バグダーディの権威と旧軍の残党たち ―「イスラム国」との戦いは国連中心で③
- 2014年 11月 11日
- 評論・紹介・意見
- イスラム国坂井定雄
「イスラム国」がここまで急速に成長した理由はいくつもあるが、最高指導者バグダーディの卓越した資質、カリスマ性が大きな役割を果たしてきたことは否定できない。同時にそれは、「イスラム国」の最大の弱点でもある。
米国は2011年10月、バグダーディを国際テロリストとして1千万ドルの懸賞金をかけて追跡してきた。ビンラディンの後継者ザワヒリにかけた2,500万ドルに次ぐ高額だ。ビンラディンの死後、アルカイダは国際的な影響力を大きく失った。その一方で、中東とアフリカのさまざまなアルカイダ系テロ集団が活発化して、残虐な事件が続発した。もしバグダーディがいなくなれば「イスラム国」は中心を失い、急速に崩壊へ向かうのではないだろうか。少なくとも1万人を超える武装集団が、統制を失って中東のど真ん中に放り出される事態など、想像するのも恐ろしい。バグダーディもザワヒリと対立し、アルカイダから離れた。そしてバグダーディは、ビンラディンの先例に学び、米軍のミサイルや特殊部隊が攻撃しにくい支配下の都市―本拠地シリアのラッカかイラク第2の都市モスルの、目立たないが堅固に防御された拠点から、最高指導者としての活動をしているに違いない。
バグダーディは1971年、イラク中部のサマラ近郊で生まれた。アブ・バクル・アルバグダディは戦士名で、イブラヒムに始まる長い本名の最後のアルサマーリはサマラ生まれであることを示している。そのことはバグダーディの思想やカリスマ性に、おおきな影響を与えているに違いない。サマラは、イラクのほぼ中央、バグダッドの北125キロ、チグリス河沿いにある小都市。イスラム帝国の統治を確立したアッバース朝(750-1258年)の首都を836年から892年まで務めた歴史都市だ。市内には、ユネスコ世界歴史遺産の美しいらせん階段の大モスクの塔が、見事に保存されている。シーア派にとっても、サマラには最高指導者イマームの第10代、11代、12代の墓などの遺跡があり、重要な巡礼地の一つになっている。わたしも、サマラの塔と静かな、宗教的雰囲気に感動した記憶を忘れない。
バグダーディは、戦士名の最後にアルフセイニ・アルクライシュを付けて呼ばれることも多く、先祖はメッカのクライシュ族で、預言者ムハンマドの血を引いていると、本人サイドの文書は説明しているが、根拠が怪しい権威づけだろう。バグダーディはバグダッドのイスラム大学に学び、修士、博士号を得たとされている。
2003年、米占領軍に対する武装攻撃を旧フセイン政権の残党勢力が開始。(2)で触れたザルカウィの過激派組織も翌04年にはアルカイダの支援のもとに「イラクのアルカイダ」(AQI)と改名して、反米攻撃に加わった。そのときバグダーディはAQIの宗教部門のリーダーになったという。米国防総省の公式記録によると、バグダーディは2004年2月から12月まで、米軍によって「民間人」テロ容疑者として捕まり、ブッカ収容所に収容されている。宗教指導者で戦闘員でないとみなされ早期に釈放したのだろう。
2006年、AQIと他のスンニ派武装勢力が統合して「イラク・イスラム国」(ISI)として新発足したときに、バグダーディは組織を宗教的に律するシャリーア(イスラム法)委員会の最高顧問になり、ISI指導部の有力メンバーになった。35歳のバグダーディが、なぜそれほど宗教的権威を持ちえたのだろうか。その4年後には、ISIの最高指導者になる。彼のイスラム思想が、過激なサラフィー主義、聖戦主義に傾いた理由と経過は分からない。サラフィー主義は、ムハンマドの直接的後継者たちの時代のイスラム世界の統治、社会に復帰することを目指し、聖戦主義はそのための戦いをイスラム教徒の義務とする、復古的、教条的な思想だ。ただし、聖戦とは、イスラム教徒自らの内部での努力、戦いが第一だと説くイスラム指導者、学者も多い。
バグダーディは、スンニ派の宗教指導者がほとんど必ず得る、イスラム教の最高学府アズハル(エジプト・カイロ)かメディナのイスラム大学(サウジアラビア)の認証を得ていない。それにもかかわらずバグダーディが、ISIの最高指導者になり、いまや「イスラム国」樹立とそのカリフ(政治・宗教の最高指導者)を自称するに至ったのは、その宗教上の学識、それを説く弁舌の巧妙さとともに、旧フセイン政権の軍、治安警察、バース党の残党有力者たち、一部スンニ派部族勢力指導者たちを取り込む説得力と駆け引きの卓越した能力のおかげだと考えざるを得ない。
しかし、イラクのスンニ派宗教者が集まる「イスラム宗教者委員会」は声明で、「イスラム国」樹立にはイスラム法の正当性はないと批判した。シーア派優遇にひどく偏ったマリキ政権が辞任し、アバディ新政権に代わって以来、スンニ派の部族勢力の大勢はバグダーディから離反しつつある。より重要な疑問は、英語版Wikipediaなどがさまざまな報道や情報からまとめ、更新しているバグダーディのいわば幕僚や指揮官たちの戦士名リストなどから推測すると、半数ないしそれ以上が、旧フセイン政権の軍や治安警察、バース党の残党たちと思われることだ。他に少数のシリア人、グルジア人、チェチェン人らしい名前もある。サッダム・フセインはアラブ民族主義バース党のスンニ派党員で政権を固め、大統領はモスクに通いはしたが、世俗的な政権だった。その残党たちが、いつまで、どこまで、かたくなに復古的、教条的なバグダーディに忠実でいられるか、離反者がでて、その男がバグダーディの独断で処刑され、内部対立、分裂の事態になる可能性は小さくないと思う。(続く)
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