『マルクス生誕200年祭のちきゅう規模での開催を!』
- 2014年 10月 11日
- 交流の広場
- 武田 明
僭越ではありますが…
マルクスを愛する全ての護憲派国民へ
そして、マルクスを諦めきれない全ての世界人民へ
3年後に迫ったマルクス生誕200年祭への準備を呼びかけたいと思います。
まずは、こちらをご覧ください。
まだ作成し始めたばかりですが、今後充実させていきたいと考えています。
マルクス暦年表準備初稿
http://revolutio.exblog.jp/21169611/
2014年もあと3か月。
2015年
2016年
2017年と3年の準備期間を経て、資本主義に抵抗する人々へ広く呼びかける2018年5月マルクス生誕200年祭へ。
最大の祭りを、ブルジョワ戦争世界大戦、戦火に散った兵士、肺炎で命を落とした炭鉱労働者、女工哀史、神経症を患う20世紀資本主義的現代病の犠牲者エトセトラエトセトラ…、
更には、社会主義を名乗る専制国家独裁によって命を落としていった人民全てに、内ゲバで絶命したる加害者的被害者と二重の意味で被害者となった差別、排除犠牲者たち、生きて苦しんできた人類の苦悩犠牲に対して最大の哀悼と尊敬と戒め自戒の念を込めて
光を当てたる祭典を画策していきましょう!
もちろん、ちきゅう座読者にとっては、自明の事であろうけれども、
世間、帝国主義者の喧伝、左派の代名詞ともくされ幾度も白色テロの標的とされてきた朝日新聞社を攻撃対象とするヘイト主義的ネオ右派、安倍内閣自民党長期独裁傀儡政権支持者たちに踊らされている世間の感じている意味では、マルクスは、全くもって終わってはいません。
それどころかその明晰な社会分析は、未来につながり強固に問われているのだと言う事実を眼前としているとしか考えられないのです。
幾ら言葉を尽くしても足りないのですが、
僕としてもマルクスの人格についてではなく、その明晰なる論理学的分析に対して「乗り越え不可能な」現代性を感じ続けておりその事を広く訴えていかねば人類は、一歩も前に進めず、そして、成長も出来ないのではないかと思わせるものがある事を常に、繰り返し宣言しなくてはならないのではないかと感じている一人であると言う事です。
それぞれのマルクス論はあっても良いのです。
その幅は、むしろ、その豊富な内容を示すものとなっているのでしょう。
マルクスの人格=人間主義的側面ではない資本主義社会分析としての論理学的側面の普遍性とは何か!?
反故にするとしても継承するにしても社会矛盾の何が問われ続けているのか?
その問いに対してマルクスの軌跡は、普遍的な側面、論理学的側面の有効性を明確にしながら、マルクス乗り越えとしての時代とは何かに向かわねばなりません。
それこそが、生きていることの「先験的決意性」とも呼応しており、論理学的批判、もしくは、継承なくして、何も始められなかったことに気が付き驚き、そして、それを幾度も自問してきた19世紀20世紀の歴史、更に、21世紀初頭の現在進行形の中で、再び、歴史に向かわなくてはならない時を感じている者たちの「連帯」を「共同体」を、そして、「社会」を、「理想」を問いただす意味こそが、ここにあるのだと言わねばならない「歴史の真実」であるのだと考えるその内容を、一度は、埋もれたように思われているその微かな哲理を呼び起こす時が来たのを感じています。
人の一生は、短い。
その身の丈にあった生活を心掛けるべきなのでしょうか?
