三代目総理の三百代言 「風吹けば、桶屋が儲かる」
- 2014年 11月 3日
- 時代をみる
- 政策盛田常夫金融
10月31日、日銀金融政策決定会合は4名の委員の反対を押し切って、追加金融緩和策を決めた。1年半前の大幅金融緩和に賛成した委員も、今回はその効果に疑念を抱き、民間委員の半数が反対に回った。さすがの政策委員も、カンフル剤の乱用に、潜在リスクを感じたのだろう。しかし、殿の乱心を止めるまでには至らなかった。株式市場と為替市場は1年半前と同様に即座に反応したが、当初の効果が長続きせず、政策当事者の焦りがはっきり見える今回の緩和拡大には、円安物価上昇で一段と消費を切り詰める一般の人々にも、素朴な疑念を抱かせるものだ。
そもそも、金融緩和や物価目標などの政策措置は、きちんとした理論や経験に裏付けされたものでなく、その場しのぎの短期的なアイディア以外の何物でもない。にもかかわらず、安倍総理やそれをヨイショする経済学者が、あたかも起死回生の特効薬であるかのように宣伝してきた。ところが、その効果がさほどでもないことが明々白々となっているにもかかわらず、カンフル剤の過剰投与で、なんとか好況感を醸し出そうと必死なのである。しかし、賭場に嵌るように、なり振り構わずカンフル剤を投与すれば、近い将来、日銀は溜め込んだ不良債権に苦しむことになろう。黒田総裁が退職金を放棄した程度で済む損失ではない。これほど大きな影響を与える政策を実行するからには、政策実行者の個人責任を明確にしてもらいたい。今から、政策実行の担保としてすべての個人資産を国庫に預託し、金融緩和策が失敗し、日銀ひいては国庫に大きな損害をもたらした場合には、退職金も担保資産も放棄するという誓約書を書くべきだろう。
安倍政権の経済政策は、馬鹿馬鹿しい前提や因果関係の逆読みから成り立っている。まさに、「風吹けば、桶屋が儲かる」類の因果関係をこじつけた理屈にすぎないものだ。
株価が上がれば景気が良くなる?
経済が成長途上にあれば、既存株式の売買のみならず、新規上場も盛んになり、株価が上昇する。経済成長、つまり企業の成長があって、株式市場が活性化する。これが安倍内閣にかかると、「株式市場が活性化すれば、経済は成長する」と逆読みされる。因果関係の逆は、常に成立するとは限らないどころか、もし逆が成立すれば因果関係とは言わない。しかし、アベノミックス応援団はそんなことにはお構いなく、株式市場が活性化すれば、好況感が醸成され、企業活動が活発化するというシナリオを描いている。
アベノミックスは、好況感を醸し出そうと必死になるあまり、因果関係を逆転させて無理矢理株式市場を活性化させようとしている。これが官製相場である。金融緩和が持続しているにもかかわらず、今年の株式市場は一進一退で上昇気流にはない。だから、金融緩和だけでなく、年金基金の資産の株式投資分を増やしてでも、官製相場を作り上げようと躍起だ。しかし、目敏い海外の投資ファンドは、こういう幼稚な相場作りの日本市場を、絶好の食い逃げの場と思っているだろう。ただでさえ資産枯渇が問題になっている年金資産である。なけなしの資産を負けることが分かっている博打に使うなど、もってのほかだ。関係者はまず個人資産を担保に差し出し、それ相応の覚悟をもって政策実行すべきだ。
物価が上がればGDPが増える?
