それぞれの学者が主観的にしろとらえた資本主義の対象設定は自然に純粋な資本主
義の形状に収斂されてきたというべきなのである。宇野が言いたかったことはそれであり、
それぞれの経済学者の主観はまさに客観であることが歴史的に証明されていたのである。
単なる観念論といって片づけることはできない。今風に言えば、一種の「合理的期待形成
説」であり、経済学者がそれぞれ自らの合理的判断によってその形成を予想し期待した経
済的モデルが純粋資本主義だということであろう。そのことの重みはここでの岩田理論と
の対比においても重要である。なぜなら岩田の世界資本主義の内面化としての経済理論は、
それを導入する方法論の違いがあるにしても、以下に明らかにするように、まさに純粋資
本主義の設定そのものを事実上、前提しているだけでなく、内容的にも宇野『原論』の改
定・修正を目指すものになっているにすぎないからである。
四、岩田の世界資本主義の内面化論としての経済理論
すでに述べたように岩田は歴史的資本主義社会の現実的過程の内的叙述としてその経済
学の原理を構想している。宇野のように純粋資本主義社会という観念的な想定を排して、
不純な要因をも商品関係によって一様に溶解して内面化されることで自立化するという意
味での純粋性を根拠に、岩田は経済学の理論を位置付ける。岩田に言わせれば、この内面
15
化という方法は宇野自身がすでにもつ方法の一側面であるが、それは一貫した方法として
は用いられなかったことになるのであろう。
岩田は、宇野の『原論』において第一篇の流通論、第二編の生産論については、「この部
分の展開についてはかわりようがない」(『マルクス経済学』上、57 頁)と述べ、宇野と自
らの原理とに違いはないことを認めている。
ただ実際はどうであろうか。商品の流通形態としての役割、貨幣の諸機能に関する宇野
説への批判など、宇野『原論』に対するその修正意見は部分的であってそれなりに理解は
できるが、産業資本が包摂する生産過程についての理解は宇野説と同じというわけにはい
かないのではないだろうか。マルクスは唯物史観を前提した上で、流通過程では剰余価値
を生みえないとして生産過程における剰余価値の生産に移り、そこから労働過程を前提に
一気に資本主義の全面的な社会的生産過程を説く。宇野はやや違い、資本家的生産をむし
ろその基準として労働生産過程を普遍的な実体の一般的規定と考えたと思うが、それでも
社会的生産を最初に労働生産過程として導くその方法は、やはり唯物史観を前提とするマ
ルクスと軌を一にするものと言っていいだろう。
それでは岩田はどう説くか。資本主義的生産の部分性を強調する彼は均質的な全体性を
なす社会的生産というものをもちろん前提することはできない。資本が労働力を商品とし
て獲得することによって何でも作りうる力を獲得したとしても、岩田はそれによって全面
的な資本主義生産の展開を主張するわけでもない。利潤追求の場としての流通から生産へ
の転換は個別の産業資本から始まったはずである。しかし岩田にとっては現実の資本主義
的生産が資本主義にとって不純の要因を内部化して自立するという形で生産の全面性を説
いている。つまりフィクションではあるが、全面性は確保されているという理解である。
彼の「生産論」では蓄積論の前に再生産表式論を置いているが、そこでも表式を成立させ
ているその全面性は、岩田の認めるフィクションであり、対象自身が擬制であるはずであ
る。岩田にあっては資本の生産過程としての対象は同質の構造をなしているわけではない。
例えば労働の生産物として同質のものと商品交換を通じて翻訳されて同質に扱われるもの
とに分かれているはずである。最終的に剰余価値率の一元化されているにすぎない。そう
かといって、逆に、イギリスでは例えば十九世紀初頭は木綿工業を資本主義の中軸として
全面性を獲得していたなどという具体的な設定を同質性の根拠にしても、はたしてその認
識が誰によってどのようにしてなされたにせよ、それで資本主義生産の全面的な自立性を
