和訳:ウクライナのファシズム革命 イズラエル・シャミール著
- 2014年 3月 1日
- 時代をみる
- ウクライナ問題童子丸開
http://bcndoujimaru.web.fc2.com/fact-fiction/The_Brown_Revolution_in_Ukraine.html
ウクライナのファシズム革命 イズラエル・シャミール著 (counterpunch誌)
これは2014年2月24日付でcounterpunch誌に掲載された「The Spectacle in Kiev:The Brown Revolution in Ukraine」の和訳(仮訳)である。
http://www.counterpunch.org/2014/02/24/the-brown-revolution-in-ukraine/
著者のイズラエル・シャミールはユダヤ系ロシア人の作家で、イスラエル在住を経て現在はスウェーデンで活躍している。このサイトで和訳を公開しているシャミールの作品は以下の通り。
●アメリカ:あるユダヤ国家 http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/a_jewish_state.html
●パラダイス・ナウ あるいは ある秘密諜報員の告白 http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/paradise_now.html
この翻訳(表題を含む)で「ファシズム革命」と書かれているのは、原文では「The Brown Revolution」なのだが、この「Brown」は明らかにナチ突撃隊(SA)の制服の色を表わしている。したがって、この「ファシズム革命」だけではなく大文字を用いた「Brown」には「ファシズム」の訳を施している。ウクライナの親ナチ・ファシストの活動に関しては、次の各記事をご参照願いたい。
『東西欧州を襲うファシズムの嵐』(当サイト)
(http://bcndoujimaru.web.fc2.com/fact-fiction/fascisum_in_eastern_and_western_europe.html)
『ウクライナと、ヨーロッパにおけるファシズムの復興』(マスコミに載らない海外記事)
(http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-155c.html)
『ウクライナにはネオナチはいない。オバマ政権はファシストを支援していない。』(マスコミに載らない海外記事)
(http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-9d10.html)
※ この表題は、米欧のマスメディアが強調する虚構のウクライナを表わしている
「民主主義」を標榜する者たちが、正当な選挙で選ばれた国家指導者を暴力的に排除し、またその政権転覆活動を最も強く支持する姿は、世界の現代史の中で散々見せつけられた。彼らは例外なしにその行為を「民主主義」と呼び「解放」と呼んだ。彼らが口にする「自由」や「民主」が、混乱を起こして分裂させ、破壊して支配するための方便、大がかりなマッチポンプにすぎないことは、第2次世界大戦のはるか以前から明白である。この者たちとその背後にいる「人類の1%」こそ、世界を永遠の資本主義的寡頭支配へと導く真正ファシストなのだ。第2次世界大戦を「全体主義vs民主主義・自由主義」などと描写する々の歴史教科書は、根本的に書き改められなければなるまい。以下を参照してほしい。
『メイン号事件から9.11へ』
(http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain_jouhou/maine.html)
『ナチス・ドイツを育てた米国人たち』
(http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Vladimir_Jabotinsky3.html#7bu)