ここでも、「逆は真ならず」という単純な真実が当てはまる。実物経済が活性化すれば、資材や設備への需要が増え、需給がひっ迫し出すから価格が上昇するという現象は、高度成長時代に裏付けられた事実である。戦後の日本経済が戦後再建と新規労働力の大量創出によって高度成長時代を迎えたが、まさにこの時期は需給逼迫による高いインフレと、髙い成長率が並存した。
しかし、これは現実的な基盤があってこそ実現した現象である。高度成長時代が過ぎ、経済が縮小する長期の過程に入っている日本に、実物経済の成長が物価を引き上げ、物価上昇がまた実物経済の成長を引き上げるという相互関係は存在しない。にもかかわらず、因果関係を逆読みして、物価が上昇すれば、実物経済が活性化するなどと考えるのは、因果関係の誤解である。そういう論理は成立しないし、何の現実的根拠もない。
ところが、アベノミックスをヨイショする「学者」のなかには、とんでもないことを平気で言う御仁がいる。「インフレ率が2%になると実質成長率も2%ぐらいになることが経験則でわかっている。経済環境がいいとそれなりに実質成長率も伸びるのだ。両者わせて名目成長率4%を達成できる」(高橋洋一『週刊エコノミスト』2014年10月28日号)。劣等生の三代目総理がこう言うなら仕方がないとしても、「学者」を自称する人がこのような根拠のないことを平気で言い散らかしている。とんでもないいかさま師だ。
物価上昇目標を明確にすれば、消費者は購買意欲を高める?
金融緩和を進め、物価上昇目標を設定して、消費者の購買意欲を高めれば、経済が活性化するというのが、金融緩和政策の論理である。ここには消費者や生産者の合理的期待に働きかけるという論理が介在している。
後にも記すように、昨今の数理経済モデルの多くは、金融市場をベースにモデル化したものが多い。実物経済と違って、金融経済は同質的な市場から構成されているので、扱いやすいからである。金融経済に参加しているプレーヤーと実物経済のプレーヤーはまったく異なる。したがって、金融経済で真であることが、実物経済でも真であることにはならない。金融市場では金利や為替の微少な変化が儲けを左右する。したがって、1%でも2%でも市場が事前に動くことがわかっていれば、儲けるチャンスだ。もちろん、変化率が高ければ高いほど、レヴァレッジを利かして、変化率の何倍もの儲けを得ることが可能になる。もちろん、その反対にそれだけ損することもあり得る。ただし、この場合も、プレーヤー全員が事前にその情報を入手したのでは意味がない。抜け駆け的に、つまりインサイダーで情報を得るか、先読みができれば、大儲けできる。最初から全員に周知したのでは、その効果はない。
さて、この金融経済の論理を実物経済のプレーヤーや一般消費者の行動に適用できるだろうか。明日から10%値上げしますと言われれば、それでは今日買わなければという行動を惹き起こすが、物価全般がここ1-2年に2%に上昇する可能性がありますと言われて、商品購入に走る人がどれだけいるだろうか。合理的期待に依存した物価目標論は、金融経済モデルから引き出した結論を、実物経済に単純に当て嵌めただけのことなのだ。そのような単純理論で実物経済を動かすことはできない。
数理モデルを扱う経済学者の多くは、金融経済と実物経済の本質的な差異を切り捨てて、金融経済モデル分析は国民経済分析にそのまま適用可能と考える「傲慢の罠」に陥っている。2%の物価目標など、現実の消費や生産にほとんど影響を与えないのだ。それどころか、円安の悪影響によって、日常物価の上昇は2%に留まらない。「経済学者」はいったいどこを向いて何を見て、話をしているのだろうか。
相関関係を因果関係と読み違え
ここまで指摘した事例から分かるように、アベノミックス政策を支える経済論理には、現実的基礎がない。そこに共通しているのは、因果関係の逆読みの誤りであり、国民経済分析を金融モデル分析に置換する誤りである。
ふつうに考えても、たんに相関があるというだけでは、何の証明にもならない。独立変数と従属変数の関係性の分析があって初めて、論理が明確になる。しかも、その論理が精緻でなければ、きわめて弱い仮説にすぎない。仮説の前提以外に、他の要因や環境要因の影響の方が大きいかもしれないからだ。不確かな仮説に過ぎないものを、あたかも起死回生の特効薬のように喧伝するのは、詐欺師以外の何物でもない。政治家がそのように主張しても仕方がないが、「学者」と見られている人々がそのような怪しい政策をヨイショするのは理解できない。何か政治的な野心があってのことと勘ぐられても仕方がない。あるいは、その程度の「学者」なのかもしれないが。