保証することになるかどうか疑問としなければならない。あるいはまた周期的な恐慌の勃
発によってその自立性が実証されるということになるだろうか。
岩田は次のように言う。――「労働力が商品として市場にみいだされると、資本はそれ
を基礎にしてあらゆる使用価値の商品をみずから生産しうるものとなり、社会的生産の自
立的な歴史的主体として登場するようになるといっても、そのことは、必ずしも現実に資
本が社会の全生産部門を資本主義的生産として組織し編成することをいみしないというこ
とである」(『マルクス経済学』上、98 頁)と。そして資本主義生産が特定の産業部門を基
16
幹とする部分的な社会的生産であることを強調したうえで、「とはいえ、資本主義的生産の
こうした部分性は、それが労働力商品化を基礎にして社会的生産の自立的な歴史的主体と
して登場することを否定するものではない」(同上、99 頁)と述べ、「産業資本は、現実に
は部分的生産にもかかわらず、あたかも社会の全生産部門を自己の内部に包摂しそれによ
って自立的に過程するかのような運動形態を確立することができるのである」(同上、99-
100 頁)と結論する。問題はこの部分性によってどうして社会的生産の全面性を主張できる
だろうか。部分はあくまでも部分であり、それが全面性を主張しうるためにはなんらかの
判断が必要ではないか。それは景気循環の歴史的継続性によって確認するという理解であ
ると思うが、少なくともマルクス以来の宇野にも継承されている労働価値説の論証はでき
なくなるだろう。というのは全面性というのは外囲のある完結した全体性であるからであ
る。決して開放的な体系ではない。世界資本主義を想定する場合にはそのような開放的な
体系であることが大きな意味をもった。しかしそれを理論化するとなれば封鎖的な体系に
しなければならない。価値から生産価格への「転形問題」といわれる周知の論争問題も、
誰もがやっているように一つの封鎖体系を前提しなければ解法がでてこない。もちろんこ
こで「転形論者」のような数理的取り扱いでの解法のことをいっているわけではない。し
かしいずれにせよ開放的な体系では理論の厳密性は構築できないのである。ところが岩田
はそのような全体性の仮想的性格をもって価値法則の論証は可能であると強弁する。彼が
かつて鈴木『原理論』の恐慌論において貿易や金融の国際的関連を理論化できなかったと
きも、金流失について国の外と内とを区別できず内面化理論の徹底を果たし得なかったが、
その限界はすでに明らかになっているように思われる。
「流通論」と「生産論」については宇野『原論』との違いは基本的にはないといった岩
田であるが、「生産論」の部分でも世界資本主義をまさに内面化するところで全面的な社会
的生産の導入に問題あることを指摘してきたのであるが、次に、大いなる区別のあるとさ
れる宇野「分配論」とそれに対する岩田の「総過程論」との決定的な相違を問題にしなく
てはならない。
岩田は言う。「内面化の方法、有機体的な弁証法的な抽象の方法を一貫させるということ
になると、想定された純粋の資本主義ではなく、対外関係をも、またその内部にも非資本
主義的な不純要因を抱え込んだ、現にある資本主義を、これらの諸要因を、生産過程を軸
にする資本・賃労働関係のうちに内面化しつつ叙述するのが原理論だ、ということになら
ざるをえない」(『国家論研究』vol.4、64 頁)、とした上で、「さらに出てきた最大の問題は、
帝国主義段階の資本の支配形態をなす金融資本の問題で、銀行資本と産業資本の独占体を
なす金融資本とは、産業資本と貨幣資本を貨幣資本の形態で統合する株式会社の具体的・
歴史的な現実形態以外の何物でもない。…そこで株式会社は原理論の中でどう規定するか
が、原理論の性格に関する最大問題になってくる」(同上)と。
すでに予想されるように、岩田は世界資本主義を理論に内面化するに当たって、その最
終的段階と考えられた帝国主義段階の資本主義については次のように考えていた。「帝国主
17
義段階の経済的基礎をなすものは、いうまでもなく、金融独占資本の成立にほかならない
