テント日誌9月28日…今日は昨日と打って変わって/9月29日…川内原発を見あげる浜辺に立つテントから
- 2014年 9月 30日
- 交流の広場
経産省前テントひろば1114日 商業用原発375日
今日は昨日と打って変わって雲ひとつない青空のさわやかな天気
昨日の御岳山噴火で突如口をついて出てきた木曽節だが出だしだけで後が続かない。乱さんに聞いたら丁寧に教えてくれた。そして歌に出てくる「なかのりさん」の事も解説してくれ、この歌が一種の労働歌であったということ、昔は労働にも余裕があった様だが、今はそれが無くなったのではと言う。 御岳山噴火も予知できなかったのだから鹿児島の火山も同じと心配になる。 これで推進派の人たちが考え直してくれるだろうか? 昼間の人手不足を心配して来てくださったOさんA子さんTさんYさんと私、女性陣でテントを守る。と言っても今日は特別な事は無い平穏な日だったので読書をしたりしてゆったりと過ごせた。 夕方第2テントのHさんが新しい花や土を持ってやって来てこまめに手入れをしていた。
驚いたのは片隅に咲いていた黄色い花、スイカだと言う。 夏に食べたスイカの種が飛んで来て芽を出したそうだ。 右翼に汚いテントと罵られるが、花鉢が置かれていることで少し救われている様な気がします。 (I・K)
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「川内原発再稼働阻止現地行動」報告
「川内原発再稼働を許さない共同行動」の支援を受け、27日、28日に薩摩川内市と鹿児島市を訪れて現地行動に参加したので簡単に報告する。 ★27日夕方「再稼働阻止全国ネットワーク全国相談会」 薩摩川内、鹿児島の方々とともに志賀・伊方・大間など原発現地の方と東京から駆けつけた我々合計120名で、如何に川内原発再稼働を止めるかを話し合った。鎌田慧さん、広瀬隆さんも白熱論議に加わり、薩摩川内市やいちき串木野市で行われる住民説明会や当面の薩摩川内市議会の予想スケジュールについての現地報告を受け、次の大きな行動を10月26日を軸に実施することを決定した。会議中の御岳山噴火の報は、桜島の噴煙とともに、川内原発の再稼働を目論む人間を自然が嘲笑っているように感じさせた。
なお、前日に川内原発そばの海岸に設立された川内原発テントのテント宣言も披露された。また、この相談会の模様は西日本新聞9月28日朝刊にカラー写真とともに掲載された。 ★28日午前「川内ゲート前抗議行動」、「脱原発テント6号店見学」 早朝に薩摩川内のホテルから貸切バス2台で川内原発ゲート前に移動、ものものしい警備をものともせず、ゲート前に約200名が集まり、川内・鹿児島・東京の主催5団体や原発現地9団体のアピールとともに「川内原発、再稼働反対」のシュプレヒコールをあげ、8団体の抗議・申入書を九電職員に手交した。 終了後、急いでバスに飛び乗って、ゲート前から川内原発を囲う道路を通って、「浜の茶屋」の奥の原発が見える海岸に建てられた7張りのテントを見学した。大潮が来ても安全な海岸に建てられたテントは、経産省前の車の騒音でなく、自然の海と風の音に包まれている。これから、脱原発を訴える人々のテント村として川内原発再稼働阻止に貢献するであろう。 ★28日午後「ストップ川内原発再稼働!9.28全国集会」 バス内で一眠りしている間に鹿児島市天文館公園に到着、30度近くの暑いさ中、阻止ネットのリレーアクションで集められた50枚の寄せ書き横断幕を集会舞台前に掲示した。1時には、全九州、全国から7500名が集まり、向原さん、鎌田慧さん、菅直人元首相、国会議員、県会議員、市会議員、自治会、などなどのアピールを聞き、川内原発廃炉を確認した。沢山のメディアのテレビカメラやスティルカメラに追われながらにぎやかな通りを沢山の人々と共にゆっくりと歩いた。「安全、安い、電気が足りない」の大嘘が誰の眼にも明らかになった今、必至で再稼働を目論んでいる推進側が非常に厳しい状況に置かれていることを実感した。 (K.M) –
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今回の集会にビキニ環礁の核実験で被爆した『第五福竜丸』元船員の大石又七さんが登場したことは脱原発運動の量的、あるいは質的な意味での運動の広がりを象徴することだった。各地域で運動の広がりを意味する集会やデモは展開されている。それを現わす告知のビラはテントの内でどんどん多くなることでも示されているが、川内現地の闘いの発展と呼応して行くだろう。(三上治)
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経産省前テントひろば1115日 商業用原発376日
満点の星空を眺め海亀の帰る日を想像する。久見崎海岸にて ―川内原発を見あげる浜辺に立つテントからー
