アウシュヴィツ強制収容所解放70周年式典の謎
- 2015年 2月 4日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
東京新聞夕刊(平成27年1月28日)に「アウシュビッツ70年式典」が報じられ、「ポーランドのコモロフスキ大統領、ドイツのガウク大統領、イスラエルの閣僚ら欧州を中心とする関係国が出席。日本政府からの出席者はなく、ロシアのプーチン大統領も欠席した。」とある。
不思議だ。アウシュヴィツ-ビルケナウ強制収容所コンプレクスの設立国=加害者の代表者、アウシュヴィツの主要被害民族が戦後建国した国家の代表者、そして、アウシュヴィツを領土とする国家の代表者が出席している。それなのに、70年前の1月27日にアウシュヴィツを解放したソ連軍を代表する国家の代表者が不在だ。10年前の60周年追悼式典にはロシアのプーチン大統領が出席していた。ソ連赤軍の組織者であるソ連共産党とソ連邦が消滅した後に、アウシュヴィツ解放の名誉はどの国家に属するのであろうか。
アウシュヴィツ(クラコフの西50キロメートル)が所属するポーランド共和国の外相ジェティナによれば、「第1ウクライナ方面軍が収容所の門を開けたのだ。ウクライナ人が収容所を解放した。」と言うことだ。かくして、1月27日の追悼記念式典出席者の写真を見ると、クロアチア大統領夫妻、ドイツ大統領、スロヴェニア大統領、ウクライナ大統領ペテロ・ポロシェンコ、・・・・・・の顔ぶれだ。ウクライナ大統領がアウシュヴィツ強制収容所のナチス・ドイツからの解放を代表しているように見える。
ところで、私=岩田は、ここである事件を想い起す。去年の10月16日ベオグラード解放70周年記念の軍事パレードが実行された。チトーのユーゴスラヴィア・パルチザン部隊は、国土の大部分を自力で解放しながらも、ナチス・ドイツ軍の要塞と化した首都ベオグラードは、ソ連赤軍との共同作戦で解放したのだ。その記念すべき軍事パレードにロシア連邦のプーチン大統領が招待され、セルビア国家の首脳陣と一緒に観兵した。その時、駐セルビア・アメリカ大使は、「何故ウクライナ大統領を招待しないのか。第3ウクライナ軍がベオグラード解放に参加していたではないか。」といちゃもんをつけた。
アメリカ大使やポーランド外相が本当に知らないのだろうか。第1ウクライナ軍であれ、第3ウクライナ軍であれ、ウクライナの名称があるからウクライナ人より成る軍隊であると言う訳ではなく、ソ連赤軍の中でウクライナ方面で作戦する軍隊である。例えば、大日本帝国の朝鮮軍が朝鮮民族の軍隊ではなく、関東軍が満洲関東地方の満洲民族や漢民族の軍隊ではなく、あくまで帝国陸軍であった。
ある文章によれば(ベオグラードの週刊誌『ヴレーメ』2015年1月22日、p.31)、ソ連赤軍第60軍第322師団が70年前にアウシュヴィツを解放した。私は軍事学の知識が無に等しいので、間違っているかも知れないが、第1ウクライナ軍=第60軍かも知れない。アウシュヴィツ解放に39民族出身のソ連軍兵士が参加していた。
2014年6月のノルマンディー上陸作戦70周年記念式典にプーチン・ロシア大統領は招待されていた。ソ連軍は上陸作戦に参加していなかったにもかかわらずだ。「フランスは第二次大戦におけるロシア人の犠牲的精神を忘れ得ず。」とオランド大統領が決断したと言う。やはり、大国フランスの矜持は、ポーランドのそれより大きいと言うことか。
以上、『ポリティカ』紙(2015年1月14日、22日、28日)の関連記事をもとにしている。
平成27年2月3日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5159:150204〕
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