が、その金融資本は、産業資本の株式資本化、それを利用する産業資本の集中合併、そこ
から生じる産業資本と銀行資本の独占的融合、それによる資本主義的生産の独占的分断と
支配を根本としており、世界的には、資本主義的生産基軸のイギリス、ドイツ、アメリカ
への分裂、世界市場の独占的分割を主内容としてあらわれざるをえない。つまり、現実的
にも、金融資本は、資本主義の最後の最高の形態であるにもかかわらず、資本主義的生産
と世界市場の独占的分断となり、自由主義時代のイギリスを中心とする国際景気循環機構
とそれによる資本主義的世界体制の均衡的編成の破壊とならざるをえない。自由主義段階
時代には、資本主義の世界体制の矛盾は、世界恐慌となって発現し、世界的に恐慌――不
況の過程で周期的に解決されたわけであるが、帝国主義時代には、それは、もはやたんな
る世界恐慌としてではなく、むしろ帝国主義対立として発現し、それによって帝国主義世
界戦争を必然にすることとなったわけであって、それは、資本主義がその矛盾――資本主
義的生産関係と生産力の矛盾――を、もはや、自己の生産様式の限界内では解決し得なく
なったということの終局的表現であった」(『マルクス経済学』上、45 頁)と。そしてその
歴史的過程の内的叙述こそが「総過程論」の内容であり、株式資本による完結という形を
もつようになるということである。そしてそれこそは「現実には、利潤と利子との対抗運
動によって媒介される価値法則の貫徹とそれによる資本主義的生産の均衡的、全体的編成
の否定とならざるをえない」(同上)ものとされるのである。
宇野と自らの経済学原理との違いを際立たせようとする岩田であるが、その利潤論の最
後に説く景気循環論は、基本的な組み立ては宇野と大きな違いのないものであるが、岩田
によれば、十九世紀の中期のイギリスにおける現実の景気循環の歴史過程の内的な叙述で
あって、宇野の言うような純粋資本主義の景気循環の一般的な説明とは言えないものであ
る。岩田はもちろんそのような一般的な景気循環に理論的規定などというものの存在を否
定するのであって、むしろ宇野が資本主義に固有の生産力と生産関係の矛盾によって自己
運動する自立的な運動体として景気循環論を一般的にとらえた点は評価しているのである。
というのは岩田はむしろその生産力の変化という要因を入れて景気循環過程の歴史的変容
によっていわゆる帝国主義段階の新たな産業循環の特徴を説こうとするのである。
だからそれまで自由主義段階の景気循環の性格を理論的に明らかにした岩田は続けて次
のように述べている。――「資本主義的生産は、しかし、このような周期的な産業循環の
過程を無限に反復し、資本主義的生産様式の限界内において生産力と生産関係の矛盾を解
決し、もって生産力の発展をどこまでも実現していくというような自立的な運動体ではな
い。・・・資本主義的生産がその生産様式の限界内において生産力と生産様式の矛盾を解決
する形態は、恐慌期における既存の生産力の破壊と不況期におけるあらたな生産力の形成
以外にはありえないのであるが、これは、しかし、個々の資本にとって多大の犠牲と深刻
な負担を伴う死活の競争戦をとおしてはじめて実現されうるものであり、したがって既存
資本価値の維持増殖というという資本主義的生産様式の根本的要請と衝突せざるをえない。
18
かくて、資本主義的生産は、恐慌とそれに続く不況期をとおしておこなわれる既存生産力
と既存資本価値の破壊が資本主義的生産様式にとってゆるされうるような限界内に、その
生産力の発展段階があるかぎりにおいてのみ、生産力と生産関係の矛盾を既存生産力と既
存資本価値の破壊というかたちで解決し、産業循環の周期的過程を反復しうるにすぎない
といってよく、生産力の発展段階がこの限界をこえるやいなや、資本主義的生産は、もは
や総じて、生産力と生産関係の矛盾をこのようなかたちでは解決しえなくなるのであり、
したがってまた産業循環の周期的過程もこれを反復しえなくなるのである。しかも、この
