あなたの強い決意は今もこの胸に…山田恭嘽さんを追悼する
- 2014年 7月 10日
- 交流の広場
- 9条改憲阻止の会
2014年7月10日 連帯・共同ニュース第331号
あなたの強い決意は今もこの胸に…山田恭嘽さんを追悼する
■あれは2011年の3月の半ばでしたね。あなたの強い決意を聞かされたのは。9条改憲阻止の会の事務所でした。僕らは東日本大震災に対する救援活動をはじめていたのですが、あなたは福島第一原発の暴発を阻止する決死隊を組織すべきであると語り、僕らに参加を促したのでした。3・11の直後の12日から14日に福島第一原発の1号機から4号機は次々と爆発に見舞われたのですが、当時はまだ、これから本格的な爆発が起こるかもしれないと思われていました。第1号機や第2号機は既にメルトダウンしていたのでしようが、いつ本格的な原子炉の爆発が起こるかもしれない危機感が広がってもいました。あなたはこの危機に対して、かつて何らかの形で原発の設計や建設などに携わっていた技術者を中心にその阻止にあたる部隊の結成を提起したのです。福島原発暴発阻止行動隊を経て福島原発行動隊として現在に至っています。
■僕が山田さんにはじめて会ったのは、多分1961年の政治的暴力阻止法(政暴法)の反対闘争でした。国会前のデモの現場だったように思います。その後もお会いしてはいたのですが、2006年に「9条改憲阻止の会」ための再会には感慨深いものがありました。これが「俺たちの最後の闘争になるし。今回は負けるわけにはいかない」というのがあなたの思いでしたし、これは僕も同じでした。その後、あなたは体調を崩してお会いする機会も少なくなっていたのですが、3・11と福島原発事故は僕らを引き合わせました。あなたはどこかで自分の余命を意識していたのか強い決意で事態に臨もうとしていましたね。これは今も僕の胸に強く残っています。
■「原発の暴発」阻止、あるいは暴発に対して被曝覚悟はいうまでもなく、命がけで臨むとというのがあなたの提起でした。もし暴発したら誰が対応するのか。東電の面々に期待することはできません。そうなれば自衛隊しか頭に浮かばないのですが、僕は自衛隊にそれを要求してはいけないと考えていました。「わが国民の生命の脅かせれる危機に、つまりは侵略に対応する」のが自衛隊とされているのですが、僕はその事態になれば軍隊としての自衛隊がその機能を果たせないと見てきました。そうした時は自分が武器を持って対応する、これが僕の考えでした。自衛のための軍隊に懐疑的な考えといざという時の自分の対応は関連しているのです。福島第一原発の暴発は「国民の生命の安全」に他国の侵略に準ずるものだと思いました。僕は自衛隊に頼らず自ら行動することを考えましたが、あなたの提起はこちらに届くものでした。山田さん、まだこれは終ってはいません。これからも現れる可能性のあることです。天国で見守っていて下さい。
■「山田恭嘽さんを偲ぶ会」7月29日(火)16時30分~19時30分。場所:憲政記念館(地下鉄、丸の内線・千代田線2番出口7分)。会費8000円。主催:福島原発行動隊。 (三上治)
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