ただ、著者のシャミールはロシアが今まで他国の正式な要請が無い限り直接にその国の政変に手を出さない外交方針を挙げて、ロシアが今回のウクライナ情勢に直接の干渉をしなかったことが予想できたとしているが、私にはやや異なるように思える。今回の政変がロシアに直接に重大な脅威をもたらすものだからだ。プーチンはオリンピックを「人質」にされ、米欧(+サウジアラビア、イスラエル)の支援と指示を受けるイスラム原理主義テロリストによるソチ襲撃を防ぐために取引せざるを得なかったのではないか。オリンピックの時期とウクライナでの「反政府活動」の盛り上がり方、チェチェンのイスラム過激派による爆弾テロの起こり方の連動を見るならば、メディアとテロリストを主力部隊に加える米欧ファシスト側の完全勝利と言えるだろう。
また一部の人たちは、ウクライナのユダヤ人指導者たちがロシア人よりもむしろ反ユダヤ主義のネオナチを好んでいる様子に驚くことだろう。しかしこれには何の意外性も無い。イスラエルの国祖の一人で現在のリクード党(シオニスト右派)の基盤を作ったウクライナ出身のユダヤ人、ウラジミール・ジャボチンスキーは、反ボルシェビキ活動を行うために、ウクライナで9百回近いポグロムを指導し約3千名のユダヤ人を虐殺したシモン・ペティルラと手を結ぶ工作をしていたのである。記事中でシャミールが述べているように、ユダヤ人の大富豪や有力者たちは積極的にネオナチを育て支えているのだ。ここでも真正ファシストがどこにいるのか明らかになるだろう。
今後はウクライナ西部の米欧ファシスト支配地域と東部・南部のロシア語地域に分かれて事実上の内乱状態となり、ウクライナ各地で、かつてナチ協力者たちの末裔であるファシストどもによって、ロシア系住民・ロシア語圏住民に対する壮絶な弾圧と破壊・リンチが打ち続くこと予想される。そして南部に海軍基地を持つ以上、ロシアは様々な形で積極的な関与をせざるをえなくなるはずだ。プーチンが(そしてNATOが)すでにその準備を進めていることは明らかである。クリミアではすでに前哨戦が始まっている。こうやって世界は加速をつけて「きな臭い時代」に突入していくのだろう。
2014年2月28日 バルセロナにて 童子丸開
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2014年2月24日 (counterpunch誌)
キエフのスペクタクル
ウクライナのファシズム革命
イズラエル・シャミール著
私はキエフが大好きだ。そこは陽気なブルジョアジーの性格を持つ愛想のよい街で、小さなレストラン、美しい並木の通り、そして気さくなビアガーデンに満ちている。百年前のキエフは圧倒的にロシアのリゾート地であり、中心地区の一部にはその雰囲気がまだ残っている。いまキエフは西ウクライナから来た武装暴徒ども、ネオナチ右翼組織の戦士であるステパーン・バンデーラの子孫ども、ウクライナ版クヴィンスリングの攻撃隊、そして現地の国粋主義信奉者の武装集団によってパトロールされている。
対決の1か月が過ぎた後、ヴィクトール・ヤヌコヴィッチは降参し、欧州理事会が準備した降伏案にサインして危機一髪でその手荒い革命法廷から逃れた。支配政党の国会議員たちは打ち倒されて解散させられ、共産主義者たちはほとんどリンチ状態にさらされ、反対派は議会の全てを自らの手に握りそして新たな大臣を指名してウクライナをその手にした。ファシズム革命はウクライナで勝利したのだ。この5千万の住民を持つ東欧の大国はリビアの道を歩んだ。米国とEUはこのラウンドに勝ち、目論見通りロシアを東方に追いやった。
戦いに勝ったネオナチの暴徒どもがこの勝利の甘い果実を、実に薄汚い(それは神がご存じだが)政治家どもに手渡すことに同意するのかどうかが、見るべきところとして残っている。そしてもっと重要な点として残る見どころは、ロシア語圏である東部と南部の地域がキエフのファシスト支配を受け入れるのか、あるいは分離して自らの道を歩むことになるのかである。あたかも(聖書によれば)イスラエルの人々がソロモン王の死後に、「イスラエルよ、あなた方の天幕へ帰れ」と叫びながらその王位継承者に対して反乱をおこして彼らの領地の独立を主張した(列王記上12:16)ようにである。一方で、ウクライナ国家の統一を維持することへの西部地域の人々の願望は、勝ち誇るファシストに対する嫌悪よりも強いように思える。彼らは独立を宣言する為に議員たちを招集したのだが、彼らはあえて権力を主張しようとしなかった。これらの平和な人々は闘争のためのスタミナをほとんど持っていないのである。