ような生産力の発展段階は、産業循環の周期的な過程がくりかえされていくうちに、必然
的に到来せざるをえない。なぜなら、この反復の過程をとおして、既存生産力が周期的に
破壊され、あらたなより高度な生産力が周期的に造出されるとともに、これに対応して生
産規模の巨大化と生産過程への資本価値の大量的な固定的集積とがますます促進されるか
らである。/かくして、資本主義的生産は、産業循環の過程によりその生産力の周期的破
壊と周期的な高度化とを強制されつつ、ついには、生産力と生産関係の矛盾をこのような
かたちでは解決しえない段階のまで生産力の発展をおしすすめることになるのであるが、
それと同時にまた、資本主義的生産は、利潤率の均等化とその全体的編成とを実現しえな
くなる」(鈴木編『経済原理論』下、453-54 頁)と。そして次のように続けていく。
「資本主義的生産は、生産力と生産関係の矛盾が既存生産力の破壊にもとづくあらたな
生産力の形成によって解決しえなくなる段階に到達するやいなや、同時にまた、社会的再
生産過程の価値規制を貫徹し、みずからを自立的な社会的な生産として統一的に編成して
いく現実の機構を喪失する、ということにほかならない。資本主義的生産過程は、周期的
な産業循環の過程において、はじめて現実的に自立し、それ自身に運動する自立的な社会
的生産体として確立し、価値法則をその現実の運動法則として定立したとすれば、いまや、
資本主義生産は、このおなじ周期的な産業循環過程をとおして変質し、価値法則をその現
実の運動法則として実現し、みずからをそれ自身に運動する自立的な社会的生産体として
維持する現実の機構を喪失することになるわけである」(同上、454-55 頁)と。そして導
かれるのが、株式資本による利潤の利子化であり資本の商品化なのである。
「かくして、資本主義的生産は、恐慌による既存生産力の破壊と不況期におけるあらた
な生産力の形成という方法によらないで、生産力と生産関係の矛盾を解決し、その全体的
編成を実現していくあらたな形態を要請せざるをえないのであるが、しかし、このあらた
な形態は、もはや、生産力と生産関係の矛盾を回避ないしは隠蔽しつつ、資本主義的生産
の全体的編成をいわば形式的に達成していく形態以外にはありえないのであって、これが
ほかならぬ利潤の利子化であり、あるいはこれを実現するものとしての株式形態による資
本の商品化であるといってもよい」(同上、455 頁)。
このようにいわば世界経済の現実の歴史的運動過程の変化を内的叙述として理論化して
みても、それはいかなる意味で経済学の原理論でありうるのであろうか。ひるがえってマ
ルクスの『資本論』の形成過程を考えてみれば、それが基本的にはリカードの『経済学原
19
理』の構成に加えて、リカードの論じえなかったロンドンの金融事情とイギリスを中心と
する対外貿易とその決済機構の現実の運動からマルクスが得た知識を、いかに論理化して
体系的なものに完成していくかということであったように思う。マルクスは確かに資本主
義の原理的規定をそこに求めようとしていたと考えられる。ただマルクスがそこに見た景
気循環の運動には歴史的制約があり、普遍的なものではない。マルクスを継承する宇野も
同じでその論じる景気循環も歴史的な制約があり、決して景気循環の一般的な形態ではな
いが、宇野はそれを純粋の資本主義の典型的なものと抑えている。岩田はその歴史制約的
な産業循環を自由主義段階の形、そして帝国主義段階の形として区別して論じることにな
るが、それぞれは世界資本主義の現実的過程の内的叙述ということになる。そしてそれを
株式会社論がつないで産業循環の歴史的変容の根拠をも論じようとしているのである。そ
して形態変化した産業循環は資本主義の矛盾を隠蔽していく形態として説きながら、原理
を終結させる規定にはつながらないで、それは産業資本と貸付資本の統一としての株式資
本による資本の商品化として与えられることになるのである。それはそれ自身では結局、
宇野の『原論』の終結の形と同じ形としか見えない。
