文学渉猟:芸術は神的なものを、情熱によって直観的なものにする
- 2014年 4月 22日
- カルチャー
- 合澤 清
書評:サマセット・モーム作『月と六ペンス』 中野好夫訳(新潮文庫)590円
サマセット・モームといえば、かつて大学受験英語の代表作家であった。その苦い思い出からか、私は長いことモームを読もうという意欲が起きなかった。そのうえ、以前に読んだ英国文学(もちろん、シェイクスピアやフィールディング、サッカレーなどは別格なのだが)から受ける印象が、なんとなく鬱陶しくて、そのことも二の足を踏ませる要因の一つになっていた。
今回偶然のことから、モームのこの有名な本を手に取り読み始めた。初めはやはりオスカー・ワイルドやバーナード・ショウから受けたような、現代イギリス文学に特有な(と少なくとも私には思える)取り澄ました雰囲気のけだるさを感じていたが、途中から話の運び方のうまさに乗せられて、最後まで読み耽ってしまった。
かなり人口に膾炙した小説なので、いまさらプロットでもないだろうが、まだ知らないという方のために粗筋だけを述べておく。
物語は、後期印象派を代表するフランスの画家ポール・ゴーギャンをモデルに、彼をイギリス人画家にして、同時代の印象派画家のゴッホや、セザンヌなどの人物像をも巧みに取り入れて、ストリックランドという独特の個性を持った人物を創造、その波乱万丈の生涯を友人作家の目で追体験的に辿ったものである。
作家が最初に知り合ったストリックランドは、まことに平凡な証券マンで、その夫人をして、面白味の全くない、無趣味な亭主と紹介される。ところが突如一転する。彼は家族(妻と二人の子供)を捨ててパリに出奔するのである。夫人に懇願されて、彼を説得しにパリに出向いた作家に対して彼はこう言い放つ、「絵を描きたいから家出したのだ」と。
作家はまことに取り付く島はないという態で、ロンドンへ追い返される。
それから5年後、パリでストリックランドと再開した作家は、共通の友人、人が好くて世話好きなオランダ人で、鑑識眼は図抜けてはいるが、自身は挿絵的な平凡な絵しか描けない画家のダーク・ストルーヴを間に挟んで、ある一大事件に巻き込まれることになる。それは、ストリックランドがこの人の好いダークの愛妻を奪った挙句、彼女を自殺に追い込んでしまうのである。その結果、ストリックランドはパリを離れ、浮浪者のようにマルセイユをさまよった挙句、彼の終の住処となるタヒチへと漂着する。
パリで彼と別れてから15年の歳月が流れ、作家は仕事のついでにタヒチへ立ち寄る。その時にはストリックランドはすでにこの世にいない(9年前に死亡していた)のであるが、その名声はいよいよ高まっている。そして作家は、彼の晩年をこの島の住民たちから聞かされることになる。
この島へやってきたストリックランドは、相変わらず気ままな生き方、スタンスを崩そうとしない。適当に働き、当面の生活費を稼いでは、森の中に消えてしまう。この繰り返しが何年か続くが、親切な島の女(食堂の女主人)の紹介で、彼女の姪で若い島の女(アタ)を娶り、森の奥のアタの持家へと移り住む。そこで彼は絵を描くことに全力を集中するのであるが、不幸なことに癩病に侵され命を失うことになる。彼の最後の作品は、棲家の小屋一面に描かれた壁画であったが、その傑作は残念ながら彼の遺言によってアタの手で小屋ごと焼却されることになる。実は彼は死の一年前から盲目だったということもわかる。描かれた絵は、心眼によるもので、彼の内面性の表現であったのだ。
さまざまな読後感がよぎった。先ず、小説として非常によくできていて、飽きさせない。ストーリーの運びは、むしろうますぎるともいえるほど巧みであり、随所に仕掛けが施され、次々に山越えしていくうちに最後の感激的な大団円まで連れて行かれることになる。訳者の中野好夫が解説の中で、モームを典型的な「通俗作家」だと呼んでいることもうなずける。安心して楽しめるからだ。
しかしまた、すぐに思い浮かんだのは、バルザックの小説『知られざる傑作』に描かれた老画家(たぶんティチアーノがモデルだったように思うが)の話である。この小説でも、一つの作品(女性像)を描くのに苦心惨憺した画家が、最後に到達した境地は心象的な抽象画(やはり自己の内面の表現)であった。「模写ではなく表現」を追求した結果である。
また、同様な話を聞いたことがある。それは終生に渡って「富士山」の写真にこだわった(お名前は失念したが)写真家の話である。彼は、あらゆる角度から富士山の写真を撮り続けたそうであるが、それでもどうしても満足できなかったという。自分の写真には富士山の形(外面)は写っているが、「これこそ富士山だ」といえるものは撮れていないというのがその理由である。そして散々苦労した挙句に彼が到達した画像もやはりある種の抽象的なものだったという話だった。
ヘーゲルの『精神現象学』に次のような挿話があったと記憶している。たぶん、ドイツロマン派詩人ノヴァーリスの『青い花』からの話だったと思う。ある冒険家の青年が、いまだ人の目に触れたことのない(その顔を拝むことで世界の真理に触れることができるといわれる)神像を探しに旅に出て、文字通り命がけの冒険と苦労を重ねた結果やっと砂漠の果てにそれを発見する。それは小さな祠の中に、顔面をベールで覆われてあった。青年(実際にはすでにかなりの年月がたっている)は、勇んでその覆われたベールをとり払い、神像の尊い顔を覗き込んだ途端、おもわず「アッ!」と声を上げる。彼がそこに見たのは、何と彼自身の顔に他ならなかったのである。
ここにはヘーゲルの「絶対知」の思想がよくあらわされている。「他在において自己自身のもとにあること」である。