彼らの巨大な隣人ロシアは、この事態の不吉な展開に対してあからさまな関心を示すことが無かった。ロシアの通信社TASSとRIAはともに、ロイターやBBCと同様に、悲惨なウクライナのニュースをトップに据えることすらしなかった。それらにとっては、その紙面を見れば分かる通り、オリンピックとバイアスロンがより重要だったのである。
この「(砂に頭を突っ込む)ダチョウ」の態度はロシアのメディアに極めて典型的なものである。自分自身が面倒な立場にあることを知った際にはいつでも、彼らはテレビでの「白鳥の湖」放映に逃げ込むのだ。それが1991年にソヴィエト連邦が崩壊したときの彼らのやり方だった。今回はバレーの代わりにオリンピックである。
ロシアでの反プーチン反対派は大喜びでウクライナのクーデターを承認した。「昨日はキエフ、明日はモスクワ」と彼らは歌った。「マイダン(キエフの中心的な広場で反政府デモの場所)はボロトナヤ(モスクワの広場で2012年の反政府抵抗の場所)と同じだ」がもう一つの人気のあるスローガンだ。
ロシアの多数派は動転しているが驚いてはいない。ロシアは何週間か前に、あたかも世界に対してその非介入の姿勢を示すことを望んだかのように、ウクライナへの関わりを最小限にすることを決めた。彼らの態度は無謀さと隣接していた。欧州各国の外相とその同盟者たちがキエフに集結する一方で、プーチンは、ほとんど何の影響力も持たない老いた下級の政治家である人権関係の使者ウラジミール・ルーキンを派遣してウクライナ危機を取り扱わせた。ロシア大使のズラボフ氏もやはり小物だが、公衆の目から完全に姿を消した(いま彼はモスクワに呼び戻されたが)。プーチンはウクライナに関して、それがロシア本土に隣接した隣国としてではなくあたかもリビアやマリででもあるかのように、一つの声明を出すことすらしなかった。
この手をこまねく対し方は予想できたことである。ロシアは2004年のウクライナ総選挙の災厄にも、極度の反ロシア政権を産み出したグルジアの総選挙にも干渉しなかった。ロシアは、2008年のオセチアや2011年のシリアの場合のように、実際の地上戦が起こる場合にのみ、そして合法的な政府が助けを求める場合にのみ、手を下すのである。ロシアは自らの為に戦う者たちを支援するし、さもなければロシアは、いくぶん失望することではあるが、傍観するのである。
西側にはそのような抑制は無く、その代表部は極めて活動的だった。米国国務省の代表者ヴィクトリア・「糞喰らえ欧州」・ヌーランドは何日も何週間もキエフで過ごし、反乱者たちにクッキーを食べさせ、密輸された数百万ドルを与え、その指導者たちに会い、クーデターの計画と準備を進めた。キエフはその造幣局で作られる米ドルの新札に溢れている。(モスクワでは見たことが無い種類の造幣局だと、ロシア人の私の友人から聞いている。)米国大使館はナイトクラブのほろ酔いのテキサス人のようにカネをばらまいている。闘いを望んだ屈強な若者たちはみな週5百ドルの報酬を ― 有能な者は千ドル、小隊長は2千ドルにいたるまで、受け取った。これはウクライナの基準では大金だ。
【訳注】”Fuck EU!”と叫んだヌーランドはユダヤ系米国人で国務省報道官。
カネがすべてではない。人間もまたクーデターの成功にとって必要とされる。民主的な選挙で勝利したヤヌコヴィッチに対する反対派があり、したがって三つの政党が選挙に敗れた。これらの政党の支持者たちは大勢の人々を平和的なデモ隊や座り込みに編成できた。しかし彼らは、強権の圧力がやってきたときに戦うことをするだろうか? たぶんそれはないだろう。もう一度言うが、それは、気前の良い米国と欧州の助成金(ヌーランドは「民主主義の確立」への米国の投資総額を50億ドルと試算した)の受取人たちだったのだ。人々はデモのために主要な広場に呼び集められたかもしれない。しかしながら、NGOの受益者たちは小心な人々でありその資産を危険にさらすとは思えない。そして米国が必要としたのは、民主的に選ばれた大統領を権力の座から取り去るための良質な戦闘部隊だった。