岩田の特徴は原理的規定の中に生産力の変化の具体的な例示を入れたことである。確か
に宇野も景気循環の不況期の過程で古い生産設備を廃棄して新しい生産手段に更新するこ
とによって新しい生産関係が形成されるという問題を指摘している。しかし固定資本が一
度には更新できないほど巨大化するとか、巨大な固定資本を維持温存する傾向が出てくる
というようなことは述べていない。生産力と生産関係が生産手段の更新とそれへの労働力
の結合によって新しい生産関係が形成されることは述べても、それは抽象的に述べるにと
どまっている。それに対してある歴史的段階で登場するような固定資本の巨大化は原理の
中に入れていない。それは岩田の言う世界資本主義の内的叙述ではあっても、経済理論の
論理的展開の帰結とはいえないであろう。
もちろん経済学の原理の中に生産力の歴史的条件を取り込む見解もないわけではない。
宇野理論の継承者として岩田としばしば正反対の立場に位置付けられることが多いが、宇
野の高弟と目されていた大内力の『経済原論』(東大出版会)では、その『原論』は資本主
義の自由主義段階の理論とされ、自由主義段階の生産力水準が、原理的規定の背後にいつ
も想定されることになっていたのである。すなわち大内は次のように述べている。長いが
引用してみよう。――「いうまでもなく原理論は、その対象となる純粋資本主義を背後か
ら支えている生産力水準について具体的規定を与えているわけではない。・・・しかし他方、
それは暗黙にではあれ、ある生産力水準を前提せざるをえない。その場合、低い方の世界
はかなり明瞭に与えられている。/高いほうの限界はどう考えられているのであろう
か。・・・ここでは生産過程が・・・もっぱら個人企業によって担当されており、株式会社
企業なるものは無視して差し支えないという事実、およびここでは市場価格の変動に対応
して資本の部門間異動がかなり敏捷に行われるし、景気変動に際してはとくに不況の末期
に固定資本の更新と技術の導入とが集中的に行われるような状況が一般的であるという事
20
実を、当然のこととして前提していることに注目しておく必要がある。こういう前提は資
本主義の運動法則をもっとも明快に、単純化されたかたいで解明するためには不可欠のも
のであるが、それをより具体的な歴史過程に対応させてみれば、それは十九世紀の・・・
近代的鉄鋼業が中心産業になるような事態を生じる以前の、生産力水準に対応した関係で
あるといわなければならない」(大内『経済学方法論』206-07 頁)と。大内は本来「原理
論では捨象されるような」(大内『経済原論』上、18 頁)生産力の変化という問題をここに
導入することで、みずからの『経済原論』を事実上、自由主義段階の資本主義の原理とし
てしまったのである。岩田が生産力の変化を導入したことに反対するあまりこのような叙
述になってしまったとも考えられる。もともと大内は積極的に生産力の問題を論じようと
したのではない。世界資本主理論が生産力の変質という諸条件を原理の中に持ち込むこと
を批判している過程で、みずからの原理的規定の根拠の説明として「個人企業が資本機能
を果たす」(同上、202 頁)とか、産業革命後の「機械制生産が一般化している」(同上、206
頁)時期とかの、「暗黙の前提とでもいうべき一定の生産力水準」(同上)について語って
しまったのである。これは原理の意味を十分理解していれば、必要のない発言であり誤解
を招くこともなかったと思われる。
宇野は同じ場面で次のように述べていた。「理論的に限定せられなければならない、純粋
資本主義社会が、現実的には実現されないままに、資本主義は末期的現象を呈することに
なるのであるが、しかし資本主義の発展期における、その純粋傾向の内には、すでに純粋
の資本主義社会における全機構が展開される。商品経済は、一社会を形成す経済的構成体
として、その自立的根拠をうるとともに、基本的諸現象を展開するわけである。金融資本
の時代としての転化を示した後も、別に新たなる形態を展開するわけではない。金融資本
