砂川事件の最高裁判決が集団自衛権の根拠とは(?)
- 2014年 4月 13日
- 交流の広場
- 9条改憲阻止の会
2014年4月12日 連帯・共同ニュース第326号
■ 何を血迷ったか、政府筋は集団自衛権行使容認の根拠として、1959年の砂川事件の最高裁判決を持ちだしてきた。僕らはこの間、砂川事件の一審判決(いわゆる伊達判決)の見直しと再評価をやってきたのだが、この一審判決を覆した最高裁判決を現今の集団自衛権行使容認の根拠にするのを聞いて正直おどろいた。無謀というか、これは目茶というものであるが、安倍政権の閣僚たちの政治理念の曖昧さを露呈させるものだ。砂川事件とは当時の全学連の学生たちが立川基地のフェンスを乗り越えて刑事特別法(刑特法)で裁かれたものである。基地のフェンスをこえるなど、普通なら軽犯罪法の対象となる事件も基地侵入として特別の重く刑罰の対象にされるのが刑特法だが、この裁判で伊達裁判長は無罪の判決を出した。そもそも、アメリカ駐留軍が憲法に違反する存在であるからというものだった。憲法とアメリカ駐留軍は相容れないのだ。
■ この判決に驚いたアメリカの駐日大使のマッカアサー(D・マッカアサーの甥)は田中耕太郎最高裁裁判長と密会し、この裁判の跳躍上告(高裁を飛び越えて最高裁に上告すること)を進めた。そして最高裁において田中耕太郎は一審判決(伊達判決)を破棄し、有罪判決をだした。この裁判は第一に日本の裁判にアメリカが直接介入し、最高裁長がその政治的意向を受けて急いで判決をだすという裁判法に反するものであること、司法の独立はおろか、三権分立の精神を踏みにじるものであり、ある意味でこの行為自体が憲法違反である。第二に最高裁判決は憲法9条が固有の自衛権を認めているとはした。それには現在の集団自衛権については含まれていなかった。だから、その後の歴代政府の自衛権議論では集団自衛権は含まれないし、それは認められないとしてきた。それが歴史だ。集団自衛権とは、例えばアメリカが自衛権の行使としてアフガニスタンやイラクでする戦争を、イギリスが参加する場合の根拠とするものだ。アメリカの自衛権行使に集団で自衛するという立場で加わるものだ。イギリスがアメリカの自衛戦争(という名の侵略戦争)に加わる根拠になるもので、アメリカのベトナム戦争に韓国やオストラリアが派兵するようなものだ。多国籍軍の一員としてアメリカの戦争に参加することである。
■ 戦後の日本は自衛隊が自衛戦争の名において他国に出て行くことを禁じてきた。現在の戦争は自衛の名においてあり、集団自衛はその名目によってはウクライナまで派兵を可能にする。これは積極的平和主義という名の戦争への具体的な道である。消極的平和主義、一国的平和主義で結構である。ベトナム戦争からアフガニスタン戦争・イラク戦争へと軍隊の海外派兵の道は崩されてきた。だがまだ、おおっぴらな海外派兵までは踏み出せないでいた。ここを一気に超えるのが集団自衛権行使容認である。僕らはこれを認めてはならないのだ。 (文責:三上治)
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