たとえば我々がある事柄(それは特定の出来事でも、特定の歴史的事件でもよいのだが)について何かを語るとき、その事柄「について」様々に語ることはあっても、肝心の事柄「を」語ることがないことに気付かされ「ハッ」とする。事柄の周囲をぐるぐる回ってみても、ついには事柄そのものに到達しえないということである。
モーム描くところのストリックランドも、バルザックの老画家も、富士山に魅せられた写真家も、このことに気づき、悩みに悩んだのである。どうすれば我々は対象「について」語るのではなく、対象そのものを語る―つまり、対象に自己を語らせることができるのか。彼らの得た解答は、「対象を写し取るのではなく、その心を表現すること」に他ならなかった。まさに、自他一体の境地における表現である。芸術とはこの自他一体の境地(精神)を、直観という形式において表現するものというのが、ヘーゲルの芸術観である。
少しく横道にそれてしまったようである。
ストリックランドは突然の激情にとらわれてしまう。それは自分をも、周囲の人々をも破滅させずにはおかない種類のものだ。
≪彼の魂の中に、なにかおそろしく根強い創造本能とでもいうようなものがあり、それがいろんな生活事情から隠れていたが、その間に、ちょうどあの癌が、組織の中で根を張ってくるように、容赦なく成長し、ついには彼の全生命を支配するようになり、否応なしに行動に走らせてしまったのではないか?≫≪だが、考えてみると、権勢と富を誇る男たちの心を捉えて、執拗に追い求め、やがては力尽きた彼らを、地上の喜びも女の愛も打ち捨てて、ひたすら僧院の苦行生活へと追い立ててゆく、あの神の愛などというものも、結局はこれと同じなのではないか。≫≪ストリックランドには、狂信家の直截さと、使徒の激情とがあった。≫
そのことは理解しうる。しかし、―プラクティッシュな頭の作家は反問する―≪果たして彼を捉えている激情が、その作品によって正当化されうるものかどうか≫と。
ここには芸術的情熱と「身過ぎ世過ぎ」の実生活との深刻なギャップがある。
このことについての、作家とストリックランドの次の会話は興味深い。
≪「名声なんて要らないとおっしゃるんですか?芸術家だからといって、たいていの場合、無関心ではいられなかったはずだと思いますがね」
「子供だよ、それは。ねえ、君、一人一人の意見をさえ、てんで問題にしないものが、なんで群集の意見なんてものを気にするわけがある?」…
「でも、あなたの知らない人、会ったこともない人、そうした人々が、あなたの作品から、微妙な、しかも激しい感動を受ける、そういう場合を考えると、やはりまんざらでない気持ちがするんじゃありませんか?人間というものは、力を好む動物ですよ。人間の魂を動かして、あるいは憐憫に、あるいは恐怖におののかせる、これぐらいすばらしい力の働きというものは、ちょっと想像できないと思いますがねぇ」
「やれやれメロドラマだ」
「じゃ、なぜ巧く描けたとか、拙かったとか、気になさるんです?」
「気になんかしてやしない。ただ僕のこの目に見えるもの、それが描きたい、それだけだ」
「たとえば僕が、無人島かなにかにいてですよ、せっかく書いても、僕のほかには誰一人見てくれるものはないとわかっていてですね、それで果たして書けるもんでしょうか?」
ストリックランドは、長い間黙って、答えなかった。だが、その眼は、なにか彼の心をかきたてて、うっとりさせる幻でも見ているかのように、異様な輝きを帯びていた。≫
次の二つの事例から、作家が得た結論を忖度する事が出来る。
一つは、聖トマス病院付属医学校の優等生エイブラハム(作家のかつての級友)が、自分の将来をなげうって突然アレキサンドリア港の検疫医に転身したことである。
≪…本当に自分のしたいことをするということ、自分自身に満足し、自分でもいちばん幸福だと思う生活をおくること、それが果たして一生を台なしにすることだろうか?それとも一万ポンドの年収と美人の細君とを持ち、一流の外科医になること、それが成功なのだろうか?思うにそれは、彼が果たして人生の意味をなんと考えるか、それらによって決まるのではあるまいか?≫
もう一つは、ストリックランドの死の直後に来合わせた医者の回想だ。
≪それはまったく言語を絶した驚異と神秘だった。彼は息を呑んだ。自分にもわからない、むろん分析などできるはずもないある異様な感動で、胸いっぱいになってしまったのだ。まさに世界の創造を目の当たり見たものが感じたであろうような、不思議な畏怖と歓喜とを、彼は感じた。素晴らしい、官能的な、そして情熱的な絵であった。そのくせそこには、彼を思わずぞっとさせるような、恐ろしい戦慄があった。いわば自然の隠れた深淵に潜りこみ、迷うことなく、そこに、美しい、だが同時に、恐ろしい秘密を摑み出した男の作品であった。さらに言えば、それは人間として知ることを許されない、ある神秘な秘密を知ってしまった人間の作品であった。何か原始的な、そして恐怖に充ちたものがあった。もはや人間のものではなかった。彼は、なんとなく漠然と、悪魔の呪術とでもいったものを思い出していた。美しい、しかも淫らな美しさだった。
「ああ、これこそ天才だ」
胸の底から絞り出すように呟いた言葉だった。≫
これ以上絮言を弄する必要はないだろうが、私の印象はモームと少し違う。モームは、ここでは芸術的情熱の孤高に軍配を上げているように思うが、そうであろうか。ストリックランドは俗世間と縁を切るという形で、世俗と関係を保ったのではないだろうか。そしてモームも、ストリックランドがタヒチで「同情」を得る環境をえたと書くことで実際にはそのことを認めている。そうでないと、ストリックランドの放浪は意味がないだろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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