の時代を特徴づける、株式資本の産業への普及も、純粋の資本主義において、すでに論理
的には展開せられざるをえない、しかし現実的には具体化されえない、いわば理念として
の、資本の商品化の具体的実現にほかならない。いいかえれば、ここでもその歴史的過程
は、純粋の資本主義境を想定してえられる基本的規定によって、これを基準として解明せ
られうるし、待たせられなければならないのである」(宇野『経済学方法論』、『宇野著作集』
九,33 頁)と。ここには宇野の純粋資本主義社会という設定における並々ならぬ自信が示
されている。金融資本の時代に入っても原理の規定はそのまま生きるし、「経済学原理」に
生産力の変化などの歴史の諸条件を加える必要などないという見解がつよく示されている
のである。
岩田の「原理」と宇野の「原理」との決定的な相違は、その最後の章にある。それ以外
にはないと言っても過言ではない。岩田は「原理」の最後を産業利潤と社会的貨幣資本の
利子との対抗の統一としての利潤の利子化、利潤を利子率によって資本還元することによ
って貨幣を産業資本に擬制化した形態、つまり株式資本形態にまとめた。そしてその結語
を資本の商品化においた。資本の商品化という点では宇野にならっている。
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岩田はかねがね宇野のそのシュルス(最後のまとめ)の規定を高く評価していた。彼は
次のように述べている。――宇野は自分の原理論で、「まず流通論のところで、価値法則の
いわば形態的な生成論をやり、生産論で、それが労働を根拠にして社会の再生産法則とし
て実体化してくるという確立論をやり、そして分配論で、それが資本主義社会の経済的運
動法則として姿を現してくることを明らかにし、その最後の株式資本論でそれの形骸化を
やっているわけです。それは、価値法則をその生成・確立・発展・形骸化において、トー
タルに解明し叙述する弁証法的方法だと言ってよいでしょう。資本主義があたかも永遠に
くりかえすかのごとく原理論をやると言っても、宇野さんの原理論はじっさいにはそうな
っていないわけです」(『宇野弘蔵をどうとらえるか』119 頁)と。宇野は資本の商品化をシ
ュルスの規定におくことによって、永遠に繰り返す法則の解明と言っていた自らの『原論』
の立場を撤回し、当初の価値規定、そして価値法則の作用がここで貫徹できないことを論
じることによって、資本主義の歴史的限界を事実上明らかにしているというのである。こ
のような理解に立って、岩田は明らかにこの宇野の論理を借用している。解釈を変えて利
用したのだ。だから問題は岩田が資本の商品化を導く論理の違いというところにあるはず
である。
すでに明らかであるが、宇野は自らの『原論』の最後で資本の商品化を資本の理念とし
た。資本の商品化は事実として存在しえない。それはただ理念としてしか、「原理」つまり
自らの『原論』の中では説けないとしたのである。具体的には金融資本の問題だというの
であるが、その株式資本は産業資本と違ってより高次の規定である。産業資本の規定を否
定するものではない。しかも産業資本が論理的に株式資本に転化するというものではない。
また産業資本と違って一般的に普及していくものではない。歴史的条件を入れなければ説
けないのである。世界資本主義の自立性といった場合、それは普通、他の産業資本との協
業なくしてはあり得ない限り、株式資本の自立性が言えるかどうかは疑問である。産業資
本はその場合、決して外部にあるのではなくて資本主義内部の自立性を支えるはずのもの
である。利潤の利子化が一般的規定になるのかどうか疑問としなければならない。
岩田は、結局、世界資本主義の内面化、あるいはその内的叙述が経済学の原理になると
主張したが、その方法は、宇野の純粋資本主義の想定に立脚する原理を方法的に否定する
ものであったとしても、それは言葉だけで内容的には成功していないと言わなくてはなら