どこまでも蒼い海は静かである。暮れなずむ海の光景がつい先程まで見られたのだが、今は満天の空に星を見ている。こんなに近くで星を観たのはいつのことだったろうか。北斗七星の事を教えてくれた兄も旅立って行った。そんな風に夜の空を見ているこの久見崎海岸に川内原発再稼動を監視し、その動きの抗議の意志表示をするテントが立った。このテントは九州博多の九電前テントや経産省前テント、あるいは大飯の丸山公園のテントとは違って浜辺にできた。この砂浜の夜にはもう都会では見られなくなった星を数え上げられのだが、それだけに困難も伴う。ここのまま続くかもしれないが、いろいろの展開があるかも知れない。しかし、夜には原発のからのサーチライトも見えるこの場所に立つこのテントが僕らの意思表示の新しい展開として生まれたことは確かであり、原発再稼動に対峙して多くの人がこの浜に馳せ参ずることもあると思う。
この久見崎海岸と呼ばれる浜辺は右手には川内湾を挟んでの九電火力発電所があり、左手の方に川内原発の1号機と2号機がある。浜からは青く色塗られた1号機が見える。浜の背の部分は保安林と呼ばれる松主体の雑木林である。目の前には砂浜が広がるが九電の二つの発電所に囲まれて今は何処か荒れ果てた雰囲気もある。目の前には甑島が見えるがかつてはきれいな浜辺だったように思う。今は、流木の類が人の足を運ばなくなったことを象徴している。むかし、椎名誠が「怪しい探検隊」を引き連れて焚き火をしていたことを思い出したのだが、この流木の類は産卵のために海亀が浜に上がることを拒んでいるそうだ。原発の存在が有形無形の形で海亀の産卵に影響を与えていることはいうまでもない。海亀が産卵する綺麗な海が、原発で汚され、それを拒んできたのだ。産卵のために海亀がやってくるまで季節的に時間がある。流木は燃料として使い、浜辺をきれいにすることは海亀が安心して帰れるに役だつに違いない。
この砂浜にテントを張り、風に旗をなびかせながら監視と意志表示を続けることは海亀たちにささやかに贈り物をすることだけなのか。このことはまだ分からないことに属するかもしれない。だが、この小さなことのなかに僕らは人類史の根源的な課題をみているともいえなくはない。原発という存在が何を生み、何を失なわせてきたかたを、その生成史において見るとき、そしてその未来を考える時に僕らの胸に去来するものだ。海亀は原発もそれを生みだした人間のことも知らない。だが、彼らはその結果するものを知り行動にあらわす。僕らは原発が生み出すものと結果するものとを認識し、次の行動に結果させていくだけだが、それだってなかなか怪しいことになってきていいる。人間はかつて亀が察知していたことを我がこととして察知する能力もあった。それは人間が多くの物を得る中で失って行ったものでもある。原発という存在が僕らに投げかけているものが人類の究極的問題であるとすれば、海亀の声ならぬ声と行動はそれに応ええるものかもしれない。これは、僕らの想像力の問題かもしてないがそこまでアンテナを延していいことなのだ。そうだ、すこしでもきれいになった砂浜に帰ってきた亀たちに美味しい焼酎でものませてやりたい。
既に前日の報告でもあったように27日(土)「川内原発再稼動阻止ネットワーク全国相談会」が、28日(日)『ストップ川内原発再稼動!9・28全国集会』が開かれた。28日の集会は鹿児島天文館公園の約7600名が集まり、鹿児島中央駅までデモ行進をした。再稼動阻止に向けた動きは今後されに展開されて行くが、同時に9月27日(土)には「川内原発再稼動阻止!テント宣言』発せられ、テントが設立された。これは非暴力非服従の立場に立ち、緒個人の自力更生(自立と責任)を原則として維持される。場所の砂浜は国有地であるが、テント設置は何ら問題のないものである。俗にいう非合法的な存在ではない。誰でも自由に使える場所であり、自由な表現の可能なところです。今後の維持や展開は分からないところもあるが、僕は経産省前テントの一人としては連帯して行きたいと思っている。テントは設立したメンバーの責任において存在し、維持されて行くだろうが、遠く離れていてもこころはそこにあるようにありたいと思っている。機会を見て、現地におもむきたいとも思っている。テント場所、そこへの行き方などは随時お知らせしたい。(三上治)
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<テントからのお知らせ>
●9月30日(火)福島事故の責任を問う 9・30院内集会東京地検包囲 12時~13時30分:院内集会(参院会館講堂) 14時~14時40分:東京地検包囲行動 主催:福島原発告訴団
●10月1日(水) 第13回東電本店合同抗議 19時~20時 東電前
●10月14日(火)10時30分 テント裁判第8回口頭弁論 東京地裁大法廷
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