ちょースゴすぎる日本の原発立地
- 2014年 8月 25日
- 評論・紹介・意見
- ブルマン!だよね
カリフォルニアで8月24日M6.1の地震が起き、90人ほどが負傷したと報道されている。これを聞いてただ漠然と「向こうもよく地震あるよね」、程度しか思わないならそれもまた視野が狭いし想像力が貧困といわざるを得ないです。
カリフォルニアは面積でいうと日本より北海道分くらい広いが、人口は37百万人でざっくり日本の1/3。火山、地震、津波、洪水など日本と自然環境はよく似ている。
あちらにもご多分にもれず原発あるが稼働しているのは5基のみ。日本はそれに対して50基存在している。単純人口比だけでいっても日本は彼の地の30倍の原発密度。これに面積比、もっというと居住可能面積比までいけば、50-60倍には軽くなるでしょう。
色々な経緯はあるだろうが、同じような自然環境にある地域がこの程度の原発密度であるのは、やはりそういった自然環境の厳しさを考慮したものと思われます。カリフォルニアを日本に当てはめれば1基で等価ということになりませんか。
もう少し視野を広げて、原発立国といわれるフランスはどうだろう。面積は日本の70%増しで人口半分、地震はめったにないところで、60基ですよ。地震リスクは無視して面積人口比で日本に当てはめたら20基くらいなもんでしょう。
逆に、これ程までの原発の高密度実装をやってのけたのは日本のモノづくりお家芸の一つの発露かもしれないが、感心している場合ではないのはいうまでもない。世界的に見れば極めつきで異常なことなのです。
私もある時までは、原発への関心は著しく低かった。かつて広瀬隆氏の「東京に原発を」を目にして、一理あるなと思った程度のもの。それが「おやこれでいいのかな」と感じ始めるきっかけとなったのは、2007年の新潟中越沖地震での柏崎刈羽原発の緊急停止。それでもその当初は、設計基準を2倍以上上回る振動に対しても何とか持ちこたえたから、さすが日本の工業技術、余裕度をしっかり持った設計だと妙に納得をしていたのだが、そのうち点検をして再稼働するという話になってきて、それはないだろうと疑問を持つようになった。というのも、同じ余裕度の発想からすればそんな基準値を2倍も超えた振動を受けたら、通常の機器であれば廃棄にするもの。車でいったら廃車です。そうでないなら、完全バラシして、一つ一つの構成部分を全数検査してストレスの掛かった部分は新品と交換して再組み立てが常道。それをただ点検しっかりやったから再稼働しましょうって、わが耳を疑いました。
それから活断層が日本全国到る所にあるということも次第に明らかになってきましたから、大変不謹慎で不穏当な表現ですが、当時言われていた「ならず者国家」どころではない国際社会に対する「原発自爆テロ国家」ではないかと危惧するようになっていきました。よく柏崎刈羽を視察したIAEAもその危険性に対して警鐘を鳴らさなかったと不思議でした。これも木を見て森を見ず、なのでしょうか。
そうしてついに福島に至ってしまいました。直下型地震、巨大地震、火山爆発、ヒューマンエラー、加えて当局の安直な意識構造。ちょっと収集がつきかねる状況に来ています。
個々の事案に勿論こだわっていかなくてはならないでしょうけれども、大域的な見方からすれば、原発再稼働はどんなにひいき目に見積もっても、極めて限定的なものにならざるを得ないのが容易に見えてくるでしょう。カリフォルニアにならえば、1基だけ再稼働ですか。Only University of Kyoto? No, kidding!(laugh)
あともう少しだけ。いま日本の話をしてきましたが、お隣の中国はこれから290基近くそれも沿岸部に集中して建設するそうです。これが将来どういう事態をもたらすかはご想像にお任せしますが、これも視野を広くとることをいやでも要請しているように見えてくるのは私一人でしょうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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