ない。岩田の「原理」の特徴は、宇野の「流通論」や「生産論」にはほとんど異論を加え
ず、ただ「分配論」に対してのみ根本的批判を加え、それを自らの「総過程論」と対照さ
せ、そこに世界資本主義の歴史的変化の過程を写し取らなければならないとするものであ
った。言ってみれば宇野が「段階論」でやった自由主義段階から帝国主義段階への転換を
「原理」で内面化して説こうとしたのである。世界資本主義を理論の中に内面化すると言
っても、国際的な問題を国内の問題に翻訳することはできるが国と国との国際関係はその
ものとしては絶対に説けない。その点で岩田は恐慌論で破綻せざるをえなかった。それだ
けでなく自由主義段階の景気循環が何故に金融資本の時代には新たな景気循環の形をとる
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ようになるかの論理的説明を与えることができなかった。固定資本の巨大化を原理的に導
けないからである。そして原理的論点での彼のいくつかの考察における貢献はあったとし
ても、基本的には宇野の純粋資本主義の「原理」の上でなされたものと事実上同じことに
なってしまっている。岩田が、かつて宇野の方法論を批判して、宇野の方法はそれ以前の
混乱した議論を方法的に批判することはできても、積極的にその内容をあらためることは
できないと述べた経緯を思い出してしまう。導かれる方法は違っていたとしても、二つの
「原理」は結果として重なってしまうのである。岩田自身の方法はそこに必ずしも積極的
には生きていないのである。結局同じではなかと評する研究者も多い。実際、他の多くの
「原理」研究者が行ってきた問題領域とさほど違いがない。資本主義的商品経済の抽象的
な論理を扱う「経済学原理」というものの存在とその役割は、岩田が思う以上に、大きく
重いのである。それは先に見たように経済学三百年の伝統の中で積み重ね理解されてきた
資本主義社会の中での商品経済的機能の純粋な展開の体系化の試みではないのか。現在ま
で多くの試みがあるにしてもその求めるものの輪郭は同じ方向を指しているように見える。
とりあえず経済学の原理あるいは資本主義経済の原理という前に、あえてそれを商品経済
の原理、あるいは資本の原理と言っておこう。それは様々な局面において機能に変容が加
えられることがあっても、市場の運動がつねに引き戻される基準として純粋に原理として
機能しているものである。
五、結び
岩田の世界資本主義の内面化の試みについて今までその関連するところを述べてきたが、
最後にそれをまとめておこう。
まず、岩田の世界資本主義論であるが、世界経済論の観点から見るとき、岩田の分析の
視角はきわめて新鮮で鋭く、十九世紀中葉のイギリスを中心として説くその世界的なダイ
ナミックな構造分析と大不況期のイギリスの金融機構を通じて世界的な経済構造の変化を
明らかにするその手法は鮮やかなものであったように思う。岩田の世界資本主義の提唱と
相前後して、アメリカなどでもウォーラーシュタインなどの世界資本主義的なシステムの
構想がしばしば語られるようになった。ただそれはアミンやフランクなどの従属理論から
出てきたもののためか、比較的固定的な輪郭の世界システムで、世界資本主義の歴史的な
展開のダイナミズムからはほど遠いものであるという印象があった。のち覇権論を加えて
その世界システム論は一段と複雑化し発展を見たが、それとても構造をなお個々に固定化
するきらいがあった。そういう発想に対して岩田の世界資本主義のシステム論は魅力的に
映ったことも事実である。
ただ仮にそうだとしても、それは宇野の段階論に代わる役割を本来果たすものではない。
段階論を歴史的叙述とみるととても十分とは言えないことは岩田の言う通りだとしても、
宇野にとっては具体的な経済の分析のための手段として、いわば一種の中間理論として段
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階論は構築されたのであった。タイプ論的だと批判されても、もともとタイプ論を目指し
