北朝鮮の暴発で東アジア情勢緊迫!そこに乗じて戦後日本の「平和原則」見直しの動きが…
- 2010年 12月 1日
- 時代をみる
- 加藤哲郎北朝鮮日本核保有武器輸出三原則見直し
2010.12.1 北朝鮮による韓国延坪島(ヨンピョンド)砲撃は、民間人二人の死者を出し、東アジアの国際環境を一気に緊迫させました。朝鮮総連に近い朝鮮新報には、「ことの発端は北の領海に対する南の砲撃だ。南側は自分の領海だと主張するが、米国が設定した海の軍事境界線を認めていない北側からすれば、砲撃は停戦協定違反であり、事実上の戦争行為だ。今回、北側は警告に止まらず軍事的対応をとった」と北の立場が説明されていますが、かつての朝鮮戦争勃発時と似た、北の軍事的挑発による戦争の危機です。中国の新華社電が、11月23日勃発当初韓国側報道で速報しながら、やがて「論議のある『北方限界線(NLL)』付近で交戦」となり、さらには「韓国側が先に発砲」と報じる記事まででてきたこと、他方で韓国3大新聞の論調が中国をも批判し軍事的強硬策を政府に求める一触即発の雰囲気なのも気になります。「終戦」ではない「休戦」だったことの意味が、一気に現実に見えてきました。
直前のウラン濃縮施設公開を含む、米朝直接交渉を求める北朝鮮の「瀬戸際外交」説、3世代指導者世襲のための「国内向けデモンストレーション」説、中国に保護・後見を迫る「米中対立」誘導説など、それなりの説得力はありますが、いずれにせよ今日の国際関係から逸脱した非合理的行動で、パワーポリティクスからも社会主義からも弁証できない、北朝鮮国家の特異性を示しています。これ以上の軍事的暴発は、なんとしても避けなければなりません。中国政府のいう「6カ国協議の首席代表会合」は、さしあたりの時間稼ぎになるでしょう。ある意味で軍事戦以上に衝撃的なのは、WikiLeaksで突如公開された、各国外交の裏での北朝鮮問題への各種発言。中国政府高官が「朝鮮は韓国の管理下で統一されるべき」と述べたり、韓国政府高官が「日本は朝鮮の分裂状態を望んでいる」と述べたり、国際政治のホンネがかいま見えて、出版物になった日本の「流出『公安テロ情報』全データ」と共に、現代情報戦のすさまじい実態を明るみに出しました。こうした情報戦の分析をふまえない外交や軍事は、21世紀の政治では無力でしょう。アイルランドの財政破綻、日本の沖縄県知事選の最中に、北朝鮮の軍事的示威、それを踏まえた黄海での米韓合同軍事演習が行われたことも、たんなる偶然の一致と言い切れないものがあります。何か大きな世界史の変動が、深部で作用しているのかもしれません。
こんなことを言うのは、一つは、日本経済評論社から加藤哲郎・丹野清人編「21世紀への挑戦 7 民主主義・平和・地球政治」が発売されたから。そこで私は、『年報 日本現代史』第15号(現代史料出版)掲載、加藤「戦後米国の情報戦と60年安保ーーウィロビーから岸信介まで」ウェブ版の「理論編」にあたる、序章「情報戦の時代とソフト・パワーの政治」を書いていて、その仮説にもとづきWikiLeaks時代の国際政治のあり方をどのように考えるか、再考を迫られているからです。いまひとつは、もともと10月3日放映のNHKスペシャル「”核”を求めた日本」でスクープされた、1969年2月日本外務省と西独(当時)外務省との協議で、日本側が将来の核保有に言及し製造工程まで具体的に検討していたことを、外務省が放映後2か月足らずで公式に認め報告書が発表されたことです。というのは、非核3原則を定めた佐藤内閣時代の核兵器保有の検討自体は、1994年金日成晩年の朝鮮半島核危機のさい、朝日新聞1994年11月13日が「核開発可能だが持てぬ 佐藤内閣、68・70年に秘密研究報告書」というスクープがあり、「日本の核政策に関する基礎的研究」という内閣調査室の報告書の内容も報道されましたが、日本政府は一貫してその文書の開示を拒否してきました。ところが今回は、テレビで村田良平元外務次官が遺言風に証言し、当時の西独側エゴン・バール氏もそれを認めた、という映像証言の迫力があり、民主党内閣への政権交代で外務大臣の「政治主導」で直ちに事実調査が行われ報告書が公表されたという側面はありますが、どうも、この間の沖縄等への「核持ち込み密約」の際の元外務省高官による証言と同じように、現実の北朝鮮核危機のもとで過去の既成事実を追認し、むしろ「非核3原則法制化」より「非核3原則見直し」への国民意識醸成を図っているようにも見えるのです。
その傍証が、民主党の北沢防衛大臣のもとで「政治が風穴を開けていかなければならない」というかけ声で進められている「武器輸出三原則の見直し」です。つまり、東アジアの情勢緊迫と民主党の国家戦略欠如・支持率暴落のもとで、自民党政権時代にさえできなかった安全保障政策の基本的転換が「政治主導」の名の下に始まっているのではないかという疑念が、払拭できないのです。沖縄県知事選の結果が、それに拍車をかけなければいいがと懸念されます。本サイト英語版・日本語版でここ数年探求している「崎村茂樹の6つの謎 」について、ドイツの日独関係研究者から、久方ぶりの、しかも重要な情報提供がありました。1943-44年の在独日本大使館員崎村茂樹のスウェーデン亡命、連合国との接触について、なんとナチス宣伝相ゲッペルスの日記に記述があるというのです。44年5月のゲッペルス日記を調べてみたら、その通りでした。詳しくは次回以降に紹介しますが、この間の世界と日本の情報戦にも、どうもどこかの国に、個人とは限りませんが「現代のゲッペルス」が君臨しているような気がします。「物言えば唇寒し秋の風」とは、いつの時代の、どの国のことだったのでしょうか。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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