尺八とモダンジャズ
- 2015年 2月 25日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
十代後半から三十過ぎまでモダンジャズを聴いていた。それ以外は聞こえていただけというほどジャズだけが音楽だった。ジャズのルーズさと緊張感、それをちょっと酔っ払って聞くのが好きだった。似たようなものを何度も聞いていれば、それなりにその世界の人たちの流れのようなものを感じられるようになる。ただ何をどこまで聞いたところで自分では音をだせない、巷の一消費者でしかありえない。それでも自分なりの価値観-自分ではメインストリーマーと信じているものが生まれてくる。聞き始めた頃のように八方美人でしか存在し得ない評論家連中の言辞に惑わされることもなくなる。
惑わされることが少なくなってきた頃、輸出業務のためにつくった子会社に転属になった。日本の日本しかしらない、海外との接点はジャズくらいしかない。何もない二十歳半ばの半端者がある日突然海外相手の現場に放り出された。中学校卒業程度の英語、それも昔の話で残っていたのは朽ち果てた骨格だけの者にはきつかった。研究所からの左遷、仕事の内容も質も全てが違う。幸いなことに、戦力になりようがないのを悠長に見てくれる上司に恵まれた。
二十代半ばにして工学書と首っ引きの生活が終わって、英語をなんとかしなければならない立場に追い込まれた。それがいつの間にやら太平洋か大西洋を股にかけて片足をアメリカ、もう一方を日本かヨーロッパの生活になっていた。ただ何がどう変わっても自分のありようは日本人でしかない。文化も言葉も人としてありようも何から何まで日本人。それにもかかわらず仕事の面では見る人によっては怪しいコスモポリタンと見えたらしい。つたないながらも英語であれば上から下までそこそこなんでも間違いなくついてゆくだけの、これも怪しい自信もどきがある。そんなものがあったところでせいぜいコスモポリタンもどきのもどきの日本人でしかない。
三十を過ぎてだったと思うが、ラジオの軽音楽番組で日本の尺八奏者がアメリカの名の知れたジャズメンとセッションを組んだのを聴いた。何も知らずに偶然聞いて驚いた。それまで日本のジャズメンの演奏はたまに聞く生演奏に限られていた。固いことを言う気はないがジャズはアメリカのもので、日本やヨーロッパのものはたとえなかにはいいもの、傾聴に値するものがあったとしてもイミテータの域をでないものがほとんどだと思っていた(今でも思っている)。誰が演奏しているのか知らずにラジオで聞いて、妙にのせてくれるがある。妙にのってるうちに、あまりの耳当たりのよさに引っかかるものを感じ出す。演奏が終わって名前を聞けばやっぱり日本の“有名な”奏者だった。
日本の“有名な”ジャズメンが米国のメインストリーマーのジャズメンと競演することがあるか。日本のレコード会社の商業主義がそれを生まない限り、少なくともメインストリーマーは敬遠するだろう。メインストリーマーとしてジャズのそのときの時代を背負っている、次のありようを主張している人たちの目には日本の、たとえ日本で“有名”だったとしてもイミテータかその派生としか思わないだろう。ところが尺八でジャズとなると話は違う。ジャズであること、本質的なところでは自分たちの音楽であったとしても想像もしたことのない楽器で、メインストリーマーをもうならせる演奏をされれば敬意どころか畏敬の念までもって迎えられる。
これを一般化すればつぎのようになる。コスモポリタンであろうとして欧米から学ぶのはいいが欧米化するあまり自分の文化の根っこである“日本”が希薄になれば、自分の文化がほとんどそのままコスモポリタンに近い人たちの目にはその人たちの影響を受けたもの、極端に言えばまがい物もどきにしか見えない。それも内面的な基礎もなくスタイルだけが妙にオリジナル以上に洗練されたかたちで提示されたら、オリジナルをもってしてコスモポリタンであると自負している人たちにどう扱われるのか、あえて疑問符を発するまでもないだろう。それは欧米からみた日本文学史上における樋口一葉と夏目漱石の評価と似たところがあるかもしれない。
海外との仕事に明け暮れてきたが、今になって気が付けばそれは海外の仕事ではなかった。アメリカでのアメリカの仕事、フランスでのフランスの、ドイツでのドイツの仕事で現地の人たちと競争したところで勝ち目はない。勝ち目がないという俗な言い方に抵抗があるのであれば、彼ら以上に貢献するのが難しいと言い換えてもいい。現地での現地の仕事であれば現地の人たちに任せればいい。
何がどうあっても日本人でしかありえない。そのありえないことが外国の人たちにはできても、できたまでしかできないところを超えて昇華できるかが存在価値になる。
斜に構えてみるのが癖になってしまったものの目には面白い現象がある。さすがにモノ作りに日本なのだろう、一般的なエンジニアリングのレベルであれば必要とする知識のほとんどを日本語で得られる。ところが人文科学になったとたん、どういうわけか海外の学者の説の引用から話が始まって終わるものが多すぎるように見える。引用が悪いといっているわけではないのだが、人文科学こそがその国の、民族の歴史や文化からありとあらゆるものの基礎になるその国と民族と人たちのありようの話ではないのか。自分たちがあってはじめてコスモポリタンの仲間に入れるのであって、自分たちなくして真似事のコスモポリタンがコスモポリタンの世界でコスモポリタンとして迎えられるはずがない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5196 :150225〕
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