蛇の卵
西部ウクライナは蛇のふ卵場、生まれながらにロシアに対する嫌悪に浸っていたナチ協力者たちの子孫の場なのだ。彼らの父祖たちはドイツのスパイ指揮者ラインハード・ゲーレンの下でネットワークを作った。1945年にドイツが敗北したとき、ゲーレンは米国に対して忠誠を誓いそのネットワークをCIAに引き渡した。彼らは1956年までソヴィエトに対するゲリラ戦を続けたのである。その残虐さは伝説的なほどに有名だったが、それは彼らの命令を完全に受け入れるようにするために人々を恐怖させることを目的としたものだったからである。悪名高いことだが、彼らは、ロシア人に友好的である疑われたウクライナ人を手で絞め殺したのである。
そのある参加者の恐るべき告白はヴォリンでの活動を次のように告げる。「ある夜、我々は84人を絞め殺した。我々は大人たちを絞め殺し、そして幼い子供たちはその脚をつかんで振り回し門柱にその頭をぶつけて潰した。・・・二人のかわいい子供、ステパとオリヤはそれぞれ12歳と14歳だったのだが・・・我々はその幼い方の体を二つに引き裂いて、そしてその母親のジュリアを絞め殺す必要はなかった。彼女はショックで心臓が止まって死んだのだ」、など、など。彼らは何十万ものポーランド人やユダヤ人を殺し、恐ろしいバビ・ヤールの大虐殺すらドイツ人の黙認のもとで彼らの手で行われたのだ。それはある意味で、イスラエルの黙認のもとで為されたファランヘのレバノン人ファシストによるサブラーとシャティーラのパレスチナ人大虐殺に似ている。
これらバンデーラの殺人者たちの子孫は共産主義とソヴィエトとロシア人を嫌悪し、彼らの父祖の行為を敬愛するように育てられた。彼らはウクライナで、徹底したファシストのドゥミトロ・ヤロシュに率いられる右派セクターである親米反政府反乱の先陣部隊を形作った。彼らは戦って死にそして殺す準備ができていた。このような部隊は様々な背景を持つ潜在的な反乱を惹きつける。そのスポークスマンはロシア人からウクライナ・ナショナリストに転向した若いアルテム・スコロパドスキー、大富豪の所有する主流メディアであるコムメルサント‐UA(Kommersant-UA)デイリーのジャーナリストである。サラフィ・ネットワークに参加してカフカスの山中で自爆戦士となる同様の若いロシア人たちがいるが、若い人々は行動を好み、消費社会ではその自己犠牲精神を満足させることができないのだ。これがスラブ・アルカイダ、米国の本性からの同盟者である真のネオナチ襲撃部隊なのである。
そして彼らは、欧州連合への参加を求めロシア主導の関税同盟に加わることに反対するためだけに戦ったのではない。彼らの敵は同時に、ウクライナ在住のロシア人と、ロシア語圏のウクライナ人たちなのだ。この二つの言語の間にある差異はまだ明らかではないものである。1991年の独立以前に、人口の4分の3ほどがロシア語を話すことを好んだ。それ以来、後に続く政府は人々にウクライナ語を話すことを強制するように努めた。ウクライナのネオナチどもにとって、ロシア語を話す者たちは誰であろうと敵なのだ。スコットランドと比較してみればよいだろう。そこでは人々が英語を話しているが、ナショナリストたちが(スコットランドの詩人である)バーンズの言葉を話すように強制したがるとしたら、どうだろうか。
