「カネ・モノ・ヒト」からの脱出へ ―都知事選に構造変化の予兆をみる―
- 2014年 2月 11日
- 時代をみる
- 半澤健市都知事選
2014年2月9日(日)に投開票が行われた都知事選は舛添要一がダブルスコアで大勝した。数字を丸めた結果は次の通りである。
①舛 添 211万票 43%
②宇都宮 98 20
③細 川 95 20
④田母神 61 13
⑤その他 22 4
計 487 100
《三たびの「愚かな選択」》
細川・小泉の演説を二回聴いた実感と開票結果とのギャップ感が大きい。
次の三点に絞り感想を述べる。
①舛添の大勝
②低投票率
③三たびの「愚かな選択」
大差の原因は脱原発陣営の分裂と細川の遅い決断。権力に魂を売った大衆政党と労働貴族に転落した労組の舛添支援。原発の是非が主題になり得なかったのは、「貧すれば鈍する」の実現である。明日の展望を持てない人々は、「夢でなく現実が大事」と考えた。原発ゼロは明日の話であり舛添の段階的脱原発のレトリックに同意した。アベノミクスの「好循環」経済に期待した。若者が、田母神に入れたのもナショナリズムに縋るという「変型」である。哀切極まりない構図である。
選挙当日の『東京新聞』に同志社大学の浜矩子教授が「ヒト・モノ・カネ」について書いていた。これが「カネ・モノ・ヒト」という逆順になっているのが、グローバリゼーションの現実だというのである。無論、浜教授は正しい順序を望んで文章を結んでいる。しかし人々は逆順を選んだ。
半世紀振りの大雪は低投票率の大きな理由だという。だが前回並の60%台だったとしても大勢は変わらぬであろう。都民1300万人、有権者1100万人、投票者487万人、舛添211万票。GDP換算で韓国並みの大都市で、有権者11人のうち2人が入れて知事になった。46%の投票率は都民による究極の政治不信の表現といえるであろう。不信の表現は絶望の表現でもある。
私は2009年の「政権交代」選挙を、「二大保守政党独裁体制」の誕生と言ってきた。更に2012年夏の参院選、同年12月の衆院選による自民圧勝によって「反革命」が始まったと考えてきた。安倍のいう「戦後レジームからの脱却」が粛々と進行している。「戦後民主主義」は滅亡寸前である。その歴史的文脈に思い至らぬ都民は、三たび「愚かな選択」を示した。このままでは安倍晋三の新国家主義への驀進を誰も阻止できない。
《希望は全くないのだろうか》
希望はないのか。他力本願と自力本願の二方面作戦で希望がないこともない。
第一には、残念ながら他力本願。安倍の新国家主義は、国内の「反革命」だけでなく、国際的には「ポツダム体制」への反逆である。「ポツダム体制」も欺瞞の構造ではあるが、安倍のブレインたち─籾井・百田・長谷川ら─の異様な発言を聞くと、彼らは本気で「第二次世界大戦」の「大義」─「デモクラシー陣営」による「ファシズム体制の殲滅」─に挑戦しようとしている。デモクラシー陣営は、その挑戦を許さぬであろう。情けないが「外圧」に安倍レジームを征伐してもらうのである。
第二に自力本願。細川・宇都宮が共闘すれば舛添に勝利する可能性があった。これこそ夢物語にみえる。ネオコンの小泉、リベラルの細川、社民主義の宇都宮をくっつける。過日、岩垂氏が論じた「人民戦線」である。できるわけはない。人はそう思うであろう。
《「即時原発ゼロ法案」による共闘を》
しかしである。原発事故が文明の転換を迫っている。本気でそう思うなら、その「戦線」は可能である。むしろ人々全部の責任というべきである。小泉純一郎が、河野太郎や小泉新次郎を従えて、社共と提携できるか。一方で、志位和夫の率いる「教条論」者が、非正規労働者の山を築いた小泉純一郎と手を結べるか。これが問題の核心である。
「即時原発ゼロ法案」の一点に絞り統一戦線を組んで国会の内外で戦うのである。
細川・小泉の行動が線香花火だったかどうかは見極める必要はある。「脱原発」をテコにした保守政権の長期的再編への展望がなければならない。話が飛躍しているという読者は、情況を甘く見ない方がいい。それができなくてはこの国は再起不能である。私は願望を含めて2014年が構造変化の始まりの年になる予感をもっている。
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