たものである。岩田は段階論の限界を指摘する際、それが世界史的段階として意識されな
がらも、たとえばイギリスの綿工業を中心とする景気循環を論じてもその資本主義の世界
性を十分論じておらず、典型国の国民経済の個別的特徴の記述に終わっていて、それを分
析の手段として、取り上げる特定の国の現状分析に役立てるのは無理だとして批判してい
る。しかし世界経済論的に把握したうえで、歴史的に段階を区切って、その時代的特徴を
もって現状分析のために役立てたいという試みはなお検討の余地があるものと考えるが、
そういう中間理論の媒介が必要であるかどうかの議論は岩田は全くしていないのである。
もちろん理論とは世界資本主義の内的叙述以外にないと言っている以上、段階論の存在の
余地はないということなのではあろうが・・・。
次に世界資本主義論の内面化による経済理論の成立の問題に移ろう。世界資本主義の歴
史的展開過程の内面化の理論あるいは内的叙述だと言っても、岩田自身が述べているよう
に、決定的なのは流通論でもなく生産論でもなく、彼のいわゆる総過程論の中でも産業資
本と貨幣資本との対立をとおして出てくる景気循環は、やがて産業資本と貨幣資本の対立
が固定資本の巨大化という歴史的変化の中で株式資本を生みだし、それが景気循環自身の
変化と越え難い資本主義の新たな矛盾をもたらし、それが金融資本の成立として資本主義
に新たな変貌と危機を引き起こしてゆくということを原理的に説けるかどうかに問題を集
中させている。つまり特定の具体的な条件のある歴史的変化を経済学の原理の中で、いわ
ば論理的に説こうというのである。しかも岩田は資本主義生産が部分的であることを前提
にしている以上、原理における全体性はフィクションであり、そこでの産業資本と貨幣資
本の統一から生まれる株式資本もまた部分性をまぬかれず、そこからもたらされる帰結も
空虚な全体性を与えられているだけである。それによる論証そのものも虚構性を否定でき
ない。それだけでなく世界資本主義を内面化するために国際関係は処理困難に陥ってしま
うのである。内面化できないところが景気循環論のポイントになってしまうという皮肉な
結果を残してしまったのである。
ここでも岩田がかつて宇野に対して述べた、方法論的に批判できても積極的な成果を得
られないという批判は、また再び岩田に戻ってゆくことになるのではあるまいか。結局、
岩田の宇野の『原論』に対する批判に適切と思われるものがあったとしても、それらは岩
田の方法に立って達成されたものではなく、宇野の原理の理解の範囲内でも可能になった
ものばかりであると言っても間違いではない。そうなると岩田の「原理」と宇野の『原論』
の違いがどこにあるか分からないという批判が出てくるのも無理はないということになる。
経済学原理が経済学の長年の蓄積された成果であるという意味もそこにあるのではないか。
商品経済の論理は時空を超えて貫徹しているというべきなのではないか。ワルラスにして
もマーシャルにしても、方法論的な意味での対象の明確な指摘はなかったにせよ、そして
それぞれの理解に特徴的な違いがあるにせよ、商品経済の論理の原理的普遍性については
かなり明確に共通性をもって語っているのではないだろうか。商品経済が普遍的な性格を
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もって運動を継続している限り、そしてその経済のグローバリゼーションが続いていく限
り、商品経済の原理は存在し続けるであろう。
そしてマルクス経済学に典型的に見られるその原理的把握という問題提起こそは、体系
性を失っている今日の経済学に対する批判的視点を依然として失っていないことを示すも
のにほかならない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study601:131117〕
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