強烈な反共主義と反ロシア主義の戦士である右翼セクター先陣部隊の背後には、より大きな組織が控えているはずである。ティヤグニボク(Tyagnibok)のネオナチ自由(スヴォボダ)党だ。何年か前にティヤグニボクは、ロシア人とユダヤ人に対する戦いを呼び掛けた。いま彼はユダヤ人に関してますます警戒心を向けるようになっている。彼はジョン・フォスター・ダラスと同様に反ロシアであり続ける。ティヤグニボクはヤヌコヴィッチによって大目に見られ励ましを与えられさえした。ヤヌコヴィッチはフランス大統領ジャック・シラクの本から学びたがっていたのだ。シラクはナショナリストのル・ペンと争って大統領選挙の決選投票に勝ったのだが、そうでなければたぶん彼は他のどの反対者にも負けていたかもしれない。その顰(ひそみ)に倣(なら)って、ヤヌコヴィッチはティヤグニボクが大統領選挙の決選投票で打ち破ることのできる敵になるように望んだのだ。【訳注】ジョン・フォスター・ダラスはナチとヒトラーの「産みの親」の一人であり、冷戦開始時に米国の国務長官を務めた。
議会の諸政党(最大の党派は議席の25%を占めるジュリア・ティモシェンコの党、最小のものはボクサーのクリスチコの党で15%)は、総選挙で失った力を取り戻す方法としてその騒動を支持するのかもしれなかった。
ナショナリストとリベラルの連合
この過程で、ナショナリストとリベラルの連合が作られた。この連合は東ヨーロッパでの米国の新政策のトレードマークである。それは2年前にロシアで試みられたが、そこではプーチンの敵どもがこの二つの勢力から成り立っている。一つは親西側の自由主義者たちで、その新たな同盟者はロシアの民族主義ナショナリストだが、穏健派と硬派のネオナチがいる。リベラルたちは戦いはしないだろう。彼らは大衆には受けが悪く、中流クラス以上のユダヤ人、ゲイ、大金持ちとリベラルな評論家たちがそこにいる。ナショナリストたちは、ボルシェヴィキと同様に、下層大衆を扇動することができ戦いをするだろう。これが米国に好まれる反プーチンの混成部隊なのだ。この同盟は実際に、権力奪取のクーデターの試みがプーチンによって潰された後で、モスクワ市議会選挙で20%の得票をした。ウクライナはそれらの次なる成功裏の連帯行動なのだ。
心にとどめてほしい。自由主義者たちは民主主義を支持しなくてもよいのだ。彼らはもし民主主義から自分の望むものを手に入れることができるならその場合にのみそれを支持する。そうでないのなら、彼らは、ちょうど現在のシリアでのようにアルカイダと同盟を結ぶこともできるし、リビアでのようにイスラム過激派と、エジプトでのように軍部と、あるいは現在のロシアやウクライナでのようにネオナチとも手を結ぶことができるのだ。歴史的に見るなら、かつてのナチスは銀行家や金融資本に敵対したがって反ユダヤであったために、リベラルとナチの連合は機能しなかった。この障害は避けることができたのかもしれない。ムッソリーニはユダヤ人に対して友好的であり彼の政府の中に何人かのユダヤ人の閣僚がいた。彼はヒトラーの反ユダヤ主義的な態度に反対して「ユダヤ人は役に立つし友好的だ」と言った。ヒトラーは、もし彼がそれを認めるようなことがあるなら何千人ものユダヤ人が彼の党に入っていただろうと返答した。今日、この問題は存在しない。現在のネオナチはユダヤ人、銀行家、そしてゲイに対して友好的だ。ノルウェーの殺人鬼ブレイヴィクは親ユダヤ的なネオナチの模範的な例である。ウクライナやロシアでのネオナチも全く同様である。
【訳注】実際にはナチとヒトラーの国家もまた大銀行と金融資本に支えられていたのだが。
本来のバンデーラの暴徒たちが邪魔になるあらゆるユダヤ人(およびポーランド人)を殺したのに対して、彼らの今日の後継者たちはユダヤ人からある有効な支援を得ている。ユダヤ起源の大富豪たち(コロモイスキ、ピンチュク、そしてポロシェンコ)は彼らに資金を与え、その一方で有力なユダヤ人リーダーでウクライナ・ユダヤ人組織と共同体協会(the Association of Jewish Organizations and Communities of the Ukraine)の議長であるジョセフ・ジッセルズは彼らを支持し正当化した。イスラエルには大勢のバンデーラ支持者がいる。彼らはいつもバンデーラが反ユダヤ主義者ではなかったと主張するのだ。彼の主治医が(ヒトラーと同様に)ユダヤ人だったからである。ユダヤ人たちは自分たちを標的にしないナチスなら気にもかけないのだ。ロシアのネオナチはタジクの出稼ぎ労働者たちを標的にし、そしてウクライナのネオナチはロシア語を話す人々を標的にしているのである。
革命:その概要