否、人は、「パンのみにて生きるにあらず」。
歴史の真実に向き合い、そして、歴史上に点在している論理学的普遍性に訴える者たちの文献学、人文科学的結集
「憲法」的精神、そして、マルクスの抑圧権力、圧政社会時代歴史との格闘の軌跡、人類愛たる社会主義的哲理の希求こそが、「意味」を持つものである事を僕は、自分史の中でも、再び問う、そして、その問いの普遍性に、同調するアソシエーション的社会主義的知的社会運動の歴史に共鳴し、デモに加わっていかねばならない。
歴史の流れの中で人類史の一部として参加していかねばならない。
再び、時事に目を向けてみるなら、民主主義は、政党政治の態をなさず、安倍内閣自民党長期独裁政権が、形式ばかりの大衆を欺き、知性を欺き、近代を、人間を欺き、歴史を戦前に戻そうとしている。
原爆を落とした非人道的非人類史的米帝国主義者へ国を売り渡し、ファシズムを完成せんと集団的自衛権、特定秘密保護法などなど、憲法を無化し人間性を破壊し、ヘイト主義的暴力を奨励しているばかりの惨状へと心の荒廃をなんら感知せず、むしろ、薄笑いを浮かべている不気味な政治の共犯関係を国民に強要しているのが、現実と言わねばならないのです。
そして、自殺を奨励している、差別、排除、弱い者いじめを資本主義の原理として、オレオレ詐欺対策も持たず、財政破たんを「先送りしているだけの破滅型国家を隠蔽するのに必死なだけの最後の断末魔を聴かなくてはならないのです。
下記の様な「死者に鞭打つ」ヘイト主義的ネオ右派暴力主義が横行し、ファシズム自民党帝国が完成したと言う事でしょうか?
国民は、良い面の顔と言う事なのでしょうか?
この安倍内閣は、どこまで、国民を欺き、そして、踏みつけにすると気が済むのでしょうか!?
百田尚樹氏、故・土井たか子氏を「まさしく売国奴だった」
http://www.j-cast.com/2014/09/29217029.html
百田尚樹
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E7%94%B0%E5%B0%9A%E6%A8%B9
まさに、メディアは、独占支配され、稚拙なブルジョワ文化に汚染され、何らの問題提起もされず、隠蔽され続け、ヘイトヘイトヘイト一辺倒とこれでもかこれでもかと資本主義CM主流、番組中身なし。
NHKさえも資本主義的CM主流と成り果てているのは、ちきゅう座読者のみなさんも感じ取られている通りです。
文化人もヘイト主義ネオ右派代表である百田氏の様に地に堕ち、残骸化するばかりの日本である事に「良心の声」を広げていかなくてはなりません!
ヘイト主義文化人への不買運動、CM資本主義のタダレタテレビ、メディア独占支配に対して、不買運動の輪を広げていきましょう!
それしか、この国を救済する道はなくなっているほどに危機は、身近に迫っていることを一人でも多くの人が、訴えていかなくてはならない時です。
それほど、ファシズム、暴力主義的陰謀が、日本を席巻しているのです!
議論をしましょう!
議論を活性化していかねば、この国の知性も良心も滅び、戦前に逆戻りするだけの危機的状況が今あるのです。
朝日新聞社攻撃と左翼的ヒューマニズムの不在、大学教育機関の機能不全、それが、ちきゅう座読者の日本的現状である危機感は、共有されたものではないでしょうか?
今回、まさに、安倍内閣、人間を国民を欺いて来て、そのありあまる黄金、金環食の中で、断末魔を上げ始めているとしか感じられません。
月刊「日本」植草一秀講演について
消費税再増税決定すれば安倍政権は終焉する
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-645b.html
少子化の主因は弱肉強食推進政策にあり
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-6f0b.html
植草先生は、今後の自民党一強多弱状況の打開に何があるのか?
その質問に対して、
「それがわかるなら苦労しない(会場から笑い)
…生活の党や社民党を鍛えなおして、市民運動を一から作り直すしかありません」
答えていました。
しかし、会場ご婦人の隣の隣くらいだったのですが、小声で、「それは、無理無理…と(失笑)」もある次第。
何故、今更に、一から市民運動を作り直さねばならないのか?
これまでのものが広がらずにあったのか?
その事を今後、ちきゅう座は、最大市民運動拠点でもあるのですから更に、言及意見を集めなくてはならないでしょう。
今後の投稿予定
1.200年祭準備と第5インターナショナルの可能性と模索
2.マルクス暦について
3.ちきゅう座、行動と理論について
4.非正規労働者論~山本太郎氏と雨宮処凛氏
5.憲法的人格・社会主義的人格
6.対話編
(9月27日現在)
付録:共同主観性の発想は理解に難しくない。(日本哲学、世界哲学の現状と閉塞について)
http://revolutio.exblog.jp/21168865/
画像版をどうぞ。
http://revolutio.exblog.jp/21180172/
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