「デフレは悪い」という固定観念もどうかしている。アベノミックスは実年時代を迎えている日本経済に、青年時代のように猛烈トレーニングで筋力を増強せよというのに等しい。牛丼店の価格競争だけを拡大視して、ありもしない「デフレスパイラル」を説く「学者」も信用できない。こういう「学者」は長期的に社会を見る目がない。だから、短期的な思考しかできないのだ。
精緻な経済モデルの弱点
ノーベル経済学賞が平和賞と同じ程度に問題の多い賞であることは良く知られている。しかも、経済学賞は他のノーベル賞と異なり、ノーベル財団ではなく、1969年からスウェーデン国立銀行が授与し始めたものだ。
ノーベル経済学賞設立初期の最初の10年ほどは、国民経済全体を扱った研究やモデル分析に授与された。国民経済計画やその可能性にかかわる理論やモデルである。ところが、戦後の重鎮経済学者たちが受賞した後は、次第に矮小化された小さな数理モデルの開発者が受賞するようになった。国民経済レベルのモデル化は、社会主義経済の崩壊とともに過去のものとなり、現在は金融経済をベースにした数理モデルか、今年度の受賞者のように個別市場の数理分析モデルが受賞の対象になっている。
ノーベル経済学賞にはいくつかの問題がある。
一つは、数理的分析モデルでなければ、受賞が難しい。ハンガリーの経済学者コルナイやガルブレイスのような政治経済学的分析をおこなう学者は、ほとんど対象外になっている。それでも少なくとも、体制転換直後の時期(1990-1992年)には、コルナイがノーベル経済学賞を受賞する可能性があると巷で騒がれ、日本の新聞社の依頼で、受賞した際のコメントを3年間スタンバイさせていた。
ところが、1994年にはノイマン=モルゲンシュタイン『ゲーム理論と経済行動』発刊50年を記念して、戦後のゲームの理論発展の貢献者3名にノーベル賞が授与され、以後はノーベル経済学賞の方向性がゲーム理論の応用を軸に展開し始めた。1994年の受賞者の一人であるハルサーニィはハンガリー人で経済学者ではなく、応用数学者である。もちろんノイマンは、20世紀を代表するハンガリー出身の数学者である。この受賞選考過程で自然科学系の委員から異論がだされ、経済学賞候補者承認が揉めた経緯がある。純粋数学にノーベル賞がないのに、応用数学にノーベル賞があるのは不可解だという真っ当な反対意見である。純粋数学で挫折した数学者が向かう先が、応用数学だからだ。しかし、経済学界ではゲーム理論の受賞以後、経済学にゲーム理論を持ち込む試みがブームになったが、それで国民経済理解が深まったことはない。2008年、ブダペスト経済大学創立50周年記念で、ノーベル経済学賞のエリック・マスキンが記念講演をおこなったが、ゲーム理論の有効性を示すために説明した事例は、ジョンとメアリーがケーキを分割する例えで、その応用として各種入札への適用可能性を指摘しただけだった。1万ドルの謝礼とファーストクラスチケットは、どう考えても、講演内容と釣り合ってはいなかった。マスキンも応用数学出身である。
現代の経済学界では、数学的モデルでなければ真偽を確かめることが難しく、応用数学者になる方が、ノーベル賞を獲得し易いという歪んだ構造ができあがっている。しかも、応用数学モデルがどれだけ開発されようと、現実の経済にはほとんど影響をもたない。
二つは、ゲーム理論やその応用を除くと、数理モデルのベースになっているのは金融経済である。実物経済を対象とした国民経済モデルの構築は、社会主義崩壊とともに消滅したが、それに代わるものが金融モデルなのである。実物経済をモデル化するのは難しいが、金融市場は同質性を保持しているので、モデルを作りやすい。合理的期待仮説にしても、オプション価格決定モデルにしても、基本的に金融市場の一つの側面をモデル化したものである。そういう限定的なモデルを国民経済に一般に適用できると考えるのは、一のことしか知らないのに、百を知っているかのように言う虚言である。
リーマンショックが起こった時に、エリザベス女王が、「ノーベル経済学受賞者のように賢い経済学者がいるのに、どうして繰り返し経済危機が起きるのですか」と質問されたと言う。しかし、実際のところ、ノーベル経済学賞と国民経済理解はほとんど無関係なのだ。国民経済の理解には政治経済学的な分析が不可欠である。その意味で、現代の経済学は自然科学のような科学性をもつものではなく、大局的な社会観や歴史観が重要な要素になるのであって、それを欠いた分析はほとんど現実の経済社会の分析に役立たないということなのだ。
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