この革命は数行で描かれるに値する。ヤヌコヴィッチはそれほど悪い大統領ではなかった。弱いが分別があった。それでもウクライナは経済的な崖っぷちにまで来てしまった。(これに関しては私の以前の記事で読むことができる。)彼は欧州委員会と同盟を結ぶことでこの状況を乗り切ろうとした。しかし欧州は割くことのできる資金を持っていなかった。次に彼はロシアとの取引を試みた。そしてプーチンは彼に活路を提供し、彼からウクライナがロシア主導の関税同盟に加わるための何を要求することも無かった。これが欧州と米国の暴力的な反応の引き金を引いたのだ。彼らがそのことがロシアを強化することを恐れたのである。
人々は彼の名を縮めてヤヌークと呼ぶが、彼はほとんど友人を持たない。強力なウクライナの富豪たちは彼に魅力を感じなかった。日常的な理由はともかく、彼らはヤヌークの息子の盗癖を嫌っていた。息子は他の者のビジネスを横取りするのが常だったのだ。だから彼らにも一理あったのかもしれない。ヤヌークの息子のビジネスを手に入れる不当なやり方が災厄を招いたのだと、ベラルーシの勇猛な指導者ルカシェンコは語ったのである。
ヤヌークに投票したのはウクライナのロシア語を話す人々なのだが(そして彼らはスコットランドで英語を話す人々と同様に多数派なのだが)、彼が、ロシア語を話しロシア語を子供に教える権利を与えなかったことに失望した。ジュリア・ティモシェンコの支持者はそのリーダーを投獄したことで彼を嫌った。(彼女は十分にそれに値した。彼女は殺し屋を雇い、ウクライナ国家の資金を以前の首相と共謀して盗み、ウクライナの消費者を犠牲にしてガスプロムと不正な取引を行った、などなど。)過激ナショナリストたちはロシア語を根絶しなかったことで彼を嫌った。
選挙で選ばれた大統領への米国に支援された攻撃はジーン・シャープの教えにぴったりと従っていた。(1)中心の広場を占拠し大がかりな座り込みを組織する、(2)暴力的排除の危険性を限りなく叫ぶ、(3)もし当局者たちが何もしなければ流血の騒ぎを挑発し、(4)残虐な殺人を叫ぶ、(5)当局者は恐れて仰天し、(6)退去し、(7)新しい権力が引き継ぐ。
この計画で最も重要な要素はずるがしこいシャープによって声に出されたことが無い。そしてそれが、(彼の本を読んだはずの)ウォールストリート占拠運動が望んだ結果を得ることに失敗した原因なのだ。あなた方は言論の親分衆(the Masters of Discourse)すなわち西側主要メディアをあなたの側につけなければならない。そうしないと政府は、占拠運動やその他の同様な運動がそうされたようにあなた方を押しつぶすだろう。しかしここでは、西側メディアは十分に反乱者の側にいた。これらのことが米国大使館によって組織されていたからである。
【訳注】the Masters of Discourseはイズラエル・シャミールの造語だが、
世界の言論のあり方を制御し世論を支配する絶大な権力構造を指す。
適切な訳語が見つからないため、とりあえず「言論の親分衆」と書い ておく。
最初、彼らは独立広場(つまり「マイダン広場」)での座り込みに集まり、彼らが知っている一部の者たちは、NGOネットワークを通してのUSAID援助金の受領者であり、またウクライナの専門家アンドレイ・ヴァジラの書いたところによると、亡命中の大富豪コロシュコヴスキ、右派セクターのネオナチ、コモン・コース過激派たちのネットワークもあった。平和的な集会が芸術家たちによって派手に演出され、食べ物と飲み物が自由に振舞われ、自由なセックスが奨励された。それは首都中心部でのカーニバルであり、知っている限りのどこの街でもそうであるだろうが、群衆を魅惑し始めた。このカーニバルは大富豪たちと米国大使館によって支払われたのだ。
しかしカーニバルが永遠に続くことはできなかった。先ほどの(2)のように、暴力的な排除のうわさが広まったのだ。人々はおびえて去って行き始めた。活動家たちの小さな群衆だけが広場に残った。先ほどの(3)のように、政府の内部にいる西側のエージェント、セルゲイ・レボチュキンによって挑発が行われた。彼は辞任の手紙を書き、それを投函してから、警察官たちに座り込みを暴力的に排除するように命令した。警官隊は押し入って活動家たちを追い散らした。誰も殺されなかったし、誰もひどいけがを負わなかった。今日、100人に上る死者を出した後では、こんな衝突を語ることすら滑稽である。しかし反対派はこのとき残虐な殺人を叫んだ。世界のメディアは、言論の親分衆の手にある強力な道具なのだが、「ヤヌコヴィッチが子供たちを殺した」と非難したのだ。欧州と米国は慌てて制裁を適用し、外国の外交官たちが入り込んで、全員が平和的なデモを保護したいと主張した。その一方で同時にマイデン広場に、武装ガンマンたちや右派セクターの戦闘員を伴う群衆が膨れ上がっていったのである。
我々はジーン・シャープについて触れたが、マイダンにはこれに加わる他の影響があった。それはガイ・ディボードと彼の Society of Spectacleという発想であった。それは現実のものではないのだが、しかしそれは、その先例である1991年8月のモスクワ「クーデター」のように、よくできた見せかけだった。ヤヌコヴィッチはマイデンの抵抗者たちを増強させるためのあらゆることをやった。彼は群衆を追い散らすために武装警官隊を送り込み、その半分の作業しかできていないのに警官隊を呼び戻した。そして彼はそれを毎日続けたのだ。こんなやりかたをしたら、どんなにおとなしい犬でも噛みつくことだろう。
このキエフでの出来事の、スペクタクルのような現実感の無さは、帝国の戦争屋の来訪によって強調された。ネオコンの哲学者、ベルナルド‐アンリ・ラヴィである。彼はマイデンに、まるでリビアかボスニアに来たようにやって来て、人権と制裁の脅しと爆撃を主張したのだ。彼が来るといつでも、その後に戦争がついてくる。私は彼が訪問する予定のいかなる国からも離れていたいと願っている。
このファシズム革命の最初の犠牲者は、レーニンの記念碑だった。彼らはいかなる形であれ共産主義を、そして世界大戦の記念碑を嫌悪しているのだ。この革命戦士たちが敗者の側、ナチス・ドイツの側に同調しているからである。
ヤヌークとその補佐官たちが、自分たちが何をしているのかを、いったいどの程度にまで理解していたのかは、歴史が語ってくれるだろう。いずれにせよ彼は、武器を持たない警察力による役立たずの取り締まりでマイデンの炎を燃え上がらせた。マイダンのネオナチは警官隊に対して狙撃手を用い、何十人もの人々が殺された。しかし大統領オバマはヤヌークに手を引くように呼び掛け、そして彼は手を引いた。再び行われた狙撃の後で、彼は警官隊を再び導入した。ある欧州の外交官は彼にハーグの裁判で脅迫した。そして彼は警官隊を呼び戻した。こんな状況ではどんな政府でも機能できなかっただろう。
結局のところ、彼は降参し、姿をくらましてどこか知らないところに去って行った。反乱者は権力を握り、ロシア語を禁止し、そしてキエフとルヴォフを荒らし始めた。いま、キエフの温厚な人々の生活は地獄の生活へと変化している。日常的な泥棒と暴力と殺人に取り囲まれて。勝利者たちは、ウクライナ南東部のロシア語圏地域に対する軍事作戦を準備している。革命のスペクタクルは本当に血まみれのものなりうるのだ。
ウクライナ人たちの一部は、出獄したばかりのジュリア・ティモシェンコが反乱を抑えてくれるだろうと期待している。他の人々はプーチン大統領がウクライナの出来事を心に留めてくれるだろうと期待する。ありがたいことに、ロシアでのオリンピックが終了する。このスペクタクルは、あのデブ女が歌うまで終わることが無いだろう。彼女は歌うだろうが、その歌は見られ聞かれ続けることになる。
【訳注】ここにある「デブ女」はネオコン・シオニストの米国国務省報道官ヴィクトリア・”Fuck EU”ヌーランドを指すものと思われる。
ヌーランドの歌声は、次にはベネズエラで聞かれることになるのだろうか。たぶんそういうことだろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2560:140301〕
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